注:かなり痛そな暴力表現アリ。



第二章

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 朝。
 ・・・って言っても、太陽が地平線から頭を出すか出さないかの頃(多分午前4時ごろ)、唐突に目が覚めた。
 だ・・・ 駄目だ。
 なんか色々考えなきゃいけないことが沢山なのもあったんだけど限界。
 お腹空いた・・・
 至極まっとうな人としての生理現象によって目が覚めてしまって、空腹を誤魔化す為に二度寝に入ろうかという気も全く起きなかったから、仕方なくソファから身を起こした。
 明が昨日貸してくれたマントのお陰で寝冷えせずに済んだけど、やっぱり縮こまって寝ていたからなのか節々が少しだけ痛い。
 一度伸びをして、周りを見渡すとお兄ちゃんは相変わらず静かに寝ている。
 足元の方にいた筈のスノウを探したら・・・ いなくなっていた。
 ・・・? どっか、行ったのかな・・・?
 精霊だから気まぐれなのかもしれないとか、そんな適当な事を考えて、先ず自分のこのどうしようもない空腹状態から脱出しないと。
 お腹空いた。我慢できないから何か作ろう。
 多分、考えなきゃいけないことは山とある筈なのに、どこか現実逃避じみた『自分の本能』に寄る辺を求めていつもの生活に戻ろうとしているな、というのも頭の奥のほうでは理解していたんだけど、やれることから先ずやっていくのが信条。
 先ずは、兎に角、ご飯!!
 半分寝惚けながら、ふらふらと台所に失礼して、適当な戸棚を開けてみたりした。
 大概、明はお湯を沸かすくらいのことにしか台所には入っていないので、ここにある台所用品のありかは殆ど頭に入ってる。
 問題は、明はいつも忙しくて滅多に自宅には戻らないから、碌な食材がないだろうということ。
 何かあるのかしら・・・
 人の家の台所を漁るのは浅ましくないのか、と言われればそうなんだけど、姉弟のような間柄なので今更明が突っ込んだりしないのを見越しての行動です、念の為。
 がさごそ探っていたら、昨日話題に出た『何かとても危ない感じの汁』になっちゃってる多分過去は牛乳だったであろう物体と(半分固形化もしていた)、『これはひょっとしたら砂糖の大根汁漬け?』にしか見えない、茶色っぽく結晶化した蜂蜜の他にも、『鼻を近付けただけでくしゃみを出させる謎の液体』だの、『多分滑らかな表面だったと思われる青黒いでこぼこした物体』だの、碌なものは出てこなかった。
 ダメモトで、華麗に修復の術使って強引に料理してやろうかと頑張ったんだけど、どれもこれも術の段階でハネられて断念。やっぱり期限切れか・・・くっ。
 そ、想像はしていたんだけど、どんだけ家に帰ってなかったのか、っていうのが何となくわかった・・・
 綺麗に片付いていたのは、ここではあまり生活してなかったから。
 それでも、重力に逆らえない筈の塵すらあまり溜まっていなかったのは、『不浄防除』の術でもかけていたんだろう。変な所で律儀なくせに、台所と寝室は荒れ放題という謎。どうせなら『防腐』の術でもかけておけば良かったのに、痛ましい食材の数々。
 つかあいつは、どんな食生活を送っているのよ・・・
 お兄ちゃんが患者さんから戴く差し入れとかで我が家は食い繋いでいたので、貧乏なりに私の食生活はそれなりに豊かだったんじゃないかと今にして思い直していた。
 家だったら菜園に食べごろの食材はある筈。サラダでも充分ご馳走です。それに一昨日焼いたパンがまだ大丈夫な筈だし・・・
 うちは貧乏なので、結構自給自足に努力しているのです。
 ・・・一回家に帰ろうかなと考えて、でも、何となくこの凄まじい台所の在庫品を見ていたら片付けをしたくなってしまって、結局がさごそと別の仕事を始めてしまった。
 良くあるよね、勉強したいのに何でかノートにお絵描き止まらなかったりとか。
 そんな自分の良くわからない行動原理の中に、やっぱり現実逃避を突然見出して、手を止める。
 何を、しているんだろう、私・・・
 そんな場合じゃないのに。
 こんなことをする為にここにいるわけじゃないのに。
 どうにかしなくちゃと思う気持ちは奥に凝っているのに、前に出る力に変えられない。
 多分怖い・・・ から。
 人の事となると見境をなくすくせに、自分の事になるときっと私はとても臆病になる。
 それも、『契僕』のことになると尚更。
 ・・・やっぱりあの時の・・・ トラウマになってるのかな・・・
 出来れば明には気付かれたくないのに、きっと私がギクギクする度に明は傷ついているのだろう。
 後悔とか、遣る瀬無いとか、そんな感情で明の心はきっと・・・ 黒く染まる。
 私がしっかりしなきゃいけないのもわかっているのに、私は一体何ができるんだろう。
 いつもそれを考え出すと、別の事をして誤魔化そうとする自分を自覚して、更に自己嫌悪に陥る。
 何かに強く打ち込んでみたり。
 体を動かせば忘れられるんじゃないかと思ってみたり。
 時間稼ぎで埋め尽くされる私の時間。
 責任逃れの上乗せ。

