第二章

XI

 あ〜もう、泣きすぎた・・・ 目が腫れぼったい。
 でも泣いたお陰で色々すっきりした。
 正体をなくして号泣するなんて、きっと恥ずかしいことなんだけど、こんなに大泣きしたことは久しくなかったから、恥ずかしさよりもさっぱりしているかも。でもそれは凄く皮肉のような気もするけれど。
 泣き止んで歩けるようになった頃には、お兄ちゃんが物凄く気にかけてくれて、目が腫れてるから施術しようかだの、歩けそうもなかったらおんぶしようかだの言ってきて、どんだけ過保護にする気なんだろうこの人は、と思ったら噴き出してしまって、何でそこで笑うんだと憮然とされてしまった。
 大体おんぶって・・・ 私よりも非力なお兄ちゃんでは100mもたないと思うんだけど、そこを突っ込むときっと傷つくだろうからやめておいた。
 お兄ちゃんが気遣いをやめた頃、奥のほうにレア様が言っていた『洋館』の全貌が見渡せるようになってきた。
 ・・・いやあ・・・ アレは、立派な神殿ですよね・・・
 白で統一されたとても大きな神殿がでーんと構えていた。
 見上げるくらいある。
 少なくとも、私が知っているレベルではこれは普通にお城と言っても良いと思うレベルの。
 女王の住まう『白霞宮』と同レベル以上の神殿があった。
 そう言えばあそこも白いんだけど、この神殿は朝日を浴びていて、白よりはアイボリーが強いかも。
「ああ、あれ? 『神殿』って言ったら大袈裟だから、ちょっと弱めに言ってみたの」
 レア様が笑顔で事も無げにそう告げた。
 この人滅茶苦茶喰えない人だ・・・ 困る。
 それがお茶目なのか匙加減なのかがまだ全然わからないから余計に困る。
 ・・・多分、一生かかってもわからないような気もする。
 それだけ大きな人生の経験値の差も感じる。
 それでいて、レア様は凄く人が好きなんだという気もする。
 色々、凄いなあと思って見ていたんだけど、それを思ったら大泣きしたのはやっぱり恥ずかしかったかも・・・
 き、気をつけようホント、これからも。
 そんな事を思いながら、レア様の案内するままその神殿へと入って行った。



