注:明視点



第二章

Y

 あまり広くない居間には卓を間にソファが二つ向かい合わせに置いてある事を、今ほど嫌な配置だと思ったことはなかった。
 特に親しい知り合いも居ないのに、何故、ソファが二つ必要だったのかを今更考え、抜き打ちで雨が訪ねてきたりするからだと思い当たってうんざりした。
 大して気にもせず、向かい合わせに配置してあったことに今まで何も感じなかった。
 いつもは雨が当たり前に向かいに座って、ころころと良く変わる表情で最近何があったのかを俺に話したりしている指定席。
 その距離がちょうど良かったのだ。
 今、俺の向かいに座っているのは、巨躯の獣を本性とする精霊の長。
 そいつは、一言も発することなく注意深く俺を注視している。
 居心地が悪くない筈はなかった。


「さて、これで少しは楽になったかい、坊や」
 雨とティリルが雪崩れ込むように浴室に入っていき、ぎゃあぎゃあ喚くのが聞こえてきた頃、ずっと押し黙っていたヒトカタの狼が口を開いた。
 ・・・狼、というよりは・・・ 猫、と言ったほうが良いんじゃないのか。
 気位の高い狼かと思えば、随分人の良さそうな目でこちらを見る。
 忠誠を誓った雨の前では大人しくしていたのに、やはり猫を被っていたのか。
 俺をなんだと思ってるのか、この表情からは量りかねる。
 敵意は漸く解いたようだが、今度は随分と気安い口調だ。さっきの仕返しか。
 俺はその鬱陶しい巨躯のヒトカタを無視して、読みかけの本に目を落とす。
 余計な事を考えて逡巡するのは嫌いだ。
 どうせ碌な事を考えないのも、自分で嫌というほどわかっている。
 その上、目の前にいるこの狸だか猫だか狼だか・・・は、多分、俺の本性を見抜いている。
 そういう奴と関わるのは・・・ 理性が飛びそうになるから、出来る事なら避けていたかった。
 ・・・否違う。
 本当は誰とも関わりたくない。
 雨とさえも。
 この世さえも。
 全て消えてしまえば良いと。
 体の奥に煙る狂気が叫んで止まらない。
 でもそんなことが俺の得にならないことも理性では良くわかっている。
 簡単な計算。
 わかっている答え。
 それなのに湧き上がる、自分自身の存在の矛盾と違和感。
 吐き気がする。
 毎日この昏い思考の淵に落ちて溺れて、息も出来ないほどに自身の醜さを自覚し、絶望の淵からほんの少しの光に縋ってでもここにこうして存在していることへの矛盾に対する据わりのいい言い訳を考えつつ・・・ 日々をただやり過ごす。
 その繰り返し。
 気が狂いそうだ。否、多分もう狂っているのだろう。
 唯一、恐らくただ一人、俺の苦悩の片鱗を理解してくれるであろうシアド様も消えた。
 誰かに縋るなど馬鹿げているとわかっていながら、何かに縋りたくていつももがいているのに。
 俺を救うのは、結局は雨だ。
 その事実が・・・ ただ、苦しく、狂おしく、俺をいつも苛んでいた。
「コラコラ、年長者を無視するなよ」
 本に目を落としながら、本の内容は全く頭には入らない。
 現実逃避に歴史書を漁っても、最近はちっとも頭に入らなくなった。
 集中していたなら、この狼の言葉も大した意味を持たず、俺は本に視線を落としたままだっただろう。
 だが何をしても今は集中など出来そうもなかった。
 仕方がないから、煩いこの狼の相手をしてやることにする。
 少しだけ視線を上げ、狼の顔を一瞥したあとすぐに視線は本へ戻した。
「・・・なんだ」
「なんだって、素っ気無いな。仲良くしようと、こちらは大分譲歩しているつもりなんだが」
 俺と二人でこの時間を埋めることに多少腹に据えかねる所があったのだろう、俺の態度に少しだけいらついたようだった。
 俺はそれに気付いたからと言って合わせる様な芸当が出来ない。
 しかし、雨は一言、風呂に駆け込む前に俺達に命じていった。
 『仲良く待っていてね』と。
 ・・・それをどう実現すれば良いというのか。
 そもそも俺に、対人関係を強いるような事がどれほど大変か、というのをあいつはわかっていない・・・