 ・・・最低、じゃない。

 自分にそんな罵声を浴びせてみて、それでも何も出来ずに立ち止まる。
 不意に、かたん、と音がして、気配に気付いて振り返ると明が戻ってきていた。

「おかえり・・・」
 皆が寝ているからと思って、気持ち小声で聞いたのに、
「・・・朝っぱらから何してんだお前」
と、やけに響く低い氷のような声で聞いてきた。
「え、見てわかんないかな、大掃除」
「・・・・・・何故今」
「だって何か気になったんだもん、ほら」
 何気に危なそうな物体を明に見せたら華麗なスルースキルで私の横を通り過ぎていってしまった。
「飯か」
 ・・・えちょっと。何よ今の凄く侮蔑の入った声はっ。
 ご飯で一日の気分とか違ったりしてくるのよっ!!??
「だ、だだだって」
 言いかけたときにとうとう、『きゅう』と、何か鳴った。
 ・・・・・・っ。
 顔から、火が出そうに・・・っ。
 明と目があって、明の目がすうと細められた。
 ば、馬鹿にしてる、絶対。
 と思ったとき、何か飛んでくる気がして咄嗟にそれを受け取った。
 ポケットから出したのか、何か暖かい。
「それしかなくて悪いんだが、時間がないんで今は我慢してくれ」
 見たら、カロ○ーメイトだった。あ、これは人間界の研修時に時間がなくてお世話になった覚えがあったから例えてみたんだけど、小麦と栄養素の混じった焼き菓子(漠然とした表現)。
 多分、いつも時間がないからこういうもので済ませてるんだろうなあ・・・
 見てみたら、『激辛』って書いてあった。 おい、空腹時にこれかよ・・・ とは、言わない。多分これ、明のめいっぱいの思いやりなのだ、きっと。
 ・・・待て待て。
 今、時間がないとか言わなかった?
 そう思ってもう一度明を見ようとしたら、既におにいちゃんやチムさんたちを起こしにかかっていた。
 お兄ちゃんもチムさんも職人さんだから朝はいつも早くて、すぐに自分の身支度を済ませてしまう。
 しまった、顔も洗ってなかった、と慌てて自分の身支度を済ませた頃には、スノウがヒトカタで戻ってきていた。
「どうやら街は少し落ち着いて来たようです。気になったので・・・門の結界も、少しだけ修復してきました。あれでは危なすぎるので」
 何でもないことのようにさらりと言う。
 確か、門って、建立するのに凄い年月かかってるのよね?
 土属性の精霊って・・・ すご。
 でも『少しだけ』と言ったのは、きっとあの吸い込み封じだけのようだった。
 あれは確かに危なすぎたから・・・
 元々長い時間をかけて練り上げられた結界はそんな簡単には修復では直せないし、編み上げるにもきっと時間は必要だった。
 そう言えば門の事もあったんだった。
 あれって、異界の進攻を防ぐ役割も担っていた筈なんだよね。
 ・・・少し嫌な予感がした。
 まさか・・・ね・・・
 私の予感は妙に当たる事が多い。
 ひょっとして・・・ いや多分、ひょっとしない。暫定的に・・・ いやもうこれは・・・確信。
 もう一人の契僕は・・・ 異界の後ろ盾がいるのだ。
 でなきゃ何で、『すり抜け転移』で抜けずにあんなリスクを伴う門破壊をしたのか・・・
「明!!」
 思い当たって、私は一人で動揺して声を上げる。
 明はそんな私に気付いても平然とした様子でてきぱきと動いていた。
「明、私、気付いたことが・・・!!」
「それも含めて説明してくれる人が見つかった。迎えが来るから外に」
 言って、明は玄関のドアを開く。
 瞬間、

 すたん!!

 と、何かが天から降って来た音がした。
 何か、とても攻撃的なもの。
 でも、余韻を残して何かがきらきらと光っていた。これは・・・何か聖なるもの。
「流石に、仕事の早いお方だ・・・」
 明は半分呆れたような溜息交じりの言葉を吐いて、そのまま私達を外へ案内する。
 玄関ドアのすぐ近くの地面に、白い羽根のついた矢が天から降ってきたように突き刺さっていた。
 まだ、余韻がきらきらと光っていて、矢自体がうすぼんやりと発光している。
 え・・・? 天から、降って来たみたいな・・・?
 何が起きたのか判らなくて、何となく空を見上げる。
 すると、地面に突き刺さった矢と空を繋ぐように、モコモコした筒が出来上がった。
 それは輝いていて、虹色で。レインボーカラーを撒き散らしていて。見るからに・・・ 『巨大な巻貝』のようで。
 ・・・えーっと・・・
 何だろうこのメルヘン展開。
 まさか明からこのようなメルヘンを見せられるとは思わなかった私はただ唖然とその巻貝を見上げる。
「入れ」
 仏頂面のメルヘンの使者からは素っ気無い事務的な命令口調。
 いやさ、それ、私には全然いいんだけどさ、お兄ちゃんやチムさんにはやめなさいっての。
 若干不服を含みつつ、でも盗み見たら全く気にした様子のないお兄ちゃんやチムさんに安堵しつつ、ぽっかりと口を開ける巻貝の入り口へと踏み込む。
「わあ・・・」
 中身はもっとメルヘンな事になっていた。
 外から見たときは4人で囲うと丁度いいくらいの筒の太さだった巻貝は、中に入ると想像以上に大きく太かった。
 天を穿つ巨大な太い筒。
 ・・・何かこの表現やめたほうがいいな、メルヘンチックに言うと、巻貝の中身をそのまま階段にしたような螺旋階段が天へ続くように伸びている。
 ヒダヒダの一つ一つが階段で、虹色に輝いていて綺麗だった。
 手すりがあって、ど真ん中は吹き抜けになっている。
 手すりにも意匠の凝った模様が刻まれていた。
「その階段を『一段も飛ばさずに』踏みしめて昇れ。遠いが、この方法が一番手っ取り早いし恐らく気付かれない」
「き、気付かれない・・・ 一体、何に?」
「・・・」
 明は答えなかった。
 基本、毎日ハードワークなんだろうけど、昨日はあんまり休めてない筈で、あの時出かけてから、またきっと何かがあった。
 そういう顔。暗い・・・眼だった。
 動けずにいると、結局煽動するように一歩明が螺旋階段を踏む。