+++☆★☆★☆+++



 入ってすぐの間は巨大なアーチ状になった壁画の巨大な空間になっていた。
 色々絵が描かれているんだけど、抽象的過ぎて表現に困るような絵がある。
 真っ裸だったりとか、見ちゃいけないような、目の毒な感じのもあったから、私はあまりその壁画をなるべく直視しないように通り過ぎたのだけど、その次の間は、さっきの部屋よりも広くなっていて、舞踏会でも出来そうなほど広くて華やかで荘厳な空間だった。
 おおおおおおお!!!
 すごい。凄いよーーー!!
 パイプオルガンがあるーーー!! 国宝級のーーーーー!!! 超巨大なのがーーー!!! き、気になるーーーーー!!!!
 何よりも私の目をひいたのはそう、巨大なパイプオルガンで。
 鈍い金色のそれは、ドーム状になっていてたくさんの筒が天を目指してにょきにょき生えている。
 そのど真ん中には演奏する場所・・・鍵盤があった。
 凄いよー、どんな音するんだろう、触ってみたいよー!! どんな構造なんだろう、解体したりしたいよー!! こんな時じゃなかったらー!!
 部屋の最奥に鎮座していたパイプオルガンをガン見しまくる私には誰も構ってくれず、その横にある小さいドアを、後ろ髪を引かれる思いで潜り抜けた。
 そこは、さっきの部屋とは全然違っていて、図書室みたいになっていた。
 ここも結構な広さがある。天井も高い。
 3階くらいの高さがあって、真ん中は吹き抜けになっている。どの階にも本棚が折り重なるように並べられていて、本がきっちりと詰まっている。
 階段がないのは、きっと、ここを使う人は皆『浮揚』を使えるからで、階段に使うスペースも惜しんで作ったんじゃないだろうかというほどに本がいっぱいあった。
 うわぁ、これ、明が喜びそう・・・
 何の本なんだろう、凄く沢山あるなあ・・・
 少し行くと、読書スペースなのか、テーブルと椅子があって、そこには本が山積みにされていた。
 どんな本なのかなと思って表紙を見たんだけど、これは多分古代語なんだろう、読めなかった。
 明は平気でこういうのすらすら読んでるんだけど、多分レア様やシアド様の影響なのかなあ。
 こういうのもいずれ勉強しとかないと・・・
 知識欲はあるにはあるんだけど、とりあえず今必要なことに追われていてなかなか手を出せないけど、余裕があったら色んなことには挑戦したい。
 横目でそれを見つつ、その図書室も通り過ぎ、またドアがあってそこをくぐると今度は如何にもな感じの居住スペースがあった。
 うちの貧乏居住空間と比べてはいけないんだけど、そんなに変わらない感じの、居心地のいい場所だった。豪華な調度品とかもあまりなく、寧ろ質素なんだけど、若干散らかっていたりもして、ここで明らかに人が生活している空気を感じる。
 さっきの図書室やパイプオルガンの間(勝手に命名)ではぐうたらできないけど、ここならそれは許される雰囲気。
 奥のほうに台所もある。
 鍋から湯気がでている。
 そしてその前にはとても大きな円卓があって、真ん中にはさっきの花畑にあった花々が花瓶に活けられていた。
 それを囲うようにパンやサラダが並べてあって、瑞々しくて美味しそうだ。
 ・・・ん、待って。
 誰もいないって言ったのに、これだけのものを用意しているって事は他にも誰かいるということでは・・・
 まさかレア様がこれを焼いたりもいだり料理しているとか・・・
 私がきょろきょろすると、さっきは誰もいなかったのに、台所から黒い燕尾スーツのシルバーグレイのオジサマがシチュー皿とさっきの鍋をカートに乗せてカラカラと運んでくる。
 あ、やっぱ他に人いるんだ・・・
「うわ!! アイス!! お前何してんの??」
 スノウが突然声を上げた。
 え? アイス・・・? って、さっきの一角天馬・・・ えええ!!???
 片眼鏡のオジサマは、口ひげを上品に生やしている、どこからどう見ても『執事』スタイル。
 な、生執事ですけれども、この方、風の精霊なんですかホントに!??
 ご飯まで用意してるよ・・・
「主の役に立っているのだ」
 アイスさんはスノウの言葉に抑揚のない声で答えた。
 あくまで、本当に執事に徹するつもりらしく。
 さっきお馬さんだったのに、この洗練された身のこなし。
 少し獣っぽい感じもするスノウと比べて、誰も獣人だなんて気付かないだろうな・・・ まあ、スノウも全くわかんないんだけど。
 スノウはスノウで、野性的で良いんだけど、対称的だ。
 アイスさんは、鍋のほかほかのシチューを皿によそって、それぞれの椅子の前に置いていく。
 クリームシチューだ。美味しそう・・・ そう言えば暫くこういうもの、食べてない。
 『稀味軒』は、定食メニューが多かったし。
「どうぞ。多分、大丈夫だと思うわ」
 レア様は微妙な発言をした後、手を合わせて一言述べる。
「豊穣に感謝を。いただきます」
 ぺこっと頭を下げたので、釣られたように一同皆で頭を下げ、思い思いに食べ始める。
 一瞬、食べていいのか迷ったんだけど、折角出されたものを固辞するのも失礼だし、レア様は既に食べ始めていたので、ご相伴に預からせてもらった。
 美味しい。
 漸く一心地ついた気がする。
 パンは外はカリカリで中はふんわりもっちりしていた。
