第三章

U

「えっぎし!!」
「大丈夫・・・? スノウ・・・」
「は、はひ・・・ ぶしっ」
 漸くギルドから許可が下りて、人間界に降りてきたはいいのだけど、ギルドが指定した座標は人の集まる駅の中で、到着するなり鼻のいいスノウは色々な臭いの混じるこの空気に馴染めずにアレルギー反応を起こしてしまっていた。
 到着する前は大人の姿だったけど、今はすっかり7歳くらいの少年の姿になってしまっている。
「花粉症かな? マスクぐらいつけさせなさいよね・・・」
 あまりにも酷いくしゃみを繰り返すスノウを見かねたのか、通りすがりの誰かのひそひそした声が耳に入った。
 ・・・人間よりも感覚が優れているから、悪口とか、クリアにはっきりと聞こえるんですよね・・・
 現に、到着して暫くの間は、私の方が参ってしまっていた。
 人の多い場所では、多数の波長が入り乱れていて、特に『悲鳴』の波長なども強く四方から突き刺さってきて、眩暈と動悸に見舞われて、已む無く感知能力を全部抑え込んでシャットアウトして今は持ち直している。
 この状態だと、私にとっては目隠しをされている・・・とまではいかないけれど、片目を塞がれているくらいの不便さを感じるんだけど、体調を崩すよりはまだマシだと思うことにした。
 スノウに関しては聞いてはいたけれど想像以上で、何の備えもなかった私は自分の迂闊さを恥じ、スノウの鼻にハンカチを当てた。
「ちーんって、鼻かんで」
「そんな! 不敬にも程があります」
「あはは、不敬って・・・ 気にしないでって言ってるのに。それに、連れて来た私の責任なんだから。じゃあ、これ、ちょっとの間当てていて。少し移動しよう?」
「は、はい・・・ えぶしっ」
 ハンカチを汚したらいけない、とスノウは思っていたみたいだけど耐え切れずにハンカチに向かって盛大にくしゃみをした。
 これは、移動するとかより先ずスノウを何とかしてあげなくちゃ。
 私はスノウの手を引いて、駅の見取り図を探し、幸いにも近くにあった駅内のドラッグストアに駆け込んで、使い捨ての子供用のマスクを買って、そこに自分の羽根を糸に変えて縫いこませた。
 上手くフィルター機能が働いてれば良いけど・・・
「これ、つけてみて」
「はひ・・・」
「暫くこれで様子見てみよう。鼻が利かないとスノウも大変だろうから・・・」
「本当に足手まといに成り下がってしまいまして申し訳ありません・・・ 貴重なお金まで使わせてしまって・・・」
「気にしないの。・・・で、動けそう?」
「はい、幾分楽にはなりました・・・ 嗅覚も時間が経てば戻りそうです」
「よかった」
 とりあえずは一安心だけど、兎に角、何とかギルド斡旋の寮に移動しなきゃ。
 最初にそこの座標に空間移動でいいじゃないの、まったくもう、手順が面倒なんだから、ギルドは・・・
 駅から電車移動で寮まで辿り着けるかということも大事なこっちでの生活の一つだから、出来なくてはいけないことなのだけど、わかっていても愚痴らずにはいられない。
 スノウの手を引きながら、路線図から寮のある駅を確認して、券売機で切符を買って、改札を何とかくぐり抜けた。
 全て実習で経験していることなんだけど、教官がいるのといないのとではこんなにも緊張感が違う。
 スノウの手を握る私の手が汗ばんでいるのは、初夏の季節の所為だけじゃない。
 これから不慣れな生活をしなきゃいけないから、気を緩めてはいけないのだ。
 スノウの手を握りながら電車に乗り込んだのだけど、私は一つだけ失念していたことを盛大に後悔していた。
 あああ・・・っ!! 今、ラッシュアワーでしたね・・・っ!!
 並んでいるときから人が多いな、とは思っていたけれど、小さい箱に押し込められると窮屈さは想像を超えていた。
 入口でもみくちゃになって、あっという間にスノウから手が離れてしまう。
【す、スノウっ、無事!?】
【はい、何とか・・・】
【降りるときに声かけるから、もう少し我慢しててね・・・ ごめん!】
【ご心配なく。鼻もだいぶいいので、迷子にはなりませんから】
 テレパスで話しかけたらちゃんと返事が返ってきた。
 子供の姿だからどうしても心配してしまうけど、スノウはそんなに心配しなくても大丈夫かもしれない・・・ も・・・ 問題は、私の方かもしれない・・・っ!!