 き〜ん・・・・・・


 明がぎくっと固まった。
 踏みしめた階段の一段目が、高い音を奏でる。
 それでもめげずにもう一段踏み出した。


 こ〜ん・・・・・・


 余韻を残してまた鳴った。今度は音程が違った。
 ・・・何この階段・・・?
 踏みしめると音がする仕掛けになっているんだ。
 興味が沸いて、一応一歩踏み出してみた。

 ぽろん。

 あれ?
 明の時とは違う音だった。
 変だな、さっきは何か高い鐘の音だったのに。
 もう少し好奇心が出てきて、二、三歩と踏み出してみた。

 ぽろぽろりん。

 オルゴール?の音がした。確かに。
 何で明と私とで音が違うんだろう?
 流石に兄妹、お兄ちゃんも興味を持ったのか階段を昇る。

 ぎー。

 あれ?
 また違う音がした。
 バイオリン・・・? もう少し低いかな、ビオラ?の音みたいだった。

 同じ段に昇ってきたお兄ちゃんと私は申し合わせたように後ろを振り返る。
 多分、同じように目がきらきらしていたのか、目があったチムさんは少し困ったように笑ってから顎をかき、ふん、と気合を入れて階段に足をかける。

 どーん。

 太鼓?ぽかった。寧ろ和太鼓、っぽかったかも。でもちゃんと音程がある。
 これは凄くチムさんの持つイメージと一致するような気がした。
「何これ面白ーい!」
 そんな場合じゃないんだけど、怒涛のメルヘン展開につい歓声を上げてしまった。
「人によって音が違うんだね、どういう仕掛けなんだろう」
 お兄ちゃんも気持ち浮かれ気味だ。
「高等な浄化法・・・じゃないかな。一歩ずつちゃんと順番に『自分の音』を刻まないと術の効果を発揮しないっていう」
 職人のチムさんが流石にこの手の術に詳しいようで補足してくれた。
 そしてもう一人、まだ階段を上がっていないスノウを皆で振り返る。
「ああ・・・なるほど・・・ 意図が読めました」
 スノウは少し苦笑混じりに言って、螺旋階段を仰ぎ見る。
 螺旋階段の頂上は見えないほどに高くて、渦を巻いて小さく窄んでいる以外は見通せない。
 スノウは一度その頂上を目を細めて見上げてから、
「私は出来れば遠慮したいんですけど」
 と、急に私に訴えてきた。
「え・・・ どうして?」
「この階段を昇るにつれて、私は自身の属性値を下げなくてはいけなくなってしまうのです。土の支配する『地上』にいてこそこの姿ですが、昇りきった頃には大層『残念な事』になりかねませんので・・・」
 そういってスノウは引き返そうとした。
 ・・・自由になってから、ホント、結構スノウって自由人だよね。精霊だからなのかな?気まぐれなのだ。
「待て」
 明が鋭くスノウを制止した。
「事情も理解するが『急ぐ』と言ってるだろう」
「・・・」
「・・・」
 沈黙しながら二人は何か目に見えない戦いをしているかのよう。
 おろおろして二人の間に入ったほうがいいのかと、見比べていたんだけど入り込む隙もない。
 ・・・なんて情けない。
 確か私、多分、もしかして、二人共の『主』だったような気がするんだけど、えーと・・・

「・・・頼む」

 明が、小さく言ったのを聞いて、私だけじゃなくお兄ちゃんもチムさんも、スノウも一瞬目を見開いた。
 全員の注目を浴びてしまった明は、それでも眉一つ動かさずにスノウを階段の上から見下ろしている。
 スノウは、一瞬満足げに顎を上げたあと、
「まあ、そういうなら」
 と言って、階段に足をかけた。

 ずーん。

 あっ、これはすぐわかった。ベース音だ。
 古代からいる筈のスノウからベース音が出てくるとは思わなかったけど、不思議と違和感はなかった。
 やっぱりそれぞれ、何となく発する音と人のイメージと一致するような気がする。
 ・・・自分の、オルゴール?っぽい音は『ちっさい箱から出る哀しげな音』で、多少突っ込みたいけども。多分もっと元気なので良いんじゃない、責任者。
 それに、明の『何故か異様に高音の鐘』の音は違和感ありすぎな気がするけども。