 サラダを彩る野菜たちは採りたてなのか、洗ってすぐ出されたように少し水気を含んでいて、酸味のあるドレッシングがかけられているのだけれど、それも食欲を注いで丁度良かった。
 クリームシチューも絶品で、とても深みがあって美味しい。
 根菜が煮込まれて柔らかくなっていて、中にある肉もとろとろだった。
 人の事言えないけど、レア様も肉食べるんだなぁ、などと関係ないことを思ったり。
 ・・・レシピが気になる。誰が作ったんだろう。
 ・・・多分、あの、生執事・・・ アイスさん、なんだろうか。
 聞きたいけど聞けない雰囲気・・・ あの人、全く隙がない。
「食べながらで構わないから聞いてね。明とグレイから、昨夜良くない報せが届いたわ」
 不意にレア様が口を開いた。
 手元ではパンを千切ってシチューに浸している。意外に庶民的な食べ方をなさるんだな、と思いながらも耳をそばだてた。
 グレイ、っていうのは多分、現・元老院筆頭、グレイ・ディレイズ卿のことだ。
 今の明の直接の上司。
 ・・・良くない報せ。
 ずっと、胸騒ぎは収まっては居らず、胸の中で燻り続けているのだけれど、それがまた大きく炎を揺らめかせる。
「明の無実は約束されたのだけど、半身がいるということは知れた。王家は代々私の秘密も知っているから、真の『勇者』が現れたということは、必ず契約を執行した『天使』がいる、と知れたということ。ダリアはどうにかして『天使』を炙り出すつもりらしい、との事よ。明を完全に自分の直轄に入れろ、と、ダリアから勅令があったって」
 ダリアというのは女王様、ダリア・ミッドガル様のこと。
 明のことは今までシアド様の弟子でシアド様の副官扱いだけど、『監督扱い』だった筈。
 明の仕事が、また増えたという事実。
 そして、元老院から離されるということ。
「明は、すんなりとそれを受けたそうよ。そのあと、こっちに連絡を入れてきたの。預かって、くれって」
「・・・」
「巻き込みたく、ないそうよ」
 そう言ってから、レア様はシチューに浸したパンを口に運んで沈黙した。
 ・・・荷物を、預かれと。
 ・・・・・・邪魔、だから。
 ・・・・・・・・・そういう、事なんだと思った。
「落ち込まないでね。明のやり方は強引だったかもしれないけど、説明してもあなたを納得させる自信がなかっただけなのよ。あなたは強情で、猪で、優しいから、明があなたを気遣って逃げろと言ってもはいそうですかと聞き分けてはくれないと思ったから、強引にこういう手段に出たのよ。私も明の意見には賛成だったから、一応策には乗っておいたの」
 ひ、一言さらっと『猪』とか仰いましたね・・・?
 ・・・それに、一応、って言った。
 では、きっとレア様にも別の策があるのだ。
 私は知らず、強い視線でレア様を見ていた。
「アイスと二人でここに引き篭っている私にとっては人が増えるのは願ってもないことだったけれど、そんなこと、後から知らされて納得するあなたではないことくらい、私にもわかるし」
 レア様はまたパンを齧る。
 若干、いらついて見えるんだけど気のせいではないような・・・
 少し自棄食いっぽく見えて、見る見るなくなるのに合わせて、アイスさんがおかわりをよそっていた。
 ・・・良く食べるな、レア様・・・
「強引で困るわ・・・ 『狂戦士』は」
 ん?
 聞いた事ない単語出てきた。
「・・・何ですか? それ」
「ああ、その説明はまだだったのね・・・ そうね、明には説明しづらいだろうし、それもいっそ私に押し付けたのねあの子は・・・」
「あの、『狂戦士』っての、明も自分で言ってましたよ」
 スノウがそこへ割って入ってきた。
 知り合って間もない短い時間にどんな情報交換をしたのか、私の知らないことをスノウが知っているという。
 またしても生まれる疎外感。
「明のこと悪く思わないであげてね。出来れば、一生、あなたに知られたくないと思っていたであろう事だから・・・」
 レア様はそう言って、さっきまでせわしなくパンを千切っていた手を止める。
 やはりどこかに憂いがあって、その仕種に全員が息を呑むような気配があった。
「『狂戦士』とは、『勇者』と対を為す者。我々の契約を得て、耐え切れずに出て来た魔族の半身をそう呼ぶの。気性は荒く激しく、血と殺戮と破壊を好む気質を備え・・・ 文字通り、『狂える戦士』であると言えるわ」
 狂える・・・戦士。
 気性は荒く激しく、血と殺戮と破壊を好む・・・
 明の心のうちにある深い深い闇には、きっとそれが果てなく渦巻いているだろうことを、感じてはいた。
 それ以上に、それを自覚しているからこそ、明が自分を強く憎んでいることも。
「明はそういう自分の全てを否定するつもりで、いつもシアドの傍に従ってシアドと同じであろうとして頑張っていたわ。もうね、ホントに健気なくらいよ。だからそのことであなたが明を畏れることはないと思うわ」
 見抜かれたように言われた。
 畏れている・・・
 違う。
 怖くなんかない。
 大切な、弟みたいなものだもの。
 ほんのちょっと、『取り扱い注意』なだけで、明は私にとって、やっぱり大切な人なのだ。
 レア様の言葉を強く否定したくてレア様を強く見たら、レア様はとても穏やかな顔で私を見ていて、言葉を全部飲み下してしまう。
「私のように・・・なっては駄目よ」
 レア様はそう言って、またパンを千切ってシチューに浸した。