 無言でいると、狼は呆れたように少しだけ息を吐いた。
「なるほどね。ウン、こりゃ、お前も苦労しているようだが主も相当苦労しているようだ。お前もう少し忍耐力を鍛えた方が良いんじゃないのか」
「余計なお世話だ」
 それを一番鍛えようとしているのは他ならぬ俺自身だ。他人に言われると物凄く腹が立つが、図星を突かれて腹を立てるのは愚の骨頂だ。
 流石に年長者とはっきり言うだけの事はあるのかもしれない。
 ペースに飲まれて気がついたら掌で転がされかねない狸なのだと、油断のならない奴だということをもう一度確認する。
 雨に従うというのだから恐らく雨を裏切ったりはしない。これは確信に近い。
 だが、それと俺が巧く友好関係を築けるかどうかは別問題だ。
 初対面から敵意剥き出しだった癖に、掌を返すようなこの態度の変え方は、信ずるに値するとも思えない。
 ・・・この世に、俺の信じられるものなど殆どないのだが。
「んで? さっきの鋭い気配に比べて何だ、その落ち着きのない様は。主の入浴がそんなに気になるのか」
 話半分に聞いていた俺は、何を言われたのか理解するのに数瞬かかってしまった。
「な・・・ なんだ、と?」
 どもってしまった。
「ばれないと思ってるんだろ。オレはさっきの幼女の姿の魔精と似たような存在だから、何が狙いであの魔精を主に従えたか、おぼろげに予測が立つんだよ」
「・・・!!・・・」
「このスケベ」
「・・・どういう意味だ?」
「単に裸を見たいだけなんだろ?」
「誰が」
「お前が」
「・・・下らない」
「そうか? 片目ェ、真っ赤だぜ、お前。図星指されて頭に血ぃ昇ったか?」
「・・・」
「主が無自覚だから手に負えず、お前が『苦労している』と感じたもんでね。違ってたんなら謝るぜ」
「違う」
「あそ。では、『スミマセンデシタ』」
「・・・」
 ・・・こいつ。
「言葉遊びなら付き合わない。俺はそういう芸当は出来ん」
「そうでもない。無自覚だろうけど、お前を突っついてると何か面白いしな」
「・・・」
「無表情の鉄面皮、真面目でブレない、それを装うのは結構だけど、無理してんのがよーくわかるんでね。言葉遊びとして成立していなくても、オレは充分楽しい」
「何が言いたい」
「まあ・・・ 休戦協定。オレも大人だしね、出来る事なら不必要な争いを避けようとしているわけ。仲良くしようぜってな」
「無理だ」
「そう言うなよ〜。オレは孤高の地の精霊の長だぞ。仲良くしていて損はないだろ」
「損得で言えばそうなんだろうな」
「お前も大概めんどくさい性格なんだなぁ。何が気に入らない?」
「・・・」
 答えるのも面倒だ。
 そんなこと、一発で俺を『純血の魔族』と見抜いたこいつが、何故わざわざ言わせようとする・・・
 それとも、聞き出して雨に糾弾するつもりなのか。
 相変わらず、狼は人懐こいような、それでいて人を喰ったような笑顔を顔に貼り付けたまま俺の様子を見守る。
 言葉遊びを一方的に楽しんでいるというのはあるのか。
 そんなに言わせたいなら・・・ 言えば大人しくなるのか。

【この世の全てが】

 雨には聞かせたくない。
 一瞬過ぎった考えから、俺は古代精霊語で言い放った。
 狼は、その俺の言葉に貼り付けていた笑顔をそのままに、同じように古代語で答えた。

【ガキのイイワケだな】

 そういうと、顔に貼り付けていた笑顔をすっと消し、ソファから少し身を乗り出すような姿勢をとった。
 その姿勢が、少し犬の『おすわり』に似ていると漠然と思いながらも、吐かれた言葉に少しいらついた俺は、表情を変えずに狼を見据えた。
「お。真面目に話を聞く気になったか。漸く紅くなったな、瞳」
「・・・」
「さっきのはかまかけ。自分では紅くなったかどうかは自覚ないんだな、不便だな、それ」
「・・・」
「まあ、周りは便利だけどな」
 言うと、狼は再び顔に笑顔を宿らせた。
「お前、わかってくれば扱いやすい奴だ。主が見放さない訳もわかってきた。オレとしては、仲良くやっていけそうなんだが?」
「・・・勝手にしろ。俺は別にどうでもいい・・・」