 一応全員納得の上で、階段を一歩一歩上がっていった。
 階段の一つ一つが鍵盤になっていて音階が違っていた。
 進むにつれて旋律が浮かび上がって、曲になっているらしかった。
 私は聞いた事がある曲ではなかったんだけど、それは優しい旋律で、何故か心が落ち着く。
 偶にはこういうメルヘン良いよねー。
 結構毎日修羅ってたから。
 多分、人生で今一番修羅ってる筈なのに、階段を昇っていると少しずつ気持ちが上向いてくるような気がした。
 でも、そこにはどうしても一つだけ不協和音があった。
 明が踏みしめる、高い鐘の音。
 どこかで聞いた事のあるフレーズで、それは何度も繰り返されるのだった。

 きんこんかんこん。
 きんこんかんこん。
 き〜んこ〜んか〜ん・・・♪

 あっ。
 急に思い出した。
「人間界で見たことある、『N★K のど自慢』の、合格者の音・・・!!」
「言うなっ!!」
 激しい口調で明が叫ぶ。
「・・・」
 あまりの取り乱しように言葉を止めると、明は少しプルプルしつつ、聞こえるか聞こえないかの声で何かを吐いた。

「あ・・・っのクッソババァ・・・っ」

 聞き逃さなかった。
 凄い呪いの言葉を吐いたよね今。
 今気付いたけど魔眼が真っ赤っかだった。
 何だか相当怒ってる。
 この、『明自身の出す音』の所為なのかどうかはわからなかったけど、凄くご機嫌斜めだ。
 ・・・どうしよう。
 何か声かけづらい。
 でも放っておけない。
 ・・・意を決して、声をかけてみた。
「何で『のど自慢』?」
 しまった。地雷だったコレ!!
 だって凄く気になったんだもん『のど自慢』。
 今も階段を昇る明の足は一定のリズムで相変わらず『合格者の音』を鳴り響かせていて、どこか浮いていて耳につく。
 そりゃあ、私(オルゴール)やお兄ちゃん(ビオラ)やチムさん(和太鼓)やスノウ(ベース)の音も和音で聞いても違和感ありすぎるんだけど、不思議と混ざり合って不快感は感じないのに、明の『のど自慢』の音だけが『不協和音』だと感じる。
 ぎろっと魔眼に睨まれたけど、紅く光ったのはその一瞬だけで、はあと溜息を吐いた明は気持ち肩が下がっていて覇気がなかった。
 珍しいな、こんなに表情豊かなの。
「『ほんのお茶目』なんだろう」
「・・・誰の」
「この術を行使する者の」
 ・・・多分、さっきの台詞からして、お婆さんなのかな。
 で、明はその人の事が苦手なのだ、きっと。
 て言うか、お茶目。
 お茶目って、何だろう。
 明からそんな言葉が出てくると思わなかった。
 お茶目だと何で『のど自慢』なんだろう。気になるなあ・・・
 でもそこまでは突っ込めなかった。多分まともな答えは返ってこない。

 見上げるとまだまだ階段は続いていた。先は見えない。
 閉鎖された壁とどこまでも続く螺旋の階段なのに、圧迫感は不思議と感じなかった。
 というのも、この虹色の壁は、透明だからでもあった。
 硬質なんだけど、オーロラのカーテンのような、でも見た目には虹色のパラフィン紙のような。
 それに、仕切りを感じるのに風を通していて、初夏の早朝の風が髪を擽る。
 足元の少し遠くには、様々な色の煉瓦を敷き詰めた家々が並ぶインティナ地区が広がっていて、遠くに目をやると、灰色のスラム、レジス地区が広がって見えた。
 レジス地区の外れの一角に、異様にデカイ洋館がある。
 珍しいな、レジスにあんな大きな建物は。
 そんな事を思いながらもっと遠くを見やると、重なり合う山々が朝日を浴びて黒から紺色へ変わりつつあった。
 空も橙から黄色へ、そして白くなり始めていた。
 変だな、もっと時間経ってると思ったのに。
 昇り始めてから結構な時間が経っているはずなのに、太陽は思ったよりも昇っていなかった。
 太陽は、日の出、日の入りの時は特にそう感じるのだけど、凄く駆け足だったりする。
 それなのに凄くゆっくりと昇っている気がした。
 もう結構昇ったと思うんだけど、と思って手摺から少し身を乗り出して下を見てみたら、下も良く見えなくなってる。
 うぇええーこんなに昇ったのか・・・
 そりゃそうか、街があんなに見渡せるほどの高さって、結構高所恐怖症だったらキツイもんねぇ。
 幸い私は高所恐怖症ではないんだけど。
 って、ちょっと待って、数えてなかったけどコレって、もう既に数千段踏んでない?
 鍛えてはいたから自分の疲労はまだ大丈夫だったけど、そう言えば空腹だったのにあまり感じなくなってきた。
 それよりも、常にデスクワークのお兄ちゃんや、巨躯のチムさんの体力が気になって様子を見る為に後ろを見る。
 私の『目が口ほどにものを言って』いたのかどうか、お兄ちゃんが心配するなとでも言うように笑う。
 あれ、意外とケロッとしてるな・・・
 チムさんにしても然りで、あまり疲れた様子は見えなかった。
「凄いよ。浄化法もかかっているけど、曲のインターバルに『疲労回復術』まで刻まされるみたいだ。相当の『覚醒者』だね、術者は」
 階段を昇る度に鳴り響く旋律は、同じ曲ではなく、違う曲にも変わったりした。
 その曲自体に色んな効果を孕んでいて、私達はそれを自分達で刻んで術を行使させられている、って言う術。
 どうやるんだそれ。凄い、こんな、何もない『空』に、これだけのものを紡いで構築させるって力は、普通の人ではありえない筈。

 って、え?