+++☆★☆★☆+++


「・・・」
 どういう・・・意味?
 誰もそのあと、レア様にそれを問い質すことは出来ず。
 沈黙を破って、意外にもお兄ちゃんが、レア様に口を開いた。
「あの、明から貴女の話を伺ったときからずっと引っかかっていたことがあったんです」
「・・・何かしら」

「貴女の・・・『狂戦士』が、今どうしておられるのか」

 おっ・・・ お、お兄ちゃん・・・!!
 誰もが思っていて、誰もが聞けないでいた話題だった。
 聞いてはいけない気がして。
 だって、レア様に『狂戦士』が存在するということを聞いた上で、今も昔も、その存在が明るみに出たことなどなかったから。
 では、歴史に刻まれる以前に、何かがあったと考えるのが自然で。
 故意にその事実は、揉み消されたと考えるのが妥当で。
 それを抉じ開けようとするのは、とてもいけない事のような気がした。
 まるでそれは、パンドラの匣。
「・・・もう少し順を追ったほうが良いと思うわ・・・」
 レア様は開きかけたパンドラの匣の蓋を閉じた。
 蓋を開けるには鍵が要る、ということなのか、鍵開けに沢山の呪文が必要だと、そう告げられたみたいだった。
 レア様は独白を始めた。
「・・・私達『天使』は、どうしても欲張りだから、『足し算』でものを考える傾向にある。合理的だからとか、そういう理由でも『引き算』は選ばないところがあるの。だけど、魔族は・・・『狂戦士』は、徹頭徹尾、『引き算』でものを考える傾向にある」
 レア様はもきゅもきゅとサラダを口に運んだ。
 私達に考える間をくれているのはありがたいんだけど、食べるのやめたらいいのに、と今になって気付く。
 もはや私の手は動かなくなっているのだけど、皿から少し減っているシチューに気付いたアイスさんが、おかわりをよそいに来てくれた。
 ・・・わんこシチューですか? 流石に多い・・・ 思ったけど今はそれを口に出来る空気ではない。
「彼は、いつでもそうだった。だから私は畏れてしまった・・・」
 沢山あるシチューを残してはいけないと、スプーンで掬い上げたとき、レア様は手を休める。
「私はその時、『引き算』でものを考えてしまったの」
 ・・・レア様は今、凄いことを言おうとしている。
 シチューを口に運ぶ手が止まる。

「『狂戦士』を、消してしまったのよ・・・」

 !!・・・
 け、消す・・・って・・・

「シアドと謀り、シアドの躰に、戻した。つまり、『封印』したの」

 そんなこと・・・
 そんなこと、可能、なんですか・・・?

 だってその人は、明と同じように意思を持って、考えたり、生きて、いたんでしょう・・・??
 それは、殺すのと・・・ 同じ事。

「彼の意見はこうだった。『自分の思い通りにならない世界なら滅びてしまえ』。私はそれを認めるわけにはいかなかった。それしかもう・・・ 選べなかった」

 レア様がどんな思いでそれをしたのか痛いほどにわかる気がした。
 怖くて、どうしていいかわからなくて、哀しくて、苦しくて。
 ヤバイ。また泣く。
 私が泣くところじゃない、ここは。
 レア様が耐えてきた・・・ことなのに。