 自分に何が起きているのか信じられない。
 話には聞いてたけどラッシュのときに出るという・・・ まさかっ、これが、痴漢って奴・・・!!??
 お尻に何だかむずむずするような、何かが這うような感覚。
 ・・・ま、待って、私。先ず落ち着こう?
 ほら、これって、自意識過剰ってこと、あるじゃない?
 意識の奥のほうで、まさかこれがそうだとは認めたくない自分がいて、自分が悪いわけじゃないのに何故か必死に私は言い訳をしていた。
 ・・・やっぱり、違う。
 探るように、さっきまでは控えめにさする程度だったのに、揉むような、掴むような強さが込められているような・・・
 これはもう・・・ 明らかな『故意』。
 いやだ・・・ き、きもち、わる・・・!!
 ・・・ち、近過ぎて振り返れない・・・
 後ろの気配を探ろうとして、軽く眩暈がした。
 暑苦しい吐息が、首筋に、耳の後ろにかかっている気がする。
 ・・・こ、こういう時どうするとか、マニュアルに載ってなかった・・・
 そりゃそうだ、大体ハンターは女性がなる仕事ではないと思われてるし・・・
 何故か、こういうことを受けることが凄く恥ずかしくて、スノウに助けを求めたりは出来ない・・・
 何で、私に非があるわけじゃないのにこんな恥ずかしい思いをしなくちゃいけないの・・・っ。
 自分で何とか切り抜けなきゃ。これは、許してはいけない事なのだから!!
 お尻に触れる手にだけ集中。
 静電気を装って、特大の電撃を喰らわせてしまおう!
 能力は人間相手に使っちゃいけないんだけど、ばれなければ問題なし!
 不快感と怒りから、制約を振り払ってしまおうとしていた私は、突然気配が消えて急に我に返った。
 ・・・あれ?
 振り返るには勇気が要ったから、恐る恐る体を捻って自分のお尻のほうを確認しようとしたら、私のお尻を撫でていた手を、別の手が戒めるように掴んでいるのが見えた。
 この位置だと、私の真横にいる、この、矢鱈背の高い男の人の手が、別の手を掴んでいるから私を庇ってくれたのかもしれない。
 救いの手であることを疑いもしなかった私は、無防備にその男の人を見上げた。
 他の人よりも頭一つ分くらい背が高いから凄く目立つ容姿だったのもあるのだけど。
 息を呑むくらい綺麗な男の人だった。
 ・・・あっ、最近また闘技場通いで屈強なオジサマ方ばかり見てたもんだから、美青年に免疫が低くなっている所為もあって、つい、まじまじ見てしまった・・・
 あれ・・・? どこかで見たような気が、しなくもないんだけど・・・ どこだっけ・・・?
 思い出せなかった。こんな綺麗な人、見たら忘れないと思うんだけど・・・ ってことは、気のせいなのかな・・・?
 フレームのない度のきつい眼鏡をかけている顔に、覆い被さるように艶やかな漆黒の長い髪が纏わりついている。
 夏なのに長袖のシャツ。でも、汗も浮いていない涼しい表情・・・を、通り越して絶対零度の表情のまま、私のお尻に触れていた痴漢を見下ろしていた。
 ゾクッと寒気がするほど、冴え渡る氷のような瞳。
 綺麗だから、余計凄味が増して見えた。
 私の視線に気付いたのかどうなのか、彼は何も言わずに痴漢の手を私から引き離した後、何事もなかったかのように痴漢の手を離した。
 ・・・あれっ?
 こういうとき、普通、警察というのに通報しないのかな・・・?
 ハンターのマニュアルには、人とのトラブルはなるべく避けるようにとの指示があるから出来る限り避けられるならその方がいいんだけど・・・ でも。
 そうしているうちに次の駅に着いた途端に、私に触れていたと思われる痴漢らしき男が降りて行ったのが見えた。
 あ・・・ よ、よかった・・・ とりあえず難は去った・・・の、かな?