 神にも等しき力。

 って、え?

 くそババア・・・って・・・

 色々符号が揃いそうだった時、

 でーんでででーんでででででででーーん・・・

 何か別の、異質な音が遙か下のほうから響いてきた。
 これは・・・ 確か、『葬送行進曲』。
 それはとても愉快な音のような気がするのに、凄く無機質に響いてきて。
 明と同じように『不協和音』なのに、上手く表現は出来ないのだけど、変だと思った。
 何故だか、悪寒がした。
「・・・っ、気付かれたか・・・」
 明は手摺から下を見てから、全く迷いなく。

「あっ、ちょっと!!」

 飛び降りた。

 ・・・と思ったら浮揚してた。ちゃんと、術の行使はここで『赦されて』いるみたいだった。
「駆け昇れ!」
 強い口調で私達に叫ぶ。
 呆気にとられているうちに、『葬送行進曲』の音程が滅茶苦茶になって響き渡るのが聞こえた。
 確か明は、『一歩も飛ばさずに踏みしめて昇れ』と言った筈。
 それはすぐに途切れて、今度は、びゅおん!!という、風を切る音がした。
 ズルして、階段を昇らずに螺旋の中央の吹き抜けを『飛んで』突っ切ったみたいだった。
 ずるい、それが成立するんだったらそうするほうがずっと楽なんだけど、突然追いかけてきたそれは、見る間に私達に追いついた。
 え・・・っ、やっぱ、それ成立すんの? ずるい。

「みーつけたっと。ビンゴ」

 黒っ。
 真っ黒い。
 彼の放つオーラは、明と同等に大きくて、そして・・・
 ただただ、黒かった。

 橙色の髪に薄緑色の瞳。
 硬そうな髪はそんなに長くないけどあまり手入れはされてないみたいで跳ね返っていた。
 茶色の皮にファーのついたベストと同質の素材で作られているハーフパンツと、編み上げのショートブーツを穿いている。
 目を凝らさないとその明るい色の髪や瞳が見えないくらいに朝日を浴びながら真っ黒のオーラを放つその姿は、とてもこの場にあって到底『メルヘン』ではなくて。

 何これ。
 何、この、黒い、・・・『おぞましい感じのする者』は。
 背筋に、悪寒が走った。

「行けと言ったのが聞こえなかったのか!!」

 普段の明からは考えられないほどの大音声が発せられて、一瞬びくりとなった。
 めまぐるしく変わる状況について行けていない事を漸く悟った私は、今出来ることをする為に兎に角階段を駆ける。
 お兄ちゃんと、チムさんの手を引いて。
 それこそ小股になっても仕方なかったけど、『一段も飛ばさないで』駆け上がった。
 明は?
 明はどうなったんだろう。
 螺旋の階段を上がっているから、そのど真ん中の空洞を浮揚で移動する明や『彼』はすぐに私達に追いすがる。

「お前がそんだけ取り乱すの初めて見るぜぇ、『勇者殿』」

 『彼』は、嘲笑を含んだ表情で明を見た。
 嘲笑の中に、底知れない『何か』があって、それは私には『何』だかわからなかった。
 私達を庇うように、私に背を向ける明の表情は、見えない。
 『彼』の唇が、引き連れるように歪んで上に釣り上がった。
 それは多分『嗤い』というものだという事に気付くまで、数瞬を要した。

「いるんだな?」

 立ちはだかる筈の明を見ずに、『彼』は、明の背後にいる私達を『視て』いた。
 兎に角早く駆け上がりたいのに、浮揚を使う『彼』から逃れる事が出来ない。
 ちょちょちょっと、効率悪いよこの階段!!
 でも、体力にはあまり自信がない筈のお兄ちゃんもチムさんも駆け上る事はそんなに苦痛じゃないみたいだった。それが救いだった。
 スノウはちゃんと淀みなくベース音を響かせているからちゃんとついて来ている。
 明は『彼』を見据えて動かない。
 でも、駆ける私達を常に守るように浮揚で移動している。
 私は、その様子から目を離すことが出来なかった。

 ずどん!