「ああ、その無気力さ。それで装っているのか。自分は無害だと」
「・・・」
「それで、気に入らないと暴れる。そういうのを、『お子様』って言うんだぜ、世間では」
「・・・」
「つーことで、自分が魔族だから仕方ないとか思うのはやめて、お子様だから成長すりゃ抑えられるかもしれないとか、プラスに考え方を変えたほうが、若干お前も楽になるんじゃないのかという気休めの提案をしているわけだが、どうよ?」
「・・・」
 少し驚いた。
 俺の事を敵視していたのに、『仲良くしよう』と言っていたのが本心だとは全く思ってはいなかったから、こういう斬り込み方で来られた事に俺は少し動揺した。
「お。攻撃色消えたな」
 ・・・俺はどこぞの蟲ではないのだが。
 警戒心を解いたわけじゃない。
 でも、多分、雨に従属することを誓っている以上、この狼が雨を裏切らない事だけは俺にも最初から判ってはいた。
 指摘されていた通り。
 ただ、気に入らなかっただけなのだ。
 子供といわれても仕方のない行動だった。
 思い返すと少しばつが悪かったから、俺は何かを言うのはやめ、とりあえず黙って先を促してみる。
 狼は察したのか、もう一度笑顔を作って俺に宣言した。
「狼なもんで、群を作るときには上下関係はっきりさせとかないとすっきりしないわけだよ。つーわけで、オレが上位な」
「・・・」
「お、不満? ならいいけど、下でも」
 ・・・上とか下とか、そういうことを決める為の不毛なやりとりだったと今更白状され、物凄く俺は脱力した。
 相手にはその素振りを見せないようにはしたのだが。
 狼は・・・ スノウ、は、俺が警戒心を和らげたのを見抜いたのか、漸く寛いだような素振りを見せる。
「悪いな。嫌な思いをさせて。どーにも、未だに痛い思いをさせられたのには我慢ならなくてなー。ささやかな仕返しもしてみたりなんぞ」
「・・・何度言わせる気だ。それは、俺じゃない。・・・が、その話をすると言ったのはお前だ。話してもらおう」
「主抜きで? 何故」
「・・・」
 やりにくいな・・・
「聞かせたくない話か? だったらそれはオレとしてはごめんだね。主に反する」
「この・・・ 犬が」
「おおそうさぁ。それの何が悪い。つーか、お前こそがそうあるべきなんだろが。叛意が見て取れるほど主との間に良好な関係を築けてないなんて、契僕失格だろ、お前」
「余計な世話だ」
「へいへい・・・」
 スノウは、どうやら俺を『見た目や気配は魔族だが、単に機嫌が悪いだけの子供』と解釈したらしく、それ以上俺をつついてくる様子はなかった。
 正直言うとその解釈はかなり不本意なのだが、言葉のやり取りを繰り返すうち、もっとドツボにはまるような気がしたから、俺はそれを否定するのをやめた。
 スノウは漸く落ち着いて俺に対する警戒心を解いたのか、きょろきょろと部屋の中を見渡す。
 寝に帰るだけの筈なのに、一人で生活するには少し広すぎるくらいの家。
 それでも、この狼と共に居なくてはならないこの時間は、ここがとても窮屈なのではないかという気がしてくる。
 必要最低限のものしか置かない様にしているのだが、しばしば雨が来ては、キッチンにちょっと可愛らしい鍋一式や食器一式だの、ボタンが取れているのを直してあげるからと言ってソーイングセットだの、殺風景だからカーテンをつけろだの観葉植物を置けだの・・・
 そこかしこに『俺らしくない』ものが置かれているのを観察されるのが・・・ 居心地悪い。
 卓には柄にもなくレースのテーブルクロスがかかっていたりするのだ・・・
 雨は元々職人気質の凝り性で、その上お節介焼きときている。更に手先も器用だから、人の家に来てわざわざ料理を作っていったり、服を縫っていったり、銀細工でリミッターを作っていったり、掃除をしていったりするうちに自分の家のように色々物を置いていくようになってしまった。
 貧乏だと自分で言っている割には、金の使いどころを間違えている事を自分で気付いていないのだ。
 そうして、殆どされるままになっている俺の家の居間は、味気のない家具の他はやや女性味が漂う空間となってしまっている。