 でも、その駅からもぎゅうぎゅうに人が詰め掛けてきてスノウと合流する余裕はなかった。
 箱に乗って、景色が見えない状態での横移動ってだけでも三半規管が麻痺してくるような気がして気持ち悪い。
 空間転移でさえ、酔ったことのないこの私が・・・
 さっきまでは昇降口に近かったのに押し込まれて大分中に入ってしまっているし、吊革に空きはなく、自分の足で何とかGに耐えているような状態だった。
 くぅ・・・ もうやだ、満員電車・・・ 最悪・・・
 そう思っているうちにまたお尻がもぞもぞするような気がして、悪寒と吐き気が同時に込み上げてくる。
 満員電車って・・・こんなことが当たり前に罷り通る世界なのか。
 もう、人生で最初で最後でいい、こんな経験・・・ 最低最悪・・・
 そう思っているうち、また、触れる手が大胆になってくる。
 ・・・泣き寝入りとか、嫌だ。絶対に、どうにかして自力で切り抜けなきゃ・・・!
 そう思った瞬間に、また、気配が急に消える。
 あれっ・・・?
 きちきちの状態だけど、何とか首だけを廻らせて確認したら、また同じことが起きていた。
 さっきの長身の綺麗な人がすぐ真横にいて、私に触れていたと思われる手を無表情で掴んで、さも不潔なものを扱うかのように振り払った。
 この人、こういうことを見過ごせない人なのかな・・・?
 でも、そうだとは一概に思えない部分も少しだけ見えた。
 綺麗な顔が、少しだけ・・・ 侮蔑を含んだ嘲笑を湛えてすぐ掻き消えた。
 私は、敢えてそれを見なかったことにしようとした。
 できれば、人の善意を善意と思って受け止めておきたかった。
「おい」
 耳元で誰かが私に囁く。
 ・・・痴漢から救ってくれた人、ではない方向から。
 さっき、私に触れていたと思われる誰かの方向から・・・
 ・・・考えたくはないけど、これは、痴漢がいた方向・・・
 直接声をかけられるとは思っていなかったから、振り返ることも反応することも出来なくて、硬直するしかなかった。
「この車両に乗ってるってことはどうせ『されたくて』乗ってんだろ。次で降りろ。『して』やるから」
 ・・・?
 な、何を・・・ 言ってるの?
 私が一体何を『されたくて』、この痴漢は何を私に『して』・・・
 ・・・・・・・・・・・・!!!
 は、吐きそう・・・
 最低、そ、そんな風に思われてたなんて・・・っ!!
 ・・・恥ずかしくて全力でここから逃げ去りたい。
 誰も私の事なんて知らないに決まっているけど、それでも恥ずかしくて顔をあげられなかった。
 感知能力を塞いでいたから気付けなかった。
 よく観察してみたら、この車両には確かに女性は極端に少ない気がする。
 そして、大体の女性は囲まれてて様子がわからないんだけど、異様な熱気と雰囲気があるような気がして、私はそれで全て理解した。
 ・・・でも、自分の危機は去ったわけじゃない。
「おい、聞いてるのか?」
 痴漢の分際で、何でこんなに上から目線で言ってくるのよ・・・っ。
 言葉を交わすだけでも汚らわしくて、私は無視を決め込もうと思ったのだけど、無情にも、次の駅に到着を知らせるアナウンスが流れている。
「来い」
 痴漢は私の手を強引に掴んで引っ張ろうとした。
「・・・やっ・・・ イタ・・・っ!」
 強く掴まれて、人の波に揉まれて腕が捻られて痛い。
 能力を使えばこんなの簡単に振り払えるけど、それを使えないという制約だけでこんなに自分が無力になるとは思ってもいなくて、私はぐいぐいと引っ張られてしまう。
 この駅は降車する人は多いようだけど、幸いにも乗車の人は少ないようだから、ホームに降りて人の波を遣り過ごしたら体術で捻り返して瞬時に電車に戻ろう!