「だから、シアドは普段でも両目は神眼の蒼。二人分の力を使っているから、シアドは強かった。でも・・・」
 レア様は少しだけ間を置いて、息を一つ大きく吐いた。

「シアドも消えた」

 辛い。辛すぎてご飯どころじゃない。
「それからは二度目の『引き算』。放り出して逃げた・・・ と、言われても仕方ないのよ」
 レア様の肩が少し下がっているような気がした。
 強すぎる後悔から、少し自棄になっていらっしゃるのでは。
 そう思うのに、レア様から感じるのは、深い悲しみではなくてもっと別なもの。
 怒りに似た、強い意志。
「シアドは消える前に明と同じことをしたわ。私に『逃げろ』とだけ伝えてきた」
 そしてまた、パンを千切った。
 ああ、まだ食べる。やっぱり自棄食い・・・
「もう、『引き算』はしたくなかったのにね・・・ でも、逃げはしたけれどもそれだけではない。私は私で色々探ってみた。一体、何が起きているのか・・・ そして、結局は私の『計算』は、全て『引き算』だったことを思い知っただけだった」
 レア様はまだ食べる。
 凄いこと喋ってるのに食べすぎですよそれ。
 皆どうしているんだろうと思って盗み見たら、やっぱり私と同じでわんこシチューに苦戦していた。
 というか、やっぱり食べすぎだと思って唖然としているような・・・否、話に呆気にとられているのか・・・どっちだろう。
「ダリアが歪んでしまったのは、賢王であれと考えを押し付けた、我々元老院にあったのではないかと、今は思うわ・・・」
 そしてまた沈黙。
 パンの外側がカリカリなので、シチューに浸さないで食べると結構咀嚼するのに時間がかかる。
 あああ・・・ 何かまだるっこしい。
 これはいっそ、早く食卓を立ってどこか別の場所でいっぱい話を聞くほうがいいような気もしてきた私は、レア様のペースに飲まれないように自分の目の前にある朝食をいよいよ片付けようと若干躍起になっていた。
 レア様の独白はまだまだ続く。
「ダリアも、本当は良く笑う子だったし素直でとても可愛かった。でも、王女としての重圧はいつでも彼女を蝕んだ。ここ数百年、王は覚醒せず、良く代を替える。これは元老院としても出来れば避けたいところだった。なるべくなら王には覚醒を促し、長い間治めてもらうことが何よりも王に対しての望みだった。代が替わるときはいつでも世は荒れる。異界からも攻められやすくなる。それを出来れば阻止したい、というのが元老院の中では常に当たり前の事のように存在していて、それは代々の王に想像以上の重圧を加えているのだということも、もう意識の外にあった。ダリアは何とかして覚醒したかった、私達の期待に応えたかった・・・ その一心から、道を踏み外した」
 ・・・急に話の内容がぐっと重たくなった。
 目の前の朝食をやっつける手が止まる。

「ダリアは、確かに『覚醒』した。でもそれは・・・ 偽りの、力。自分で覚醒したのではなかった・・・」

 偽りの、力・・・?

「王城『白霞宮』には、『禁断の間』があるの。そこには封じられた魔器や神器が奉じられている。その、一番手をつけてはならないものに、手を出した」

 もはやレア様は私達の反応を気にすることもなく、平坦な声で喋り続けるのみだった。
 その女性としては少し低い声は、レア様が感情を精一杯抑えている証のようにも思えて。
 また、『代理号泣』してしまいそうになる。

