第二章
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『螺旋階段』は、唐突な終わり方をした。
疲れることはなかったけれど、先ほどの『明vsドゥエ』の、物凄い残酷シーン(私としてはあれは相当キツイものがあったのですよ)のおかげで気持ちが塞ぎ、見上げても螺旋はどこまでも続いていて、精神的にしんどくなってきていた。
誰も何も言わない。
言わないのが突き刺さる。
私は何も言わない人達に、何かの話題を投げかける事も出来なかったし、その逆もそうだったみたいだった。
ちゃんと音は別々に四種類刻まれている。
静かに、一定のリズムで刻まれる旋律に耳を澄ませるでもなく、ぼんやりと透明の壁から外を見ると、地上にあるものは全て紺色に見え、何が何なのか全く判別できなかった。
優しく凪ぐ風は、かなり高い空まで来たからなのか、初夏なのにかなり肌寒く感じる。
寒さに身を抱いてみたけど、震えているのは寒さばかりではなかったと思う。
そこでまた気付いた。
さっき、あそこにあった太陽は、まだ、殆ど同じ場所にある・・・というか、私達がかなり高い所まで昇ってきたのもあってか、逆に沈んでいるようにも見えた。
東の空だから、沈んでるわけはないのだけど。
変だな、と思いながら、『一段も飛ばさないで』昇らないといけないとても面倒くさい鍵盤が、『曲の終わり』を訴えている。
どうせ、また別の曲が始まるんでしょ・・・
と、思っていたのに、曲の終わりを悟ってもう一段踏み出した時には。
足許。
というか、階段。
というか、『全て』が、なくなっていて。
「えっ」
身構える隙もなく、私達は、落っこちた。
ぐにょ。
一メートル位の場所から落ちただけの高さに感じた。
落っこちた場所は柔らかくて、片足に体重を乗せて昇る気だったからバランスを崩していた躰を立て直すほどではなくて、つんのめった姿勢で何とか足から着地したのに、
「わぁっ」
「わぷっ」
先ずはお兄ちゃんが私の上に落っこちてきて、バランスを崩してやっぱり前のめりに倒れ、
ぎゅむっ。
「げふぉっ」
・・・この重さは恐らくチムさんが落っこちてきて。
したん。
「うふぇっ」
上手に『チムさんの上に』着地したらしいスノウが落っこちてきた。
「痛い痛い痛い痛い痛いよもう〜〜〜〜っ、早くどいて〜〜っ、中身出ちゃう〜〜っ!!!」
中身よりは変な声のほうがもう既に先に出ちゃっていたんだけど、そこは皆スルーして、漸く一番下になっている私がだしだしとタップしているのに気付いて一人一人退けてくれた。
ちょっと本気で死ぬかと思った。
今まで我慢していた嘔吐感を凌いだのは奇跡だと思う。
改めて足許を見ると、どうやら本気で『雲の上』に立っているとしか思えない状況。
・・・メルヘンの使者が脱落してもまだメルヘン上乗せしますか・・・
少し荒みかけていた私は、溜息というよりは毒舌を吐きたくなった。
でもとりあえずは階段から開放されたのを確認して少し安心して、皆の顔を見回して、一人と目が合った時に、目が文字通り『点』になった。
「・・・スノウ・・・なの?」
「すみませんこんな本当に残念なことに」
「いやぁなんか・・・ 急に究極に癒された感じ。可愛いよ?」
「それ、結構傷つきます」
恨めしそうに言ったスノウは、青年の姿をしてはいなかった。
どう見ても、スノウだとわかる容姿をしているのに、少年・・・というより寧ろ幼児のようで。
どこからどう見ても、ちっちゃこくて、可愛かった。
「ここは土の加護のない『空』。私の一番苦手属性の支配する場所なのでどうしてもこのように『弱化』してしまうんです。主との繋がりのお陰で『形』を象る事は出来ても通常サイズにはなかなか・・・」
少し耳が垂れ下がっているような気がしたので、しゃがみ込んで
「そんなの気にしないよ」
小さくなってしまったスノウに言った。
「何の・・・ お役にも立てなかった」
気持ちまで弱ってしまったのだろうか。スノウは下を向く。
でもきっとあの場で、一番冷静だったのは、今ならわかる、スノウだったと思う。
何の手出しもせず、何の過ちも犯さず、ただ、忠実に動いていたスノウは、足を引っ張っていたりはしない。
「そんなの・・・ そんなことないよ」
そう言って、果てなく拡がる雲一面の『地面』を見た。
そんなことない。
そんなことない。
役に立てなかったのは、邪魔をして足を引っ張っていたのは・・・誰でもない・・・
私、自身。
何故か今になって、急にまた、お腹が空いていたのを思い出した。
階段を抜けたからなのか、何か色々麻痺していたからなのか、何故かあんな残酷シーンを見ていながらそれでも食欲を思い出せる自分の逞しさを何となく滑稽に思いながら、ポケットに仕舞いこんでいた明がくれていた物を取り出した。
紙に包んであったカ●リーメイト・・・焼き菓子。
『激辛』って言うのが引っかかったんだけど、これは・・・明がくれたものだったから。
一応皆が辛いの平気かを確認してから、4個に分けて一欠片ずつ渡した。
・・・っ!!!