 シミュレートして納得して、電車から痴漢がホームに足をかけた時だった。
 バチッ、と、何か弾けるような音がした瞬間、痴漢の手が私から離れていった。
 足を踏ん張って、痴漢に引っ張られるのに抵抗していた私は降車の人波の最後列になっていたらしく、勢いで二・三歩後退りした。
 痴漢は振り返って私を見た。
 初めて顔を見た。
 ・・・普通の、サラリーマンぽいスーツの男の人。
 私の腕を掴んでいた右手を左手で押さえながら、その顔が醜く歪んでいくのが見える。
「お前、俺に何をし・・・!」
 一歩、こちらに歩を進めて戻ってこようとしたのを遮るように、私を追い抜いて降車する人が昇降口に向かう。
 それはまたしてもあの長身の眼鏡の人で、その人を見た瞬間に痴漢は一瞬怯んだ。
 その隙に、眼鏡の人は人差し指で、つん、と痴漢の胸を突くと、痴漢は力を失ったようにその場に尻餅をついて、その後昇降口のドアが閉まった。
 そのまま横にスライドするように景色が流れていく。
 私にとってはめまぐるしく色々なことが起きていたのだけど、それはまるでいつもの光景のように、誰一人として私やこの人を注目して見ていることはなかった。
 何だかわからないけど、とても鮮やかなかわし方だった。
「主っ。無事ですかっ」
 随分人が少なくなって、私の傍にスノウが走り寄ってきた。
「あ、うん・・・ 何とか」
 強く掴まれた腕が少し鬱血して赤くなっていたけどそれはとりあえず黙っておく。
 それよりも・・・
「すみません何度も、ありがとうございました」
 人が掃けたら絶対にお礼を言おうと思っていたから、長身の人に頭を下げたら、
「いやいや、困った顔が可愛かったものだからつい、ね・・・」
 と、なにやら含みのある言い方ではぐらかされた。
「おいこら」
 突然別方向から低い声がして、振り返ったら茶色のストレートの短髪の男の人がつかつかと後ろの車両からこちらに歩み寄って来ていた。
 どう見ても剣呑とした空気を纏っていて、また私は硬直した。
 うわ、この人も、すっごい美人だ。
 色素が少し薄いのか染めているのか、少し茶色っぽい髪はストレートで、左眼の上のところから左右にふわりと分けられている。
 背は、明と同じくらいかな・・・?
 ・・・ホント、最近美形免疫下がってるんだな、私。どんだけ美形を連発すれば気が済むの・・・
「ちょっと目を離した隙に、何でこの車両に乗り込んでんだよお前。油断も隙もないな」
 美人な男の人は、長身の男の人の連れのようだった。
「誤解だ」
 私を助けてくれた人は少し苦笑いして彼にそう告げたけど、彼はそれをどう受け取ったのか、軽く無視して私に向き合う。
「大丈夫? 何も、されてない?」
「あ、あの」
「待て待てコラ。ここじゃまずい。隣の車両に移動しよう」
「は? 何でお前がそんなこと」
「だから、誤解だ。早く行け」
「・・・」
 彼は不服そうな顔をしたけど、長身の人に促されるまま、4人連なって隣の車両に移動した。
 さっきはぎゅうぎゅう詰めで移動さえままならなかったけど、さっきの駅がオフィス街だったのか、随分人は減っている。
 スノウは大人しく私の後をついてきたけど、何か少し思案顔をしていたような気がする。
 移動した車両には女性も男性も同じくらいの比率で乗っていた。
 この車両は、きっと大丈夫な車両なんだと勝手に納得していたけど、視線が集まってきてすぐに合点がいった。
 この二人、本人にその気がなくても凄く目立ってるんだ。
 二人とも慣れっこなのか意識していないのか、そんなことは全く意に介してはいないようだった。
「で? 何でお前あの車両に乗ってたんだよ。人を撒いてまで」
「誤解だって。撒いてない。お前の歩みが遅かっただけだ。それにどうしても目についたら放っておけなくなってな・・・ わかるだろ」
 短髪の人が長身の人を責めるような言い方をしたけれど、長身の人が私を顎でしゃくって示して、気がついたように短髪の人が私と、スノウを見た。
「あ・・・ そ、そうか・・・」
 短髪の人は何か、急に納得している。
 私の方が訳がわからなくて、口を噤んで様子を見ていた。
「な。そんな小さな子供を連れて、あの車両に乗り込むということは『知らない』ってことだろ。おのぼりさんなんだろうと思ったら、放っておけなくなった」
「人助けなんて柄じゃないのを良く知っているから先ず疑っちまうんだよ・・・ そういうことなら常日頃から品行方正にしていやがれ。・・・ったく」
「素直に人を褒められないのか、お前は」
「調子に乗るだろどうせ。誰が褒めるってんだよ、馬鹿」
 短髪の人は、ぷいとそっぽを向いてしまい、そんな様子に長身の人はまた苦笑いした。
 何だか仲の良い二人。どういう関係なんだろう?