「『覇者の死血』。神が世を呪いながら流したといわれる血液。その血は天使と酷似した異伝配列で、それ以上の力がある。つまり私達と同じように・・・擬似的な『契約』を与える力を得るということ」
「えっ」
「私達天使は、血によって契約をする。最初に血に触れた者を己の『守護者』とする。『覇者の死血』は、躰に行き渡り不死を得、私達と同じように、自分の変質した血液や体細胞を媒介に『契約執行』し、不死を与えて『下僕』を生み出す。それも・・・無限に。そして下僕からも感染を拡げていく・・・ ダリアはそれを・・・ 飲んだのよ」
「・・・!!!・・・」
「でも、神の力なんて、禁を冒して手を出してはいけないもの。力を得ることには成功したけれど、ダリアはリスクを追った。つまり、『食人』の欲求までもが植えつけられた」
 ・・・それで。それで女王は変わってしまった。
 その欲求から、逃れられなくなって・・・
 今、そうするしか出来なくなっているって言うの・・・?
 ほんの少し方法を間違えただけなのに。
 そんなの酷すぎる。神様、そんなの、酷いよ・・・
「以前、ダリアと共にいた頃、あの子に言われた事があったわ。
『貴女のような力があれば、私だってもっと頑張れるのに』って。その時に気付くべきだった。彼女がどれほど、重圧に苦しんでいたのか。助けを求めていたのか・・・ 力に、固執していたのか」
 レア様は自分のことを責めているんだ。
 どうして気付いてあげられなかったのかって。
 助けて、って、きっと叫んでいたのにって。
「ダリアはダリアで、賢王として起つことを決意したから、その選択をしたのよ。ダリアは・・・『天使』に、なりたかった。だから今、私達を執拗に狙っているのではないかと思うわ」
「・・・」
「『天使』を、従えたい。それが望みなのではないかしら」
「・・・」
「その通りになるべき、だったかどうかはわからないわ。私達にはダリアの得た力『食人』も『傀儡』も効かないから。傍にいてもっと諫言をするべきなのかって、悩み続けた。でもダリアはもはやダリアではなくなった・・・ もう、食人鬼でしか、ないのかもしれない・・・」
「・・・」
「それでもまだ、『足し算』は出来ないのかと、足掻いているのよ・・・」
 そこで漸く、レア様はアイスさんがわんこシチューしそうになったのを制した。
「シアドを助け出して、ダリアをダリアに戻す為の方法を探すこと。そうすることがきっと、プラスに繋がると信じるから・・・」
 ・・・え?
 シアド様を、助ける・・・?
 シアド様は消えて久しいのに、レア様はまだシアド様がどこかにいると信じている。
 でも、どうしてそれを信じられるのか、それだけの深い、絆なのか・・・
「それで今は、情報収集の為に『管理者の庭』である、ここに逃げてきた、というわけ。元々ここは天使の住んでいた場所で、神が敷いた結界が強くて邪魔は入らないからね。ダリアやその僕たちは『歪な者』だからここには絶対に介入できないし」
 もう、言葉を差し挟むことも出来ない。
 逃げたことをきっとレア様は自分で許せないのに、それに甘んじるしかない今がどれだけ歯がゆいのか、想像に難くない。
「アイスは『空』の精霊だから、空気のある場所でさえあれば知らないことはないほど情報に精通しているの。デバガメ大王、って通り名をつけてあげたいくらいなのだけど」
「ぶっ」
 スノウがシチューを噴きかけた。ツボに入ったらしい。
 その様子を見咎めるでもなく、アイスさんは無言で佇んでいるだけだった。
 どうやらシチューは打ち止めで、売り切れたみたい。
「そのお陰で色々知ることは出来るんだけど・・・ だから、私がシアドを見つけられない、というのは特殊なことなの。アイスは異界の精霊からも情報を得られるけれど、アイスには見えない場所もあるのよ。それが・・・ダリアが穢れを充満させている『白霞宮』」
「・・・」
「明が言っていたわ。十中八九、間違いなくシアドは『白霞宮』に捕らえられている、って。『白霞宮』には戒めの力が強く働いているから。この際だから全部探り出してくる、とね・・・ それが危険なことだと止めても、明は譲らなかった。明には、ダリア封じの力があるのよ」
「えっ」
 聞いてない。
「他の人にも出来なくはないけれど、明とは少し方法が違うの。彼らの穢れを祓い、浄化を施すことなら、施術がある程度出来れば可能だけれど、彼らは穢れに溺れているから浄化の際に自滅、自壊してしまう。結局は滅びてしまうのだけど・・・ 
 ある程度実力を持った者には、浄化すらもう受け容れては貰えない。
 けれど、明の持つ『魔石』ティリランディルは、魔神の創り出した魔器で『魂砕』の力があるの。ダリアの得た歪んでしまった『神の力』をも、砕くことが出来るわ」
 ほ、ホントに聞いてない。