「げほっ、うぇほっ、かはっ・・・」
想像以上に辛い。ツライぐらい辛い。
こんなモンなんで常備してんの。痔になるでしょコレ。いっぱい食べたら絶対なる。
でも、不思議にすぐお腹が満ちた。そういう便利食料だったんだ、これ。
どっかの豆もまっつぁおの便利アイテムなのに、何でこんな辛いの。
空腹に辛いもの食べたら胃が吃驚して胃痛になるでしょ。普通っ。
これをくれた明が、物凄く味オンチなの思い出した。特に辛いものに目がなくて、甘いものは吐くほど嫌いなのとか・・・ そりゃあ、蜂蜜結晶化させるよね、とか、今更思い出した。
変なの・・・ 変なの。
泣いちゃ駄目なのに、絶対泣いたら駄目なのに、じんわりと目尻に溜まるしょっぱい水は、『激辛カロリー☆イト』の所為。
ただの、これは、生理現象。
そう思い込もうとした。
「それにしても・・・何もないね」
周りを見渡すチムさんが、寂しそうに呟く。
こんな何もない場所に放り出されると、巨躯の所為か一層チムさんは大きく見えた。
見渡す限り、青と白しか見えない世界。
明は安全だとか言ってたけど、これって・・・ これはこれで結構キツイと思うんだけど、これが終点なんだったらご飯の心配がまた振り出しに戻る感じなんですけども・・・
でも、ここが終点ではない気がした。
あの明がこんな杜撰な放り投げ方をするわけがない。
ずーっと遠くを見ていたら、青と白しか見えない世界に一点、黒いものが見えた。
それは少しずつ、雲の上を駆けて近付いてくるのだけど、速さが尋常じゃない。
「ちょっ、あれ、何・・・!!??」
私がそれを指差した時、スノウがその近付いてくる黒いものを見て叫ぶ。
「うわぁ、出た!!!」
そんなやりとりをする一瞬の間に、その黒いものは私達の目の前でぴたりと止まった。
風のように速かった。
どこからどう見ても、それは、一頭の漆黒の一角天馬の曳く馬車だった。
一角天馬・・・ つまり、額から角が生えていて、背中には羽根が生えていて。
ユニコーンでもありペガサスでもあるもの。初めて見た。
しかもどちらも種族の色としては圧倒的に白が多い(って聞いた事がある)のに、この一角天馬は漆黒だった。
・・・あ、漆黒じゃない。
鼻筋と、4本の膝の全てに白い十字架の毛並みがあった。
鞍はつけられていない。
・・・あれ。御者がいない。
馬車の中に人がいるのかなと思ったけど、降りてくる気配もない。
えーと、どうしろと? と思ったとき、スノウが私達より前へ出、何事かを話し出した。
知らない言語・・・また、『古代精霊語』なのかな?