 でもここは『都会』だ。他人に干渉してくることはあまりないって、マニュアルにあったから、こっちから何か聞くのは不自然かもしれない。でも、それを踏まえるとこの二人はとても親切にしてくれる。
 ・・・そういう時は疑ってかかれ、ともマニュアルにあったっけ。
「ところで、通学時間なんだけど二人とも学校は?」
「えっ」
 短髪の人に聞かれて、一瞬用意していた答えを思い出すのにかかってしまったのだけど、
「帰国したばっかりでまだバタバタしてるんです。落ち着いてから通おうと思ってるんですけど」
 と、マニュアル通りに答えたら、長身の人が
「ふぅん・・・ 帰国子女、ねぇ・・・」
 と、なにやら含みのある言い方で少しだけ笑った。
「何だよその含みのある言い方はっ。お前は大概感じ悪いんだよ全く」
「いやスマン。うちのクラスに曰くありげな帰国子女が少し前に2人も転校してきたんで思い出したんだよ。案外帰国子女ってのは身近にいるもんなのかなって」
 うわっ、言い訳として不十分だったのかな、何か勘付かれちゃったかな・・・
 この人、学校の先生なんだ・・・ 少し、意外。
「あの、曰くは多分あんまりないです、私の場合」
「自分では曰くありげかどうかなんて、わからないだろ」
「あはは、そう言われたらそうですね」
 とりあえず取り繕う為ににっこり笑っておいてはぐらかしてみたら、それ以上は二人とも聞いてはこなかった。
 行きずりの相手なのだから、そう根掘り葉掘り聞いてはこないか・・・ よかった。
 胸を撫で下ろしていると、電車の速度が少し落ちたことに気付く。
 次の駅が近付いてくる。
 私が降りる駅は、この駅のまた次の駅だな、よし、そこで漸く降りられる・・・
 新天地が近付いていることを思い出して、また、不安と期待が混ざったような何とも言えない気持ちになった。
「さて。それじゃ俺はここで。これからは通学時間の電車には少し気をつけてな」
 駅に着いて電車が停まり、長身の人だけが降りようと出口に向かっていく。
 勤務先は違うってことなのかな?
「あ、本当にさっきはありがとうございました!」
 慌ててお礼を言うと、長身の人は少し振り返って手を振り、そのまま降りて行ってしまった。
 その姿を見送っていたら、女の子が数人近付いていってあの人に挨拶していた。
 皆同じ制服。教え子さんたちかな?
 やっぱり、私の想像通り女子人気凄いなあの人・・・
 女子生徒の一人が私のほうを振り返った。
 わ、あれは敵意の表情・・・ そうか、電車では独占してたように思われちゃったのですね・・・
 私は、曖昧に苦笑いするしかない。
 そうしているうちにまたドアは閉まって、再び電車は動き出した。
「?!」
 スノウが突然私の腕を掴んだから吃驚して振り返ると、スノウは真剣な顔をして外を指差していた。
【主!! あそこに逃げた者達3人全員がいます!! 今!!】
「えっ!!??」
「ん?」
 スノウはわざわざテレパスで伝えてきてくれてたのに、私が驚いて声を出してしまったから、短髪の人が私を振り返る。
 短髪の人は私ではなく、車窓の外を指差すスノウに気付いて、指差す方向に顔を向けている。
 建物の隙間から見えた真っ白い大きな建物。
 4階建てでL型になった造り。ホールっぽい建物もくっついていて、土の平面の庭も見えた。
「あれ、星稜高校だよ。あいつが勤めてる高校なんだ」
「あ、そ、そうなんですか・・・」
「あれがどうかした?」
「いえ・・・」
 が・・・ 学校!!??
 この二ヶ月の間に学校に通えるほどに人間界に溶け込んじゃってるってこと?!
