第3話  


 じ、人生最悪の日、じゃないだろうか。
 何もかもが灰色に見えて、日が差し込む自室にいるのに焦点の会わない目でよろよろとベッドに近付いて、きっちり畳まれた洗濯物に一瞬我に返って引き出しに仕舞いこみ、制服も着替えずにベッドにダイブした。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
 叫びだしたい衝動のまま枕に突っ伏して叫んでみたけど大した音量は出ない。
 変な熱が首の後ろからじゅわわ〜〜っと噴出しているだけで、涙よりも汗のほうが先に代謝してる。
 情けなくてたまらないのに、涙はやっぱり出て来ない。
 だ、誰か、私の記憶を消してください・・・っ。
 今朝、家政婦さんが来ると聞いたときにどうしてもう少し考えなかったんだろう。
 そんなに時間に余裕がなかったわけじゃないんだから、洗濯物を取り込んだり汚物入れを空にしておいたりするくらいの時間は余裕であったのに・・・!!
 それもこれも先入観、『家政婦』・・・女性だと、思っていたから。
 まま、まさか、男性だとは露ほども思わなかった・・・
 いや、女性に下着を見られたり汚物を片付けて貰ったりするのも確かに問題なんだけど・・・ けれど、実家では意識せずそういうことをして貰っていた・・・ような気もするから、どこかで私は麻痺していたのかな。
 いやいや、今朝の遙さんの言い回しで、家事的なことを一切封じられた気がして、何というか頭が回りきらなかった・・・ っていうことにすると遙さんを悪者にしてしまう気がするから、やっぱり私が迂闊すぎたのか・・・ うぅうう・・・
 無限の自己嫌悪のループ。
 だけど落ちた気分と、それに追い討ちをかける気配。
 うぅ・・・ お腹痛くなってきた・・・ 生理痛・・・だよね、これ。
 いつも順調で重たくないのに、今回に限って何だか腰が重たい感じがする。
 それに、今日は・・・ 足取りが重たかったからいつもなら40分かかる道が1時間はかかったかもしれない。
 ・・・しかも2日目・・・ 時間切れだ。取り替えなきゃ・・・
 落ち込んでいる場合じゃなくなった。
 のろのろと起き上がって、手近にあったカシュクールのカットソーとゆったりめのデニムのショートパンツに着替えてから、自室のドアの前で2秒悩んだ後に意を決して自室から出た。
「おっ」
 部屋から出ると、ダイニングに居たらしい彼は私の気配に気付いてこっちを見た。
 今はもうマスクも外していてトイレ武装はしておらず、彼が意外に端整で凛々しい顔立ちだった事に漸く気付いてまた落ち込む。
 美形に下着見られた・・・
「明日燃えるゴミの日でしたよね、今日のうちに纏めておくから部屋のゴミも後で回収に行きますね」
「あ、はい」
 丁寧な質問を投げかけられて、無感情に答えたけどまた落ちる。
 部屋のゴミ『も』って言った。
 では、さっきの例のアレ『も』回収済みなのですか、そうですか・・・
 よぼよぼしながらトイレに行こうとしたのだけど、どうしても有耶無耶にしておけないから、決死の思いで彼に告げる。
「あ、あのっ!!」
「ん?」
「その、あの・・・ じょ、女子的なものの処理は自分でできますから、次回から下着とか汚物入れとか触らないでいただけますかしら!!」
「ん? ああ・・・ そうか、それは配慮が足りなくてすまなかった」
 えっ、何、急にその口調。そっちが本性?
 表情を見たら、やはりさっきも感じた挑発的な不遜な光。
 それが端整で野性的な顔に凄みを付け加えていて、何故か私は少し怯んだ。
「次からは気をつけます」
「そ・・・ そうして下さいっ」
 もう耐えられなくて、トイレに直行。
 鍵をかけて閉じこもって、情けなさにまた盛大に溜息を吐いた。
 掃除を怠っていたわけではないけど、今朝よりも清潔な印象を与えるトイレ・・・
 トイレットペーパーがちゃんととりやすいように三角に折ってある。
 くそぉ・・・ 何だろうこの敗北感は・・・
 ・・・いやいや、ここでゆっくりしてたらアレだと思われてしまう。
 用だけ済ませて、朝と同じ場所に戻された汚物入れに使用後のを捨てようとしたら、ご丁寧に紙袋まで入れてくれていた。
 ・・・気がつきすぎるのも、ホント、どうだろうと思う・・・
 げんなりしてトイレから出た。