そう言えばさっき、スノウはこの一角天馬が出てきたときに凄く驚いていた、と言うか嫌そうな反応だった。
【△×■☆♪○・・・・・・】
おおっ、一角天馬からも『古代精霊語』で思念波がっ。
何を言っているのかわからないので、文字変換でお送りしております。
・・・それにしても、突然喋りだしたスノウと一角天馬の様子が気になる。
スノウは噛み付くような剣幕だけど、一角天馬の思念波の波長はとても落ち着いていて、とても奥ゆかしい雰囲気(に感じる)。
「・・・何事?」
お兄ちゃんが私に耳打ちする。
「よ、良くわかんないんだけど明が言うにはあれって『古代精霊語』らしいの。だからあの一角天馬さん、あれだけの確かな形を保っているってことはスノウと同じクラスくらいの精霊なんだと思うんだけど・・・」
「・・・て言うか、現代語で話してくれればいいのにスノウも・・・ ナイショ話なのかな」
「うーん。潰れ胸とか骸骨とかちぢれマイマイとか悪口を言われててもわからないのはちょっとねぇ。勉強しとかないと」
と、お兄ちゃんと話していたら、
「言ってませんから、そんなことはっ!!」
スノウが振り返って全力で否定した。
「どういう意図なのかを先ず確認せねばと思いまして・・・ 『空』のが相手では、私には為す術もありませんから・・・」
スノウの言葉尻が少し小さくなっていた。
苦手属性・・・
『地』に対して『空』はどうやらそういう関係らしく。
確かに土は風で吹っ飛んじゃうし、石は風化する。
そういう関係もあって、風の精霊にスノウは弱いみたいだった。
でも、この一角天馬は最初に会った時のスノウのように、こちらに敵意を持っているわけではないみたいなのはわかる。
凄く落ち着いていて、優雅な感じがした。
【ご安心くださいませ。私は主の使いで貴方がたを案内するようにと申し付かっております『アイス』と申す者。そこのチマい『地』の小僧も一緒にどうぞ馬車へ】
・・・優雅だけど毒あるなこの一角天馬。
チマい、とか小僧、って言った。
でももうここまで来たら自棄だ。
乗り込むしかない。
全く迷いも持たずに私は馬車に乗り込んだ。
お兄ちゃんは一瞬「あっ」と息を吐いたけど、それ以上は私に何か言ってきたりはせず、しぶしぶ、と言った面持ちで馬車に乗ってきた。
チムさんは落ち着いた様子で馬車に乗る。
馬車は全く重力を感じさせず、チムさんの巨躯を乗せても車輪は沈みもしなかった。
さっきから色々凄いことが起きているので、馬車の中もきっと異次元みたいになっているんじゃないかと不安半分、期待半分で乗ってみたんだけど、意外と馬車の中は普通だった。
ゴージャスというほどではないけど、上品な程度に飾りがついていたりするくらいで、これはどうやら普通の馬車で、何となく安堵したり落胆したりとか、複雑な心境。
ん。スノウが乗ってこないな、と思って入り口から見てみると、小さく『弱化』してしまったというスノウは、段差が高くて困っていただけのようで、気付いて私が抱き上げると
「あああ!! お、恐れ入ります・・・!!」
と、凄く恐縮しまくっていた。
大人の姿の時は凄く余裕があって周りが良く見えているみたいなのに、小さくなると何だか可愛い。
・・・でも、自分の属性値を下げるっていうのはきっととても不安なことに違いないのに、何だか無理矢理つれてきてしまったみたいになって、申し訳なく思った。
巻き込んだと言えばお兄ちゃんもだけど・・・ チムさんもだ。
あの階段を昇り始めてからもうきっと3時間くらいは経過している気がする。
それを思うと、今日のチムさんの仕事もふいにしてしまっているし、それだけでも十分損害だ。
・・・何か本当に、役に立てないことばかり・・・足を引っ張ってばっかりだ。
チムさんには、ちゃんと本当に何かお礼とかお詫びとかしないとな・・・
全員乗り込んだのを確認した一角天馬・・・アイスさんは、一瞬だけ、物凄いGをこっちにかけた後、澄ました思念波で
【着きましたよ】
と知らせてきた。
一瞬なんだけど凄いGがかかって、座ってた私達は背凭れに磔(はりつけ)になってたんだけど、その思念波を聞いてヨボヨボと外に出てみた。