 最初にスノウが範囲を絞り込んだ時にも、『あれ?』とは思ってた。
 ・・・あっちで生活してたら絶対こっちの文化とか習慣に馴染むのに時間かかるだろうから、もっとひと気のないところを選んでいると思っていたのに、都会の真ん中なんだもの。
 これは・・・ まあ、最初から覚悟はしてたけども、長期戦予想だなぁ・・・
 しかも凄い護衛がついてるし。
 あの結界能力者と隠形能力者。
 加えて本人、出鱈目強そうだし・・・
 作戦はいくつか考えては来たんだけど、どれも平和的なものばっかりで・・・
 問答無用でバトルになっちゃったら、私、絶対勝てない。
 その辺りの解決方法は、少し考えてきてはいたんだけど、あまりにも杜撰すぎて実行に移すには勇気が要る。
 ・・・今は見送るしかないな、まず、拠点から・・・
「ごめんスノウ、今は追えない・・・ 色々と足りなすぎる」
「・・・そうで・・・すよね。本国でなら私がもっと動けるでしょうけど、都会だとこれが限界ですからあまり戦力にはなれないでしょうし・・・ 時間はあまり許されていませんが長期戦覚悟ですね・・・」
「何と戦うの?」
「え!? いえ、帰国間もないので、馴染むのに時間かかりそうだな〜〜って話ですよ!」
「ふうん?」
 スノウと私の会話に、短髪の人が割って入ってきて、私はまた慌てて適当な言い訳をした。
 あああ、いっぱい嘘ついてるなぁ・・・ 何か、罪悪感が・・・
 そうしているうちに、降車駅に着いた。
「私たちここなので。お世話になりました」
「いや俺は何も。またどこかで会えるといいね。さよなら」
「はい。さようなら・・・」
 短髪の人はにっこり笑って私を見送ってくれた。
 彼はまだ電車を降りなかった。
 ほんの少しの間なのに何か別れを言う時には寂しい感じがする。
 本当にまた会えたらいいな・・・
 どこかで会ったような気もするし・・・ う〜ん・・・ でも思い出せないけど・・・
 電車が通り過ぎるまで少しボーっとしてから歩き出すと、スノウが私の手に自分の手を重ねて握ってきた。
 小さい子供の姿だから自然な仕種だけど、昨日まで大人の姿をしていたスノウなのに、能力の低下が思っている以上に負担をかけているのかもしれないと思って手を握り返した。
 精霊は環境にとても影響を受けやすいから、この都会はとても居心地は悪いんだろう。
 寮までは駅から徒歩7分ほど。
 意外に交通の便は良い所に建ってる。
 きちんと整地されているから、精霊が力を発揮しにくい環境が揃っているみたい・・・
 住宅街みたいで、少し入り組んでいる路。
 夜になったらかなり暗そうかも・・・
 と、抜かりなく周りの様子もチェックしつつ歩いていたら、スノウが口を開いた。
「変わったヒト・・・でしたね」
「ん? ・・・うん。都会の人なのにフレンドリーだったね。色々とピンチだったからホント助かった」
「・・・そう、ですか」
 何だかスノウが歯切れ悪い。
 スノウが包み隠さず何でも話してくれていた印象を持っていた私は、スノウの様子に少し違和感があってスノウを見たら、私の視線に気付いたスノウは少し考えてから口を開いた。
「あの、さっきの二人・・・ 双子ですね」
「えぇええ!!?? 全然似てなかったよ」
「見た目は似てませんでしたが個体の匂いが全く同じだったんです。纏っている匂いには大きな差がありましたから、それで戸惑ってしまったのもありますけど」
「そうなんだ・・・ 纏ってる匂いの差、って、どんな感じなの?」
「ええっと・・・ 表現しづらいのですが、長身のほうが乱れている、と言う感じですかね?」
「???」
「うーんと・・・ 生活態度が乱れている、と思っておいてください。逆に、短髪のほうはとても清潔な匂いでした」
「へぇ・・・ スノウって、ひょっとして匂いだけでその人の性格とか生活態度わかっちゃうの?」
「匂いでわかることもあればわからないこともあります。匂い以外でわからないことは、状況を知る精霊達が教えてくれます」
「うわっ、隠し事出来ないね」
「私はアイスほどは情報収集能力に長けているわけじゃないですけどね・・・ でもまあ、『地』の他に『水』も協力してくれるので、少しは情報収集では役立てると思います」
「うん。頼りにしてる」
 スノウやアイスさんのような精霊の長は、自分の眷属を使役することの他に、竦みの法則の自分より下位に位置する精霊にも協力を得られるらしかった。
 主に精霊は『地』『水』『火』『風』が森羅万象を司る『四霊』と言われ、『光』と『闇』が陰陽を司る『二霊』と言われている。
 地は水に強く水は火に強く火は風に強く風は地に強く、光と闇は相克しあう、っていう竦みの法則があって、それによるとスノウは『地』なので水は支配下に置けて、風には逆らえないってことだった。
 でも、地と水が味方なのはとても心強い。何せ、この二ヶ月ただダラダラとしていたわけでは、ないのだからっ!!