 鈍い音。
 『彼』は、一瞬で、明の目の前に移動した。
 それこそき・・・ききき、『きっす』が、出来ちゃうくらいの近距離だった。
 鈍い音は・・・
 『彼』が、明の腹めがけて拳を振りぬき、それをいともあっさり微動だにせず明が掌で受け止めていた音、だった。
 普通今の音ぐらいの衝撃だと、掌、抉れるよ!! とか、内心ビビっていた。
 明の肩をまたぐように、『彼』の首はにゅうと明を超えて、私達を見るように伸びてきた。

「・・・!!」
 異様に輝く薄緑の目はまるでヤバそげな光線を出しそうなほどに爛々と輝いていて、その不気味さに息を呑む。
 明の魔眼よりも遙かに禍々しい、『狂気』が、そこにはあった。
 明るい色なのに、そこにはとても深い深い・・・『闇』があった。
 『彼』の焦点はどこかあっておらず、私達を捉える事はなく、ただ探すように泳いでいる。
 そのまま駆け上がっているのに、『彼』は私達の姿を捉える事は出来ないようだった。
 階段の鍵盤は、私達に『姿消し』の術までも奏でさせていた。
 音だけはまだ足元から鳴り響いている。
 その所為でか、どうしても音を奏で続ける私達の『気配』だけは『彼』に忠実に伝わっている。
 効率が悪いような気もしたけどそこまでは親切に出来てはいないみたい。
 安堵したのも束の間、『彼』から薄く陽炎が立ち昇る。
 明から飛び退って明に向かって、『気弾』を練り上げて放った。
 明は・・・ 想像に反して、その『気弾』から身を挺して守るでもなく、すうと避けた。
 ・・・つまりは、それは『私達』に向かって飛んでくる。

「のおぉっ!!」

 明は庇ってくれるんじゃないのかと甘っちょろく考えていた私は咄嗟にどっかから声が出てしまって、慌てて口を押さえた。
 普通に駆け上がっていたら絶対に喰らう筈の『気弾』だったけど、『一段飛ばしをしてはならない』階段を昇る私達はその『気弾』を避けることは出来なかった。
 身が竦む。
 『死なないだろうけどとりあえず怪我はする』程度の小手調べの『気弾』だったけど、それが『痛い』のはわかっているから、嫌に決まっている。
 シールド張ろうと術を練ろうとする前に、階段の手すりの中空のところで『気弾』は音もなく掻き消えた。
 何もない筈の手すりの延長上の中空に吸い込まれる。
 それはまるで、水溜りに一滴、雫が落ちたくらい静かに掻き消えた。
 何事もなかったように、青空の広がる外に『気弾』だけが放り出された。
 驚いて声も出ない。・・・否さっき、凡そ女の子らしからぬ悲鳴を上げたのは私なんだけど。

 明が判っていて避けたのを、漸く悟った。
 みみ、見捨てられたかと思った。
 まだ心臓がばくばくいってる。
 コレは階段を駆け上る疲れとかではなく、ただただ状況にのまれて動揺している心臓なのだと思って、兎に角落ち着くことに集中した。

 そうしなければならなかった。

 明はわざとに『彼』に、何をしても無駄だという事を知らしめる為に庇っていたのだと判って、そこまで計算しといて私のビビリは何だったのかと、そこで冷静に戻れた。ツッコミで冷静を取り戻すなとか言うことはまあ、おいといて。
 明は宙に浮いたまま、腕組みをして・・・これまた珍しく『嗤った』。

「気は済んだか? 『単細胞』」

 言われた『彼』は、キッと殺意の篭った瞳で明を睨んだけど、明は腕組みしたまま平然と『嗤い続ける』。

「ご丁寧に全てのリミッターまで外して」

 胸元から下がっていたティリル・・・『魔石』が、紅く輝いて黒刃に変わる。

「無駄足だったな、『ドゥエ』」

 えっ、『ドゥエ』!!??
 って、なんだ、数字・・・ 『2』!!??

 つか、つか、待って、明・・・
 『殺意』丸出しですけど!!

「駄目!!」

 夢中だった。
 私の声で、明が危なくなるのもわかっていたのに。

 私は、明を『制止』していた。

 明の『狂気』を、目の当たりにすることが、ただただ・・・ 怖かった。

 何も考えられなくなって、私は、手すりから、身を乗り出していた。

 そして、彼・・・『ドゥエ』と、目が、合った。

「あはははァ、『金髪』『翡翠』・・・ やっぱビンゴだったなぁ・・・」

 薄緑の瞳は、何かとても無機質な、哺乳類ではない感じの不気味な輝き方をした。
 目がこのまま零れ落ちるのではないかというほどに、見開かれていた。

 別に『金髪』も『翡翠』も、珍しい色じゃない。
 結構溢れているから私達は隠れられていた筈なのに、『彼』は私をきっと・・・
 一発で『看破』した。

 執着。
 というよりは妄執。
 そして何よりも・・・『絶望』が、奥の方に見えたような気がした。

「馬鹿!」

 明が今度は本当に庇うように私の前に現れて、私の頭をそれこそコタツの上のミカンのような無造作な所作でわしっと掴んで押し戻した。
 結構強く押された所為で、『ぐき!』という筋を違える音がして、
「おぐぅっ」
 という、恥じらいの欠片もない声が喉の奥から零れ出た。
 首をさするともう痛みはなかったけれど、きっとこれも『奏でる音』が治しちゃったんだと理解したけど、それよりも何よりも、自分の迂闊さで、『知られた』事実を悟って、それに意識が行く。
 ドジった。
 明は、終始、私を隠すように動いていたのに。
 明の足を引っ張った上に・・・知られた。