 これが俺の趣味だと思われるのは甚だ心外なのだが・・・
 俺も、客も来ないような家のインテリアを気にするような性格でもなかった為(というより、どうでもいいと言ったほうがいい)、特に今まで何も感じなかったのだ。
 ・・・隅々まで観察される事が、多少恥ずかしいと感じ、スノウの視線を受けたくなくて、居た堪れずスノウの足元を見た。
 精霊術で草木や土で練成されたブーツが、かなり凝った造形である事を目に留め、この技術は雨が欲しがりそうだ、と漠然と考えていた。
 無言で暫く時を過ごす。
 時折、浴室からぎゃあぎゃあと騒ぐ雨とティリルの声が響いてきて、ティリルの『おっぱいおっきくなった』という単語が聞こえてきた時点で、あの馬鹿は何をやっているのかと猛烈に気が抜けた。
 あの馬鹿がああいうことをするから、俺が入れ知恵しているみたいに思われるのだ。
 そのあと、雨も雨で結局猪で周りが見えなくなるからなのか、『揉むから乳首立っちゃった』だのが聞こえてきて、何となくスノウとの間に気まずい空気が流れた。
 何であいつも、毎度毎度無防備なんだろうか・・・
 俺はそれに気付かないように無意味に並ぶ文字の形を追う為に、本の頁を読みもせずに捲ったりしていた。
 変な汗が出てきた。
 頼りない薄い小さい体。
 雨自身は骨ばかりだと思っている体は、意外なほどに柔らかかった。
 これでごつごつしていたりすれば意識せずに済んだろうに、風呂場からの二人の会話にやけにはっきりと雨の重さを思い出して、余計に落ち着きを失いそうになる自分に気がついて、一度静かに息を吐いて落ち着かせる。
 豪華だった金の巻き毛は随分短くなってしまっていた。
 少し前に会った時には胸くらいまであったのに、どういう心境の変化か、あんなに短くすることはないのに。
 故意に雨の髪を触ったことはない。
 それでも、時として自ら危険に飛び込むあの無鉄砲を止める為に体に触れることは間々あった。
 はっとするほど柔らかく、いつでも壊れそうに頼りないのに、その存在の強烈さにいつも俺は息を呑む。
 あの柔らかい髪の間に指を通したらどんな感触がするのか、それを考えるだけでも俺は罪深い事を考えているのではないかと猛烈な自己嫌悪に襲われる。
 触れたいと願う心は俺のものなのか、それとも『契僕』として刻まれたプログラムなのか。
 それを疑いだすと、俺はどうしようもなく世界の全てが虚ろに思え、同時に憎しみさえ覚え、滅茶苦茶にしてやりたいと破壊衝動に駆られてしまうのだ。
 朝は晴天だった筈の空は雨で、さあという音が絶えず続いている。
 雨の音は涼しげで、少しだけ冷静さが蘇る。
 門崩壊の影響で精霊たちが穏やかではいられないらしく、門だけではなくこの辺りまでも天気が荒れてきているようだ。
 時折遠雷も響く。
 騒ぐだけ騒いだら精霊たちも大人しくなるのだろうか。
 精霊であるスノウは至って落ち着いているようだが、水や風の精霊たちは未だに混乱の中にあるのだろう。
 スノウは土の精霊のようだから、土の精霊は既に落ち着いているようだが、このまま雨が続けば影響は免れないだろうに、本人は至って平気そうだった。
 恐らく、この門崩壊の影響は一時的なものだということが、スノウの様子から見て取れた。
 この先の不安は何より、門が開放されたことに拠る界境の歪みや、異界の侵略などだった。
 あの門を破壊した者は、逃亡が目的ではなくそれが狙いなのではないか。
 門は、破壊しなくても高い転移能力があれば結界をすり抜けて異界へ飛ぶことはできる。
 それでもリスクをとり、わざわざ門を破壊した意味は、恐らくそういう意味なのだろう。
 あの門を、そう簡単に砕けるとは思えないが・・・
 そして、この狼、スノウ。
 スノウは門の守人。
 しかし、転移能力を持つ者に対する対抗手段ではなく、門を破壊する者から守る者だったのだろう。
 俺は無駄な知識欲のお陰で、守人が存在する事を知ってはいたが、これは意外にも王宮でも知られていなかった事だということを反芻して確認していた。