今度は雲の上と言うことはなく、ちゃんと地面がある。
降り立った地面には、赤錆色の煉瓦がびっしり敷き詰められていて、まっすぐに伸びていた。
ここは地面があるからスノウが元に戻るはず・・・と思ったのだけど、スノウは少しだけ成長して幼児から少年の姿になっていただけだった。
「やっぱりここでもこの程度か・・・ 『空』はキツイです・・・」
スノウは、私と目があって、苦笑いを浮かべて呟いた。
スノウがそう言うという事は、ここはまだやっぱり地上ではなく『空』なんだ。
【前へお進み下さいませ。主がお迎えいたします】
アイスさんは思念波でそう伝えてくると、左手にある厩舎の方に自分でかっぽかっぽと馬車を引き摺って歩いて行った。
近いから飛んでは行かないみたい。さっきは早すぎて全然見れなかったし、ちょっと羽ばたいてるとこ見たかったのにな、と思いながらその様子を見送った。
赤錆色の煉瓦の道の両脇には色とりどりの花が咲き乱れている。
ちょっと、地上では見たことがないようなものばっかりで、進めと言われたのに気になって花を観察したい気持ちが少しあった。
とても匂いの強い百合が咲いていて、花弁の一つ一つについているヒダヒダが普通の百合より多いような気がする。
普通に青薔薇がびっしり咲いていたりとか。
青薔薇って、難しいんじゃなかったっけ・・・って聞いた事があるんだけど、惜しげもなく咲いていた。
奥のほうには日光を奪い合うように背の高い沢山の向日葵。
皆太陽のほうを向いているのは地上のと同じなんだけど、少しオレンジが強い。
季節感を無視して咲き誇っているようでもあったような。
見たことないようなものといえば、そこを漂っている蝶も、珍しい種類が多い気がする。
瑠璃色に輝く翅は羽ばたく度に七色に反射する。
他にはアゲハチョウだと思うんだけど、白の部分が薄緑色のやつだとかとか。
モンシロチョウ・・・じゃなくて、モンアカチョウ・・・なのかなアレは、とか。
どの蝶も、ふよふよと頼りなげに漂いながら、咲き誇る花々の上で踊っているみたいに見えて、ここには不安とかそういったものはないような気がするほどに優雅な空間だった。
ああ、一日ここで日光浴びながら、花を見ながらゆっくりお茶とかしてみたい。こんな非常時じゃなかったら。
そんな事を考えたくなるほど長閑な光景だった。
奥のほうに歩いていくと花畑が少し開けて広くなっている空間があって、その真ん中には透明な水が噴出す噴水があった。
気付いたら、地面は赤錆色の煉瓦の道から銀灰色の凸凹した石を敷き詰めた道に変わっていて、噴水を円で囲むように白い大理石が仕切りになって少し高くなっている。
どういう仕掛けになっているのか、それとも術か何かで支えられているのか、噴水の真ん中には水が丸く固まったような球体があって、下の水を吸い上げて、上に噴き出させていた。
きらきら輝いて砕ける水が綺麗で、さわさわと噴水の周りの小池に落ちる音が清々しい。
水って結構人に癒しを与えるみたいな気がする。マイナスイオン、なのかしら?
噴水の前には私達に背を向ける形で人影が一つあった。
その人がきっと、明が会わせたかった人に違いなく、水の音を聞きながら、ちゃんと向き合う覚悟を決める。
背中の大きく開いた白い服を着ていた。
抜群のプロポーションで、しなやかな曲線が目に眩しい。
抑え込んでいるのかオーラの色さえ感じさせては貰えないほどに、オーラプロテクトが完璧だった。
金の、膝くらいまでもある豪華な巻き毛が風もないのにそよいでいる。
普通あの長さだったら重たくてぺったりする筈なのに、重力を感じさせない金の髪。
私達が近付くのに合わせて、その人はゆっくりと振り返った。
こんな近くで見たことはなかったんだけど、噂通りだった。
すっごい、美人!!!!
長い金の睫に飾られた瞳はまるでエメラルドのように輝いていて、私達全員と一度目を合わせてから、深々とお辞儀をした。
いやいやっ、それはこちらからせねばいけないことなのですが!!