 ティリル自身が『私は凄いんですよ』的な事を言う事はあったんだけど、その力の本質を私に知らせることはなかった。
 さっきの・・・ドゥエとの事も。
 生かさず殺さずに、選んで砕くことさえ出来る魔刃、それが、ティリル・・・で、その主が明・・・だなんて。
 苦しめることも、楽にすることも出来る、という、考え方によっては非常にエグイような・・・
 言えよ・・・ わかってはいたんだけど、管理体制、杜撰過ぎかも・・・私。凹む・・・
 でも、管理・・・って。
 そんな風に思うこと自体が嫌だ。明もティリルも存在していて、ちゃんと自我がある。縛ることなんてしたくはない。
 一体、どうするのが正しいこと、なんだろう・・・
「・・・これをレインに言うのは酷かも知れないけれど、明も確かに考える時は『引き算』なのよね・・・ 私は、明にも出来れば『引き算』をさせたくないと欲張った考えをしてしまう」
 ・・・それは、私も同じだ。
 昨日、襲ってきたスノウのことを殺してしまおうとする明を何としても止めたかったし。
 追ってきた『ドゥエ』を躊躇いもせず殺意をもって接した時にもどうしても無意識に、止めて、しまった・・・
「だから、明を『白霞宮』に遣わせるのはずっと反対だった。でも・・・ 賽は投げられてしまった」
 もう、そうなって、しまった。
 昨晩、ひょっとしたら呼び出しを喰らった時点でもう明は何もかもを見越して諦めて・・・いたのかも、知れない。
 思慮深くて計算高い明のことだ、有り得なくは、ない。
「明は・・・」
 シチューはもう空になっているのに、レア様はスプーンを持って手元を見つめる。
「いつだって、躊躇うことはない。あの時私は、やはり畏れた」
 ・・・何の・・・事・・・?
「明とティリランディルにダリア封じの力があるとわかったのは・・・ ある『十の牙』の失敗。明に正体を見破られた時のことよ。コードは『ディエテ』」
 ディエテ・・・ って言うと、10。・・・つまりは・・・ 『十の牙』の実力ナンバーワンだ・・・
 うそっ。もう、ナンバーワンが出てきちゃってるよ。普通下から行かないの??
 ・・・まあでも、明、だしな・・・ 上から叩いていきそうだ。手っ取り早い、って、そういう合理的な考え方で。
 口を差し挟むことも出来ない。
 でも、レア様は確実に私の疑問を晴らす形で独白を続けていた。
 こんな事きっと話したくはないに違いない。
 何も知らない、私が悪い。
 ・・・明が、私を巻き込まない為に、全部背負っていたのだって言うこと、ちゃんと受け止めなきゃ・・・
 重圧、なんかじゃない。
 こんなの、屁でもない。
 レア様や、明が抱えてきた色々に比べたら、私にかかるものなんて、薄っぺらい紙みたいなもの。
 さっきの明の冷酷さだって・・・ 仕方のない『引き算』。
 納得することは出来ないけれど、今の時点では最良の手段だったのではないかと、理性では思う。
 それを正当化することは本能的に嫌だけど・・・
 でも、レア様は私よりもずっと明の本質を知っている。
 私は知らなければいけない。
 レア様の辛い独白を、受け止める為に顔をあげた。
「『ディエテ』の食事の現場を押さえたのよ。元老院大老、シンダン・マシスを手にかけるところを押さえて、『ディエテ』も僕に降ったシンダンも・・・ 躊躇うことなく斬った」
「・・・っ」
 明ならそうする。
 本能では認めたくはなくても、私が見ていないところではきっと明は・・・
 戦って、いるのだ。
 じゃなかったら、偶に、瀕死の傷なんて負わない。
 そして、傷を負っても絶対に私に助けを求めたりは・・・しない。
 私が気付くまでは・・・ 縋ってきたりは、絶対にしない。
 それが明の線引きなんだ。
「明も大怪我をしたけれど、その時に『ディエテ』もシンダンも、『魔石』に喰われて体の殆どを失った。蘇生さえかけられないほど肉体を失っていた状態で、そのまま二人は死を迎えたわ。その時にどうしても私は明の行動を諌めずにはいられなくて、どうして、と聞いたの」
 どうして。
 どうして、斬ったの?
 どうして、殺したの?
 レア様の、『どうして』には、きっと明を斬るだけの強い力もあったと思う。
 聞くことはきっと、レア様にとっても苦しいことだったに違いない。
 でも、明は・・・
「『ティリルが滅せるというので試したまでですが』って。どうしていいのかわからなくなって、『そう』としか答えられなかった。確かに、下僕を増やされるのが好ましくないことや、今は一人でも減らしたいのはわかっているんだけど理解できても納得するという事になるとどうしても、別、じゃない?」
「・・・そうですね」