 数字もちは女王の手下。
 という事は・・・ 女王は、私の顔を、もう知ってしまったのかもしれない。

「大丈夫だ・・・ 『まだ』な」
 明は冷静な声で私に呟いた。
 どうやら、螺旋の真ん中にいても、明にはちゃんと私が見えているようだった。
 それはちゃんと明が途中まで階段を踏みしめていたのと、『彼』とは曲が違っていたからだろうけど、明はもう踏み外してしまっていた。どこで踏み外したのかももう、わからない。
 という事は最初から、明は昇りきるつもりはなかったのだろう。
 きっとそれも、私を、守るためだったのに。
「ごめん・・・」
「いい。もう気にしないで昇れ。こいつは絶対にそっちの『階段』には介入できないし攻撃も出来ないし、音以外では居所を捕捉出来ない」
 いつもだったらその仕掛けを聞きだそうとしていたかもしれないけど、自分の迂闊さに打ちひしがれつつあった私は、それを思いつきもせずにただ聞いていた。
「兎に角昇りきれ。そこまで行けば絶対に『安全』だ。俺のことは昨日言っておいた通り・・・」
 明は今度はちゃんと私を見据えて、淀みなく言い放った。

「『放って』おいてくれ」

「・・・」

 何も、言い返せなかった。

「行くよ!」
 突然、ぐんと腕を引かれて階段を再び昇り始める。
 自分の足が止まっていた事に気付いて、引っ張る相手がお兄ちゃんだと知って、私は自分が自失しかけていたのを知った。

 明は。明が私を見据えていた瞳は。
 右の蒼い瞳は、静謐な水を湛える湖のように澄んでいて。
 左の魔眼は、秋の夕暮れのような金琥珀をしていた。

 ―――――――冷静、だった。

「あはははははははァ、やっぱ当たりだァ。ビンゴだァビンゴ。偶に『命令違反』もしてみるもんだなァ、大収穫ゥ」
 彼・・・『ドゥエ』は、勝ち誇ったように高音でけたたましく嗤いながら、明の傍まで浮揚してくる。
 しつこく追い縋ってくるけど、明は取り乱さなかった。
 私は、彼の異様さを感じながら、恐れ戦きながら、頭の奥のほうで、本当に彼はこちらに手出しできない、という事が理解できつつあった。
 この手すりから、出なければ。
 階段を飛ばさずに、昇れば。
 『螺旋』の側にいる私達は安全なのだと。

「人嫌いのお前がァ、そんなに『執着』する『人』ったらアレしかないよなァ・・・ えぇ?」
 にやにやと嗤い続ける『ドゥエ』は、ヤバイ薬でもしているかのようなハイの状態に見え。
 手柄を手にしたことを何よりも喜んでいる様子に見えるのに、何かどこか、否、全てが病んでいるみたいだった。
「・・・安心した。『命令違反』なら、まだ間に合うな」
 明は怒気も狂気もない、静かな低音で呟いたあと、私の視界から消えた。
 『転移』だった。
 そして。
 穏やかな旋律の流れるそこに。

「ギャアアアアアアアア!!!!!」

 悲鳴が、響き渡った。

 何が。
 一体、何が起きて・・・

 私の止まりかけた足を急かす様に、お兄ちゃんが私の腕を引っ張る。
「走れ!」
 叱責する。
 でも頭がぼうっとなって、事態を理解できなかった。

 明は殺意も狂気もなかったのに。
 冷静だったのに。

 何の迷いも持たずに、左手の人差し指と中指で。

 『ドゥエ』の片目を、抉り出していたのだった。

 それだけでも異様だったのに、もっと違和感を感じたのは。
 悲鳴を上げ続ける『ドゥエ』から、生命が感じた時に最も強い波長となって響く筈の『痛み』を、全く感じなかったことだった。

 生命は、必ず『痛み』を持って存在する。
 『痛み』は『救い』を求める悲鳴であり、私はそれに過剰反応するところがあった。
 その、私が『痛み』を感じなかった。
 『ドゥエ』は、『救い』を、求めていなかったのだ。

 まだ、『ドゥエ』は叫び続けている。
 肉体的な痛みを訴える悲鳴はいつまでも続くのに、まだその異様さは消えてはいない。
 無事なほうの片目で、明を未だに強く睨み据えている。

 風で塵や砂が片目に入って激痛を感じたとき、普通は、無事なほうの目も痛みで開けられなくなる生理現象の理を無視して、彼は憎しみの篭る無事な方の目で明を見ていた。

 明は明で、感情の篭らない瞳で『ドゥエ』を見下ろしながら、抉り出した目を『ぬちゅっ』と、握り潰した。

 血とか涙とか良くわからない白い物とかが、明の指の隙間からにゅるにゅると零れ出る。
 それを明は右手に持ち替えていた『魔石』の刀身に擦り付けると、それを吸い取るように明の手は不浄から開放された。
 指紋の隙間にも何も残さないような。
 『魔石』は一度紅く刀身をカッと輝かせた後、赤い霧を外に吐き出した。
 何だか良くわからないけど・・・『砕かれた』のだけは、わかった。