慌てて私達もぺこりと頭を下げる。
「この度は、呼びつけるような無礼を働いたことを先ずお詫びいたします」
想像してたよりずっと遜っていて、寧ろ私達の方が恐縮することしきりだった。
だってその人は・・・
「おはようございます。『クソババア』こと、レアと申します」
にこ、と笑顔でそう名乗った。
さり気に相応しからぬ言葉を吐いた、という事に気付いたのは随分経ってからだった。
+++☆★☆★☆+++
水がさわさわと騒ぐ音は途切れず、その沈黙を彩るだけだった。
もう一度レア様を見た。
すーーっげーーー美人。
すーーーーーーっげーーーーーーーナイスバデー。
胸がもう。胸がもう、『ばぃーん』という感じなのに、全然イヤラシさがない。けど、目は釘付け。
いや、羨ましいとかそういうことが勿論あるのですが。
私と視線が交差したレア様は、くすりと笑って少し首を傾げた。
その様子は全く『クソババア』などではなく。
ただ、少し年上のお姉さん、という感じで。
もう皆知っていることなのに、優しそうだとか綺麗だとか、そんなことで思考を奪い取るくらい、レア様の存在感は凄かった。
「あなたがレインね? おはようございます」
「あはい!!、お、オハヨウゴザイマス!!」
無駄にレア様が礼儀正しいので、こっちが礼節を欠いていると思われたら適わないから深々と頭を下げたら、お兄ちゃんもチムさんもスノウも釣られて一緒に頭を下げていて、その様子を見たレア様がまたくすりと笑った。
「そんな畏まらなくても。あなたは私と同じでしょう?」
「え!!! いえ、めめめ、滅相もござりませぬ!!」
「あらどうしたのそんな、サムライみたいな」
「えだってあの!! ・・・って、えええ!!!???」
なんつった今!!?? レア様、なんて言った????
『私と同じ』と仰った?? って事は・・・
レア様は、私の事を。
私が、レア様と同じだと言うことはつまり。
天使だと、知っていると言うこと。
「ご存知だったんですか!!??」
「・・・ええ」
レア様は困ったような顔で、でも少し笑っていた。
「あなた達が一番辛かった時に何の援助もしてあげられなくてごめんなさい・・・」
「いえ、それは別に・・・」
もし援助とかしてもらっていたら、私の事はつまり公になってしまうわけで。
でも、それでも今まで隠せていたと言うことは、きっと、もしかすると・・・
「いいえ。援助は過分なほど戴いていますから」
「・・・」
「そうなん、ですよね?」
レア様の顔を覗き込んだら、レア様は少し怯んだような顔をした。
「侮れない子ね。流石、明の主なだけはあるわ」
そう言って、レア様はまた少し笑った。
明がシアド様に引き取られていった時点で、きっともう私の事はレア様にも知れている。
勿論シアド様は知っていたけれど、隠してくれるとは言っていたけれど、元々明はうちの養子で義兄弟のようなもの。
明の事が公になると明の出自を辿れば絶対に私に行き当たる。
それを隠してくれていたということはそういう形で後ろ盾になっていてくれたということ。
困っているからって、裕福な暮らしを与えられるのなんて真っ平だし、現実には、私と明が姉弟として育っている事実を隠し切るということは難しい筈なのにすんなりと出来ていること。
私やお兄ちゃんに気付かれないように、物凄い高等な記憶操作の術でも使われてるんじゃないのかと思った。
・・・てそれは、理を曲げる、本当はしちゃいけないことのような気もするけれども。
凄く綺麗で優しくて気高くていらっしゃるけれど、このお方も相当侮れない。
それでも、少しでも気にかけてくださっていたというだけで凄く嬉しい。
何だか本当に、不思議な感じがした。
「あなたがレオ、ね。腕のよさは聞いているわ」
「イエイエそんな大層な代物では!!」
「ふふふ、兄妹似たような反応をするのね。謙遜しても見ればわかるわ。あなたは優しいから、優しさを力に変えることが出来る。それは素敵なことよ」
「勿体無きお言葉に存じます!!」
お兄ちゃんなどは耳まで真っ赤になっていた。
お兄ちゃんは施療士だから、施療や治療の術の頂点にいらっしゃるレア様にそんな事を言われればもう天にも昇る心地なんじゃないのかな。
「チム・リアーデス、お久しぶりです」
今度はレア様はチムさんにそう言った。
・・・え。知ってんの? チムさん。
そう言えばチムさんは、私やお兄ちゃんほど動揺はしていなかったような気がする。
階段を昇っている時も静かだったのは何か考えていたからかもしれないし、きっと、私と同じでレア様が待っていると気付いていたのかもしれない。
「はい。レア様もお元気そうで何よりです」