 家事を封じられたら何をしていいのか先ず迷ってしまう。
 彼の様子を伺ったらキッチンに立って何かをてきぱきとこなしていた。
 鍋の仕舞ってある場所、調味料の場所などは既に記憶したみたいで、迷いのない、澱みのない洗練された動き。
 何とはなしに見ていたら、
「手持ちブタさん?」
 と、こっちも見ずに聞いてきた。
「ぶたさん・・・ そうですけど」
 もう流石に営業スマイルも出来ない私はぶっすりしたまま答えた。
「じゃ、ちょうどよかった。ちょっと座って」
「・・・」
 ちょっと厭だ。
 けど、無言で従った。
 コーヒーメーカーがコポコポ鳴っている事に今更気がついて、あ、ひょっとしてこれは・・・ と思っている間に私の前に彼は皿をひとつ置いた。
 彼が近付いた時に、シナモンの匂いと一緒に、何か爽やかな匂いが通り過ぎた。
 何だろう、香水の匂い・・・?
 上品でいい匂い・・・ 香水が好きなほうじゃない私でも、嫌味に感じない程度の優しく甘い香りがした。
 真っ白くて大き目のお皿に、小さすぎるように見えるアップルパイ。
 だけど、白い空間を活かすように、赤いソースの上にホイップクリームが浮かんでいて、クリームの上にはミントが添えられていた。
 喫茶店で出てくるようなオシャレなケーキ。
 ここまで意表を突かれてしまうと何だか毒気が急速に抜けて行ってしまう。
「え、これ・・・」
「ちょうどさっき焼けたから。熱いうちにどうぞ」
「あ、ども・・・」
「おやつの時間には少し遅いんだけど、自信作なんだ」
 そう、口を動かしながら彼はまだ何かてきぱきとやっている。
 見たら、コーヒーを淹れたようだけど、まだ何かカップに細工みたいなのをしていた。
「・・・ちっ、失敗・・・」
 彼は何か納得がいかなかったようで、折角淹れたコーヒーを脇に避けて、もう一杯淹れていた方のカップにも同じことをしようとして、結局また舌打ちをした。
「ごめん、こっちは失敗作しか出来なかった・・・ 味は大丈夫と思うんだが・・・」
 そう言って、私の前にカップを置く。
 カプチーノなんだけど・・・
 多分、顔を描こうとして、失敗したような感じだった。
「これ・・・」
「心霊写真にしか見えないよな」
「・・・っ」
 し、しまった、何のギャグだ、これはっ。
 そう言われたらそうとしか見えなくなっちゃう。
 つい、不機嫌なのも忘れて吹き出してしまった。
「あの、もう片っぽも見せてください」
「・・・いや、それはやめといたほうがいいって」
「何でですか」
「アレは・・・ 少し呪われそうだぞ」
「それは・・・どうしても、見たいです」
「物好きだな・・・」
 彼は、しぶしぶ、といった様子で、失敗作のカプチーノを持ってきた。
 先に持って来た方もぼんやりとして輪郭がはっきりしない顔のようなものだったのだけど、彼が『少し呪われそうだ』と言ったこっちはもっと強烈で、何か叫んでいるような、しかも目から血の涙を流しているかのような溶けた顔になっていた。
「怖っ・・・!!」
 言って、堪らず吹き出した。
 絵心だけは確実にないっぽいよ、この人・・・!!
 笑い出したいのを堪えるのに少しだけ苦労する。
「あー別にこっちはいいよ、俺が飲むから・・・」
 彼は私の目から隠すように、すぐにその失敗作の怨念たっぷりなカプチーノを自分の方に引き寄せた。
 その様子に呆気に取られていた私は、彼が言わずに『食べてみて』という仕種をしたのだけど、厭な印象が少し和らいでしまっている事に自分で気付く。
 というか、目の前のアップルパイが凄く美味しそうだったのもある。
 フォークで切って、一口を頬張ってみる。
 サクサクしたパイ生地の香ばしいバターの匂い。少し酸味を感じるりんごは、上品な甘さでしつこくない。
「美味しい・・・」
「よかった」
 そう言うと、彼は自分のカプチーノを一度スプーンでかき混ぜてから啜る。
「折角の泡、混ぜちゃうんですか?」
「俺も流石にあれとキスはしたくないんで。飲み方は自由だと思うし」
 繊細な作業をする割には、割り切ったサバサバした性格なのかも。
 折角だからカプチーノもいただこうと思ったけど、薄ぼんやりした心霊写真と目があったような気がして、私もスプーンでかき混ぜた。
「・・・混ぜちゃうのか」
「いやその、怖いので」
 肩を竦めながら、カプチーノに口をつける。
 わー、まぜちゃったけどこれもおいしー。
 少し甘くてほろ苦い。アップルパイによく合っていた。
 赤いソースはクランベリーのようで、酸味が強くてつけてみたらアップルパイの酸味が増す。
 ホイップクリームをのっけて食べたら口の中に濃いミルクの味を感じて、また別の味になる。
 最後のほうにはクランベリーソースもクリームも混ぜ合わせてみたりしたけど、どうやっても凄く美味しかった。
「美味しかった・・・ ご馳走様です」
 結局完食。お皿の上はほんの少しだけ赤と白の縞々になっているだけで、まるで舐めたみたいに綺麗に食べつくしてしまった。
 彼は、それを見て少しだけ笑いながらお皿を下げる為に立ち上がった。
「気に入ってもらえてよかった。ファーストインパクト悪すぎだったようだし」
「え」
「俺のことは『シロ』でいいよ。奥様は何と呼べばいい?」