「キサマ・・・キサマあああ!!」

「見られて生きて返すほど、お人よしでもないんでな」
 明は「ご馳走様」を言うような簡単な口調で言う。
「だが俺の『叛意』を知られるのも都合が悪いから、生かしておいてやろう」

 そう言った明は、残っている方の『ドゥエ』の目までも抉り出していた。
 人体がどうやったらそうなるのか、熟知している手つきだった。
 瞼の皮膚ごと、引き千切る。
 視神経がぶちぶちと切れる音まではっきり聞こえてきた。

「ぃギィヤアアアアアア!!!!」

 もう断末魔に近かった。
 それなのにどうしても。『痛み』は伝わってこない。

 明は事務的な作業のように、先ほどと同じように『魔石』の刀身にそれを与え、『魔石』は当然のようにそれを飲み込んだ。
 唐突に気付く。
 『魔石』の。ティリルの。『パワーチャージ』は・・・
 『穢れ』の、吸収・・・ 他にも多分明から何かを授かってはいると思って居たけど・・・あれもきっと。
 だとしたら昨日、あんなに元気だったティリルは・・・
 沢山の『穢れ』を吸収していた筈だった。

 眩暈とか。
 吐き気とか。
 頭痛とか。
 腹痛とか。
 ありとあらゆる生理的嫌悪感が込み上げて来て、でもこんなところで『ゲロ』したって結局は自分が困るのを理性で悟って全部我慢して、それでも階段を駆け上る足を止めずに走った。
 足元からはまだ暢気なオルゴールの音が響いてる。
 今はこんなメルヘンに浸る気にすらなれず逆に恨めしく感じたけど、和太鼓やベース音が、『追い立てられる』焦燥感を与えて、辛うじて場の空気に妙に合っているな、とぼんやり思った。

 目を失った彼は、もう上も下も感じなく、ただ肉体的な苦痛を訴える為に中空でのた打ち回っていた。
 もう、私達の『音』を追う様子もなかったのに、明はまだまだ容赦しなかった。

 紅い闇を吐き出す『彼』の空洞・・・目を抉られた『穴』に、黒き刃を突き立てる。

「脳漿」

 明はそれだけ言ったけど、それが何を意味するのかはわかりたくないのに、わかってしまった。
 『魔石』に、『ティリル』に、彼の『脳漿』を、吸い込めと命じているのだと。

 ああもう、何でこう、こういうときに限って色々な事に敏感になってしまえるのだろう。
 悟りたくはないのに。

「視た『目』は失った。記憶を司る『脳』も失い、『命令』で繋がっていないお前に、さっきの顔を思い出すことが出来たら、俺も少しは見直してやる」
 聞こえているかどうか、もがく彼の耳元で明がそう言っているのが聞こえた。
 耳をそばだてているわけじゃないのにそれが聞こえてくる。
 意識のどこかで、目を逸らしてはいけないと何かが言っている気がして。
 本心では、叫びたかった。目を逸らしたかった。耳を塞ぎたかった。
「でも・・・ どうせ一度『脳』を失ったお前に、俺の『叛意』を思い出すことは、出来ないだろうがな・・・」
 そのまま、『ドゥエ』の頭に『魔石』の黒刃を突き立てたまま、明は螺旋の真ん中の吹き抜けを、勢い良く降って行く。
 まだ明の黒刃を頭に突き刺されたままの筈の『ドゥエ』は、渇ききった喉で最期の叫びを上げた。

「アアアアアア!!! テンシィイイイイイィィ!! テンシガァァアアアアア!!!」

 それは、凄絶な『呪の言葉』で、肩がびくりと弾んだのを止められなかった。

 明は、私が動揺を抑えて、でも、明を強く注視していることを全身で感じながらも絶対に振り返らなかった。
 どう考えてももうコレは社会的R指定描写と思われるものを、私にまざまざと見せ付けておきながら、私を振り返ることはなかった。

 目を逸らすな。
 逃げるな。

 きっと、そう言っているんだと思った。

 私が目を逸らし続けていたものは・・・
 私が『天使』であるという事実。

 本当は、気付いてた。
 ずっとずっと、『力』をもって生まれついてしまった事実が、ただただ、怖ろしかったのだった。

 そして。どうやっても聞こえなかった、『ドゥエ』の『痛み』。
 『ドゥエ』は、『救い』を、求めてはいないという否というほどわかりすぎる事実を目の当たりにしながらも。
 私は、強く思っていた。

 感じないのに、『感じた』。
 『ドゥエ』の、狂気の中にあった、どうしようもなく渇ききった、深い闇の中には。
 『痛み』が、押し込められているような・・・

 『救う』事が、出来たら・・・ と。

 それは、どうする事も出来ないほど、自分の『天使』を自覚させられて、やっぱり、とても・・・ 怖いと思った。

2009/04/12 up

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小声で編集後記のコーナー。
携帯から見ている方はいないと思うのですが、相変わらず一話が長くてすみません。
切るトコあんまり見いだせなくて勢いでゴー!な感じになったいました・・・
しかも突如の戦闘シーンに、ぶっちゃけ一番わたわたしたのは『書き手』であります。雨じゃありません(爆)。
それにしても久々に勢いに乗れているので、イケるところまで昇りつめたいと思います(何か下品な表現)。