「あら嫌ね、それは嫌味かしら」
レア様は少し悪戯っぽい笑顔を宿す。
うーん、こういう毒を吐く所がおちゃめ、なのかしら・・・
「とんでもない! ご無事で安心いたしました。色々・・・噂もありましたので」
「・・・そうね」
何だか二人の間には微妙な間があった。
ちょっと私達には入り込めないような、何かを共有するような間。
「あなたも大変だったのでしょう?」
「いいえ。私は野に降った一般人ですから、大変と言うほどでは・・・ あなたの重圧に比べれば」
「重圧。そう思った事は、なかったわ・・・今までは」
そう言って、レア様はまた、やっぱり寂しそうな顔で困ったように笑った。
「君は、『地』の坊やね」
「はい」
今度はスノウに声をかけていた。
背が小さくなっているスノウと視線を合わせる為に、少ししゃがみ込んだレア様のほうが視線が低くなっている。
スノウはやっぱりすぐ匂いでわかるらしく、レア様が天使だとわかっているみたいで、態度がきちんとしている。
・・・て言うか、『坊や』って。てことはやっぱりレア様のほうが年上って事なのか・・・ す、凄いなあ、色んな意味で・・・
「名前を聞いてもいい?」
「はい。スノウと、昨日名を戴きました」
「良い名ね。レインを良く支えてあげてね?」
「それは勿論ですが」
スノウはレア様に対して萎縮するとかはないみたいだった。
少し考えてから、強い意志を湛えるサファイアの瞳でレア様をじっと見据える。
「ここは・・・ 失われた楽園ですか?」
「そうよ」
「・・・もう誰も・・・ いないのですね・・・」
「・・・」
スノウも何か知っているみたいで、そのあと二人の会話は続くことはなく、レア様はすうっと立ち上がる。
「あちらに洋館があるの。立ち話もなんですから、そちらへどうぞ。朝ごはんはまだでしょう?」
「え、朝ごはん・・・ですか?」
私はきょとんとした。
だって、階段を昇り始めたのは日が昇り始めた頃で。既にそれから3時間近くは経過しているような気がする。
つまりもうお昼頃なのではと。
「あなた達が昇ってきた階段は、私が羽根で作った次元の回廊なの。時間軸を曲げてあるから、実際の時間ではあの階段を昇っている時間は3分くらいしかないわ。音が術を構築するのにどうしても時間がかかるから、あなた達には負担が多くて申し訳なかったんだけど、ああしないと侵入者を防ぐことも、ここへの入り口を繋ぐことも難しくて・・・ 色々条件を揃えるのにあの方法しかなくて、ごめんなさいね?」
レア様は胸の前で手を合わせて、やっぱり悪戯っぽく少し笑った。
+++☆★☆★☆+++
また花が沢山咲いている道を通って、そのあと森林を抜けて、漸く奥に白い洋館が見えてきた。それでもまだ遠いけど。
そう言えば、レア様にとても聞いてみたいことがあったんだけど、立ち話レベルのしょうもない事なので、いっそ今聞いてみようと思って意を決して話しかけてみる。
「あの、レア様?」
「何?」
「さっき、私達を追ってきた人と、明の曲が違っていたのは何でなのかと思いまして・・・」
「ああ、それはね、招かれざる者には『疎外』の法則を組んでそれが『ゲームオーバー』の音にして、明は下に残ると言っていたから条件付けで『見送り』の法則を組んで、それにあの『のど自慢の合格者の音』のフレーズが丁度良かったの。それに、前に聞いた事があるんだけど明って歌が凄く上手いのよ。褒めてあげたかったんだけど私その時泥酔してて」
・・・。
・・・・・・。
い、色々ツッコミたいけどどこから突っ込んで良いのか、ツッコミどころ満載過ぎて言葉を出せない。
て言うか兎に角泥酔って。泥酔って、どうなっちゃってたんですか、レア様っ。
「それできっと機嫌損ねて『クソババア』言わせちゃったのね。悪い事しちゃった」
ニコニコ笑ってそういう姿は、全然、そう思ってないですよねレア様。
突っ込みたいけど口に出せない。パクパクして謎の反応になってしまう。
「明は」
レア様の声のトーンが少し下がった。
元々あまり高い声で話す人ではないから、その低い声は耳に心地が良い。
でも、急にシリアスになった響きに私は我に返る。
「真面目で融通が利かないところがあるから、見ていて本当に痛々しいと思うくらいなの。それで少しくらい砕けたらいいのにと思って」
ああ、この人は明のことを良く見ていてくれているんだな、とそれだけで安心したんだけど。
「それでも絶対ブレないから、どうしても色々エスカレートしちゃうのよねー」
カラカラと笑って悪びれもせずに言った。
ああああああの、凄く軽く言ってますけどそれって、苛めてますって言ってませんか!?