 勉強不足の者達は知らないのだろう。雨は知っていたようではあったが。
 あそこに200人体制の衛兵を配したことからも窺える。
 人知れず、孤独に門を守り続けていた狼。
 少しだけ、本当に少しだけ、親近感が湧き始めていた。
 孤独であることが、同じだったからだった。
 雨のお陰で、こういう穏やかな感情も持てることが救いで、同時に、苦痛でもある。
 湧きあがる感情の全てが、雨との契約によって引き起こされた、本当の『俺』の意思ではないようにも思えたからだ。
 雨に対して強くある、思慕と憎悪の感情。
 雨は『契約』の事に強く責任を感じていることもわかっている。
 それを救いにも感じ、義務だとも感じ、理不尽だとも感じ、迷惑だとも感じる。
 全てが綯交ぜになって、結局最後に残るのは、どうしようもないくらいに渇いて欲しがる雨の全てと、深い、得体の知れない昏い狂気。
 雨に狂気の矛先を向けるくらいなら、俺自身が滅んだほうが良い。
 雨を憎んでしまうくらいなら、それ以外の全てを憎んで気を紛らせる方がマシだ。
 思考の堂々巡りの中で、最後に行き着くのはいつもそこまでだった。
 このバランスが壊れた時、俺は再び暴走するのだろうか・・・
 この矛盾と、いつ俺は決別できるのだろうか・・・
「えぎゅ!!」
 突然スノウが何か叫んだ。
「・・・・・・・・・」
 何だか判らなかったのだが、異様な声だった。
 そのお陰で(・・・というのは不本意だが)、俺は昏い思考の淵から急浮上した。
「あ、スマン、くしゃみだ、今の」
 スノウは鼻を擦りながら言った。
 まだ、鼻がむずがゆいのか鼻をしきりに気にしている様子だったので、卓の下に仕舞ってあったティシュを出すと、スノウは少し考えてから、「ああ!」と納得してティシュで鼻をかんでいた。
 ・・・余程長い間門に括りつけられていたのだろう、ティシュをどう使うのか閃きで試したような雰囲気だった。
 さっきから思っていたのだが、スノウは結構時代錯誤なようだ。ジェネレーションギャップがあるらしい。
「雨に打たれたからって、精霊の身で風邪をひくのか?」
「んー・・・ いや、何てぇのかな・・・ アレルギー」
「アレルギー?」
「血臭がする。この部屋」
「俺の血だろう。仕事柄良く怪我をするんでな」
「嗅ぎ分け出来ないと思ってるなら甘いぞ。お前の血の匂いも確かに感じるが・・・ 複数の、何かの」
 スノウは、少し溜めた後、俺の反応を見る為なのか、はっきりとした口調でそう言った。
「・・・そうか」
 無言の間にスノウはスノウで考える事があったようで、やはり俺に対する不信感を拭いきれなかったようだ。
 この体にこびり付いた、幾多の・・・血。
 もはや、雨を主とは呼んではいけないのではないかと思えるほどに、穢れきった・・・俺自身。
「お前、ホント、匂いもだけど、真っ黒だな」
 自分でもそう思う。他人に指摘されて改めて自覚する。他人に対しては痛まないココロ。
「そうだな」
「否定しないのか」
「しない。したって装えるものじゃない」
「ある意味潔いな」
「雨に・・・ばれなきゃいい」
「・・・ばれてないとでも?」
「さあ・・・ 気付いているだろうとは思うが・・・ 指摘されないうちは、こちらからわざわざ知らせるようなことでもないし・・・ 雨の望むことでもないだろう」
「まあそりゃそうだ・・・」
 スノウは、俺との問答で何かを色々と察したようだった。
「時代が変わったんだなぁ・・・ 俺の知る『勇者』は、もっとこう、何つーか、卑屈ではなくて前向きで、曲がった事は嫌いだし、主の天使には皮肉言ったりしないし、従順な犬みたいだったけど」
「・・・」
 お前が人を『犬』と言うな。
 思ったが、多分不毛なやり取りになると思ったので無言で流した。
「お前、逆じゃん。卑屈だし後ろ向きだし、捻じ曲がってるし皮肉屋だし。冷血漢だし。争いを避ける天使の契僕の癖に、血を好む傾向にある」
「・・・いいたい放題だな」
「でも否定しないだろ。お前、本当は何なんだ?」
「・・・シアド様が言うには・・・『狂戦士』」
「それ、俺も初めて聞く単語だ」