 ぐっとスノウの手を握ると、スノウが私を見上げて人懐こい笑顔を浮かべた。
 ホント、今は隠してるけど尻尾パタパタ振ってる感じがして、可愛い。
 漸く、新天地であるギルドの寮についた。
 名前は、えっと・・・『街村荘』。
 意外と大きい・・・ けど。二階建ての木造建築のなんとも味のある建物だった。
 少し傾いてるような・・・い、いや、気にしない気にしない。住めば都かもしれない。
 お、嬉しいことに裏は鬱蒼とした雑木林。
 何で嬉しいのか、というとスノウが力を取り戻すのに必要な場所だからなんだけど、雑木林を背に佇む『街村荘』は・・・ 妙な迫力があった。
「・・・え? 何だって?」
「ん? どうしたのスノウ」
「・・・いえ、あの・・・ 珍しく風の精霊が近寄ってきて何か言ってると思ったら・・・」
「? うん」
「あれはかなりの『魔窟』だから気をつけろ、だそうです」
「・・・」
 そ、そんな、見た目からしておどろおどろしいあれに今から乗り込んで行く私の気を殺ぐようなこと言わなくても・・・ 風の精霊って・・・ 気まぐれで意地悪だ。
 あれじゃないところに住むには初期費用かかりすぎるんだもん。換金レートも馬鹿高いし。
 立地的にも好条件だったからここにしたんだけど、下見は出来なかったからなぁ・・・
 選り好みできる状態じゃなかったんだけどそれにしても、ま、『魔窟』・・・って、何。
 行った事ないからそれがどういうもんなのかわからないけど兎に角やばそうなのは伝わった。
 もう、さっきの不安と期待の入り混じった感情は消えた。今は不安しか・・・
 入口はレトロな硝子格子の引き戸だった。
 型硝子だから中は見通せないけどかなり汚れている。
 中は、本当に、真っ黒にしか見えない・・・
 ホントにここに人住んでるの!?
 そう思いながら意を決して引き戸を開く。
「ごめんください〜。今日からお世話になる者ですが・・・」
 中に入ると二階からドダダダダッという轟音と共に6人ぐらいが駆け降りて来た。
 皆、『ハンター』のイメージどおりの、屈強で筋肉質で傷の多い人たち。
 そして階段の中程で私と目が合った一人が止まると、後ろにいた人達に押されて全員で階段を転げ落ちる。
「・・・えっと・・・」
 な、何これ。どういう状況・・・?
「馬鹿、お前何で止まるんだよっ」
「いや、あれ、ヒトの子供じゃね・・・? どう見ても同族の『ハンター』じゃなかろ」
「今日から世話になるって言ってたじゃねぇか! 構うこたねえ、引きずり込め!」
 言うや、一人が私の腕をむんずと掴んだ。
 それは、朝、痴漢に掴まれたのと同じ左腕。
 今日は朝から・・・災難ばっかりなんだけど!!
 一瞬で今朝の不快な感情を思い出した私は、引っ張られる前に相手の懐に入り込んで右手で鳩尾を強く押した。
 不意のことに対応し切れなかったのか、左腕の戒めが少し緩み、そのまま肩から押したらその人はコロンと床に尻餅をついた。
 ・・・あれっ。能力使ってないけど、そう言えば今朝の長身の人もこんな体裁きしてたな・・・と、ぼんやりと思い出しながら、私は気が立っていたのか言葉を吐いていた。
「次は誰!?」
 言ってから、全員がぽかんとして私を見ていることに気がついた。
 あっ。
 や、やっちゃった・・・ 今日からお世話になるって言ってたのに・・・!!
2011/07/09 up

Web Clap
管理人のやる気の糧になります。
が、オリジナル御礼は現在1種のみ(しかもEGとは無関係)です・・・(遠い目)

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ご感想、誤字、伏線の拾いそびれ、デッドリンク、物語の齟齬などの指摘(←恥)、
ございましたら遠慮なくお願いします(他力本願)。
折を見て修正します(何か色々読み返したら見っけてしまったorz)。
お返事はNEW+MEMOにて。



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がっつきまくりですみません(苦笑)。


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小言で言い訳。
また久々の更新で申し訳ないです。
今回は何だか物凄くスランプで全然書けなくて、雨サイド苦手なのを実感してしまいました・・・
伸太郎サイドは書きやすいんだけどなぁ。
次も雨サイドです。
次はあんまり間をおかずに更新したいなぁ・・・(^-^;