言いたいけど言っていいのかどうか。
明がぐっと我慢しているのなら、私が言ったほうがいいんだろうけど、それを言って寧ろレア様の印象が悪くなって明への風当たりがまた強くなっても困るし・・・あああ!!
「ほんのおちゃめのつもりなんだけど、結構ダイレクトに無視したりとか、ぎくっとしたりとか、反応返してくれるもんだから可愛くて」
おおおおおおおひょっとして、私が今白黒赤青黄色になっているのも絶対楽しんでいらっしゃいますね??
け、結構いい性格してますね、レア様!!??
ど、ドエスですね??
「ふふ、冗談よ」
えーーーーー!! 冗談なのーーーーーーーー!!!??
何だかどーんと飛びたくなった。それこそベタな反応を返したくなったんだけども全部我慢した。
・・・漫才しに来たんじゃないのに、私。
まあしかし、レア様は長生きしていらっしゃるから私の心の内なんて手に取るように知られているような気がする。
それはそんなに悪い印象ではないのが、この人の不思議なところだった。
本当は、さっきまで、怒涛のメルヘン展開についていくのがやっとだったのと、何でこんなところに連れて来られたのかという不満とか、残酷シーンに打ちひしがれていたりしたんだけど、少し楽になっている。
そんな場合ではないんだけど、少しだけ気持ち的に休めたような気だけはする。
癒される、っていうのは本当なのかもしれない。私は初対面なのに、やっぱりレア様のことがとても好きになっていた。
「・・・ふふ。怒ってもいいのに」
不意にレア様が私の顔を見ながら言った。
レア様は古代人なので、背が私よりも高い。多分、明と同じくらいの身長。
でも見下ろすその眼差しは優しいような、労わるような光を宿していて、何を言いたいのかわからない私は結局黙ってそのエメラルドを見つめ返した。
「あなたは我慢することで世を上手く渡るように覚えてきたのね。私だったらどこぞの耄碌ババアが自分の契僕を扱き使っていたら怒るわ」
「えそんな」
も、耄碌ババアのところを猛烈に突っ込みたい。レア様、その美貌でなんでそこまで遜っていらっしゃるのですか。誰かに言われるんですか、明ですかそれっ。
「あなたや明に我慢を強いているのは私かもしれないわね・・・ 何とか、しないとね」
そう言って、レア様はまたふわりと笑った。
うわぁこの人計算なのかな。こうやって人心掴むんだな。凄い。
笑顔を返さないと、と思って少し考えたんだけど、
「そうそう、あの音なんだけど」
と、レア様は思い出したように手をぱんと叩いて言った。
エメラルドがきらきらしている。
「明の本当の『音』は鐘の音じゃないのよ。何だと思う?」
「・・・何ですか?」
「ああっ、それがね、私は知らない音色なの!! 人間界のだと思うのだけど、『ちゅいぃ〜ん』とか『ぎゃいぃ〜ん』とか『てけてけてけてけ』っていう、機械的な音なのよ。聞いた時腹よじれるくらい大笑いしちゃったんだけど」
腹はよじらないで下さい。
でもそれって、その音って・・・
まさか。
・・・。
え、エレキギター?
「ぶぷー!!」
つい噴きだしてしまった。
エレキギターって・・・ 明が?? クラシックじゃないとは思ってたんだけどそんな、ロックとは思わなくて、レア様と一緒に腹をよじりたい心境だった。
でも、わかる気がする。
私の僕はスノウも明も何でかロックだ。私だけショボイオルゴールなんだけど。
「良かった。漸く笑ってくれて」
レア様が突然テンションを落として私の顔を覗き込む。
え・・・ 何、どういう事・・・?