「でも明がそうすることで、明自身がいつも内包している魔族としての狂気まで祓うことも出来るらしかった。・・・血と、殺戮と、破壊の欲求を満たすことが出来るからよ。明が食人鬼を狩ることは、ばら撒かない為の予防でもあり、粛清でもあり、明自身を鎮める為にも有用ではあるとわかったから、結局はそれからは・・・ 『引き算』よ。他にどうすることも出来ないから、明は引き受けた。王宮内では顔を知られているから仮面をつけて、『食人鬼狩り』を」
 ・・・他にどうすることも出来ない、っていうのは・・・
 諦め、であって、私なんかよりもずっとレア様のほうがストレスを感じることなんじゃないかと思う。
 でも、ここで私が明をどうこう思っては駄目だと思った。
 明が自分のしていることを私に話したがらないのは、それを明が望んでいるわけではなかったからだと思いたい。
 明の中にある、自己嫌悪・・・自己憎悪、と言ってもいいくらいの感情を、知らないわけではないし、明はきっと、そうすることによって自分の狂気を意識するからこそ、それ以上に苦しんでいたのではないかと、自己補完・・・しておきたかった。
 そうやって疑いだしたら明が何の為に女王直轄に入ると決意したのか全部無駄になる気がして。
「・・・これは単なる時間稼ぎ・・・なのよ。私と明とが、今出来る最良の手段として選んだのは、明の手によってこれ以上犠牲を増やさない為に『食人鬼』を狩ることと私が身を隠すこと。でも、それが赦されるとは自分でも思えないから方法を探したいの。きっと鍵は『魔石』にある」
 鍵。何かほかにいい方法があるとするなら、ティリルに何かがあるということなのか。
「『魔石』は、古(いにしえ)の魔神の創り出した『魔』の結晶。その偏った力を凝縮させるには、必ず『聖』の結晶も作り出さなくては出来ないわ。どこかに必ずある筈なの、『聖石』が」
「・・・創造の、基本、ですね」
 チムさんが食事中初めて口を開いた。
 職人チムさんは、こういう『魔器』や『神器』にはとても詳しい。
 チムさんは防具職人だけど、稀に頼まれれば武器も作る。
 その辺りのノウハウのこともあるのかもしれない。
「そう。あなたの方が詳しいわね、その辺は」
「貴女の知識には及ぶべくもありませんが・・・ 『魔石』と『聖石』は表裏一体。どこにあるとも知れない状態でも、『魔石』がある以上、どこかには必ずある筈です。もし『聖石』が失われていたら『魔石』も存在し得ないでしょうから」
「そう。そしてきっと、『聖石』も使い手を選ぶ『神器』。『魔石』が明を選んだように、間違いなく、あなたの神族の契僕を選ぶわ」
「えっ」
「『魔石』ティリランディルは、自分の片割れを感知することは出来ないらしくて気配を辿る事は難しい。でも『魔石』は『白霞宮』の『禁断の間』にあって、特別許可でシアドと中のものを調べていた時に明は『魔石』に選ばれたみたいなの。もしかすると『禁断の間』にまだあるかも知れないし、ね」
「・・・でも、その、『聖石』には一体どんな力が・・・」
「『聖石』も『魔石』も『神殺し』の力が宿っているのではないかと思っているの。明のもつ『魔石』は、主にダリアの毒に冒された者を魂ごと斬って、肉ごと喰らい、消滅させる。他にもエゲツナイ力もあるみたいだけど・・・ 転生の輪には戻れない『死』を与えることしか出来ない。逆に、『聖石』には、魂を斬らずに毒を消せる、強力な浄化の力があるのではないかと・・・ 希望的観測なのだけどね」
「・・・」
「些細な可能性でも賭けないで後悔するよりは良いと思わない? ・・・もしそれが出来ないとしても・・・ あのままダリアが穢れを拡げるのを黙って見ているわけにはいかない。『聖石』が見つからなければ・・・ 『引き算』しかないわ」
 そうなると・・・
 やっぱり、明が女王を殺すしか、方法が、ない、ということ。
 させたくない。
 させたくないけど・・・
 その小さな石を探す、というのは至難の業だ。
 ・・・でも、レア様が仰っているのは、きっと私にそれを探せということと。
 あの、門破りのテロリストを連れ戻してこい、ということなんだと思った。

2009/05/10 up

Web Clap
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が、オリジナル御礼は現在1種のみ(しかもEGとは無関係)です・・・(遠い目)

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がっつきまくりですみません(苦笑)。


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小声で編集後記のコーナー。
はいッ、大風呂敷拡げましたー!!
大変なことになってますが果たして私がこれを畳めるんでしょうかー!!
神のみぞ知る、って奴です。いや、神も知らんわ、きっと(爆)。
次も重たい説明ですー。風呂敷ですー。何かもうやんなって来たよー。ラブいちゃしたいよ・・・(おい)