「あ、じゃあ、みこと、で。『奥様』は落ち着かないです・・・」
「へぇ、いい響きの名前だな。表札の漢字を見たら矢鱈と男らしい字だった気がしたんだけど」
「ああ・・・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のイメージが強いからですよね多分。友達の中には『タケル』って呼ぶ人もいます」
「ははは! なるほどねぇ、そうとも読めそうだな」
「あ、でも、『みこと』でいいですからね?」
「わかったよ。尊」
 ・・・。
 えっ。
 よ・・・ 呼び捨てなんですね・・・
 いや、良いんですが・・・ 良いんですけども・・・ 遙さんにさえ『尊ちゃん』と呼ばれているのに、家政夫さんがいきなり呼び捨てって・・・ なんとも・・・
 『シロ』と名乗った彼は、気にしたふうもなくダイニングで私の食べた皿とカップを洗っていた。
 対面式のキッチンだから、こっちの様子がよく見えるようで、私が立たずにそのままその場にいるのを察して、話しかけてくれる。
「制服、星稜だろ。遠いだろあそこ。電車で通ってるん?」
「ううん、自転車で・・・ 実家があそこから近かったの」
 無理して自分も敬語を使うのをやめてみた。
 年齢が上だからって媚び諂うこともないと思ったから。
 それに、何となくこの人はそういうことを気にする人ではないような気もしたから。
「はあ、自転車ぁ? 根性あんな〜」
 案の定。彼は気にしたふうもなく、砕けた口調でそう答える。
「普通だよ。一緒にここから通ってる友達もいるもん」
「あー、帰国子女だっけ? 一階下の住人」
「クラスも一緒で面白い奴なの」
「ふーん・・・ タマ除けにされてるとも知らずに暢気なやつめ」
「えっ?」
「いーや、こっちの話」
「・・・?」
 何のことかわからない私に構わず、彼は皿を洗い終わって私の向かいに座った。
「ふぅ、ちょいと休憩ね」
「あ、うん」
「さて、と」
 そして、前屈みになって少しまた不敵な光を目に湛えて片腕で頬杖をついた。
「遙から何も言われてないのか?」
「何も・・・って?」
「俺が来た理由。気を悪くしているようだから」
「・・・」
 気を悪くしたのはそれだけじゃないんだけどね!?
 色々と私に恥ずかしい思いをさせたことは、とりあえずもう触れないでいてくれるようだった。
 なら、引き摺って考えないで脳内削除!
 無理だけど、無理にでも、あのことを引き摺らないことにした。
「結婚した所為で尊の自由を奪ってしまってるって、思ったからだよ」
「え・・・? そんなこと・・・ないのに」
「尊と同い年の子は、学校の帰りに寄り道したり買い食いしたりカラオケ行ったり、もっと自由ではじけた生活を送っているだろうに、真っ先に帰ってきて掃除洗濯ご飯支度だろ。ただでさえお嬢で自由がなかった尊に、少しでも高校生活を愉しませてやりたかったんだろうさ」
「・・・っ!」
「・・・って本人が直接言うのは恥ずかしかったんだろうから代弁な」
 本人から直接聞くわけではなくても、充分にそれは嬉しかった。
 そんなふうに思ってくれてたと知れただけでも、凄く嬉しい・・・
「あと、来週テストだって聞いたし」
「え!!?? そ、そっち?」
「あ、こっちはサブ的に受け取っといて。結婚した所為で成績下げちゃったとかも呟いてたような」
「ええええええ!! そんなことまで??」
 私とはそんなに会話してないのに、何でこの人にそこまで?!
 逆に酷い、遙さん・・・
「さ、下がってはいないよ!」
「へぇ?」
「・・・あ、いや・・・ さ、下がった・・・かな・・・?」
「どっちだよ・・・」
 彼はくつくつと肩を震わせて笑った。
 正確には下げてない! と、主張したい。
 したいけど、そういう言い方はきっと・・・何というかとても高慢で憚られた。
 下がった、というよりは抜かれちゃった・・・が、正しい。
 ・・・転校生の白影君に。
 だけどそれまでトップだったことを鼻に掛けているような言い方になるから、結局、下がったと言っといたほうが無難な気がしてそれ以上言うのはやめた。
「でも、頑張ってたのはわかる」
「え?」
「変わってないんだな・・・ よかった」
 ほんの少しだけ、さっき見せたような不遜の色が消えて、穏やかな顔になった。
 わ、この人、こんな顔もするのか・・・
 ワイルドな印象が強かったんだけど、また雰囲気が変わる。
 そんな様子に気を取られてしまったから、彼の言葉の意味を捕らえ損ねてしまっていた。

 彼は、私を知っていたかもしれない、ということに。 

2011/03/07 up

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小声で編集後記のコーナー。
ぱーぷるうるふは、どうやら私が区切りやすいらしく、一話一話が今までよりも短めですね(笑)。
ていうか、とりあえず尊、気持ちの切り替え早すぎ(笑)。
そしてシロさん扱いにくい・・・ 元はこんなキャラじゃなかったのですが、元がどんなキャラだったかというと、
初対面で風呂場で尊を犯すようなキャラでした(爆笑)。
いやぁ、成長したよ君・・・www
あ、似たようなもんかも・・・www