「ずっと張り詰めていて、切れそうだったから。苦しくても辛くても、泣く事も許されないって自分で言い聞かせて、ずっと頑張っていたのがわかったから。笑ってくれて、良かった」
レア様がまた優しく微笑む。
・・・えっ・・・
な、なんで・・・っ・・・
まっすぐ見つめてくるレア様を見返していたら、知らないうちにぱたぱたと涙が出ていた。
「あ、わ・・・私・・・っ・・・ ち、違うんですこれは・・・っ」
「・・・大丈夫。今はあなたの嘆きは聞こえないわ。明には・・・」
「う・・・っ、いえ、そんなのじゃ・・・っ」
私は自分が泣いているんだと認めたくはなかった。
だって、泣いたら・・・
泣いたら、明は取り乱すから。
何も見えなくなるほどに。
だから絶対泣いちゃ駄目なんだって、言い聞かせていたのに。
どうして・・・ どうして、止まらないの。
言い訳を並べたいのに嗚咽しか出て来ない。
歩きたいのに足まで前に進む事を拒むように止まってしまっている。
あ・・・っ。
優しく、でも強く引き寄せられて、気がついたら私はレア様の胸に縋りつくみたいな形になっていた。
「こ、こらレインッ」
お兄ちゃんが後ろで慌てて声を上げた。
それはそうだ。私だってこんな無礼を許されるとは思っていないのに。
でも、レア様は突っぱねようとする私も、私を諌めようとするお兄ちゃんも制して、暫くそうやって私を抱きしめてくれていた。
こんな優しい感触知らない。
こんないい匂い、嗅いだ事ない。
でもうすぼんやりと覚えてる、お母さんの、石鹸のような花のような、優しい甘い匂いがした。
涙が止まらない。
哀しいとか、辛いとか・・・ そういう感情だったらきっと涙なんて我慢できた。
でもきっと・・・ 我慢出来なかったのは・・・
「悔しいのよね」
レア様の声が降って来た。
それはとても静かで重く、私の心の全てを見通した、透明な言葉だった。
悔しい。
他に言い様のない気持ちだった。
私には何もさせないでいるつもりの強い決意を表す明にも。
何の救いも求めていない虚ろな闇を持っていた『ドゥエ』にも。
私は、あの時何一つ出来なかった。
それがただ情けなくて、悔しかった。
もう、止めようとしても涙が止まらなかった。
どうして見透かしてしまうんですか。
どうして。
我慢できていたら、私はそれから目を逸らすことだって出来たのに。
でも、レア様はひょっとしたら、私と同じ感情で今までずっと耐えてきたからこそ、私の心を言い当てているのかもしれないと思った。
我に返って、ダラダラ涙も鼻水も垂れ流しっぱなしでレア様の顔を見上げた。
やっぱり、困ったような、でも少し微笑んでいるような、憂いのある綺麗な顔がそこにはあって。
ああ、この人は・・・
きっと、私よりも遙かに泣く事が出来ない人、なんだ・・・
唐突にそんな事を勝手に思って、また涙が止まらなくなった。
今、自分の意思とは関係なく出てくる涙は、きっとレア様の分も一緒に出ているんじゃないのかな。
出てくる涙は中々止まらないし、嗚咽が零れてきて呼吸もままならない。
震える肩を抱きしめてくれるレア様は、それからは何も言わずに黙って私の醜態を受け止めてくれていた。
そうやって気遣ってくれる事の優しさに浸るのと同時に、これは甘やかしなどではなく、私の感情のけりの付け所までレア様が導いたのだという気さえした。
しっかりしなきゃ。
きっと、私が今悔しいと思っている以上の感情で、レア様はずっと耐えて来たに違いないから。
まだ、レア様の人生の1パーセント分も生きてない私が、そんな弱音を吐いちゃいけないと思って、私は涙まみれの顔をあげる。
「頑張り、ましょう」
「・・・」
レア様は、驚いたような顔をした。
「私、も、かんがえ、ます、から」
嗚咽交じりでどうしても言葉が途切れる。
でも、レア様には伝わった。
「あなたは、優しいのね・・・」
レア様は涙を零さなかったけれど、憂いを残した表情で私にそう微笑みかけてくれた。
今、シアド様がいないと言う事はきっととても不安なのに、私の事を気遣ってくれるレア様の強さを感じながら、強くなりたいと強く思った。
2009/04/26 up
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小声で編集後記のコーナー。
あれっ、レア様とお会いして、またしてもいろいろ世界観の説明をしていただくはずが、色々欲張ったらこんなに長く(汗)。
は、早く伸太郎と会わせたいんですけど、なかなかストーリーが一人立ちしていて私の思い通りに行きません。
困る・・・(苦笑)