「・・・でも俺をそうだと決めるには決定的に欠けているものがあるらしい」
「それは?」
「・・・!!・・・」
 問答の最中に、漸く結びついた。
 欠けていたもの。
 それが、唐突に目の前に突きつけられたことを。
「・・・いや。・・・どうやら、俺は間違いなく・・・本当に『狂戦士』なのだろう。漸く合点がいった」
「????」
「・・・何でもない。気にするな・・・」
 言って、本に視線を落とした。
 やはり。
 やはり、居たのだ。
 俺が、俺である理由。
 『天使』である雨に反する事が出来ないという強い契約に縛られていながら、その契約から逃れたくて憎悪する矛盾。
 俺が、そうでなければならなかった理由。
 ・・・っ。
 湧き上がる、黒い欲。
 それは、この一言に尽きる。
 俺が・・・『狂戦士』だったからだ。
 雨にとって、最も不必要な者。
 憎悪の対象。
 嫌悪の象徴。
 純血の魔族。
 どれをとっても俺が『狂戦士』である条件を揃えているのに、ひとつだけが足りなかった。
 それが、埋まっただけだ。
 湧き上がる怒りと共にあるのは、諦め。
 雨には言っていないし、言えるはずもない。
 俺はやはり、この世に『生きるな』と言われているようだ。
 滅びてしまえばいいのに。こんな世界。
 そういう昏い思考に堕ちかけながら、リミッターの所為で正気を取り戻す。
 外してしまおうか、こんなもの。
 知らず俺は腕に絡みつく幾つもの銀のバングルを掴んでいた。
 不意にスノウがソファから立ち上がり、その勢いに俺は我に返った。
 複数のバングルから手を離すと、小気味いいほど清廉な音を立てる。
 何を、考えているんだ俺は・・・
 自己嫌悪でいっぱいになった。
 そんな俺の様子には気付いた素振りもなく、スノウは獣じみた動きで周りを注意深く見渡す。
 その様子は何かを警戒しているようだった。
 俺がリミッターを外そうとしたからではなかったようだ。それを見て少しだけ安堵する。
「どうかしたのか」
「血臭が濃くなった。良くないモノが近付いている」
「!」
 言われて、家の周りに張ってある感知の結界の範囲を少し広げてみた。
 雨を家に入れている以上、雨の存在を誰かに勘付かれたくはなかったから、これはいつもの習慣だった。
 雨は自分の『天使』としての気配を体から零すようなへまはしない。
 ただ、それは己を顧みずに力を使い切って、今のように疲弊している時は別だ。
 スノウの治癒に力を使ったのでまだ回復していないだろう。
 癒されたスノウの力は相当のものだったはずだから、それを与えた雨のキャパシティが空になっても不思議ではなかった。
 ・・・広げた結界に気配が触れた。
 ああ・・・ 奴等か・・・ 血臭。やはり。
 気配は三つ。
 知った気配だ。
「便利な鼻だな」
「嗅覚と言え」
《ティリル。雨をそこに留めておけ》
 一方的にティリルに念を飛ばして、雨の居る浴室に全神経をかけて結界をかけた。
 何者をも立ち入らせない強度でだ。
 近付いてきている者は、絶対に雨が『天使』であると知られてはならないモノ達。
 それを見たスノウが、その上から土の護法をかけていた。
 素直にスノウが凄い能力を持っているのだと改めて思う。
 俺の結界ごと、そこには浴室すら存在しないように見せる護法だ。
 浴室への扉が壁にしか見えない。結界の発する気配までも飲み込んでしまった。
「主の為なら」
 言い、スノウは少しだけ不敵に見える笑みを浮かべた。
「さて。明。聞くまでもないがあれは敵なんだろ?」
 さっきまでは『お前』だったじゃないか。
 ・・・すんなりと名前で呼ばれた事に、不快はさほど感じなかった。
 口で言うほど、こいつは魔族に偏見を持ってはいない。
 それは少しだけ俺を楽にさせたことを、スノウは計算までしていそうだったが・・・
 素直に受け取る事にした。
「まぁ、味方ではないがな・・・」
 俺は、自分の微妙な立場のせいで、はっきりと答えを言えなかった。
 奴らは・・・『十の牙』。
 王宮で働く俺と、一応の同僚という立場の者達だった。


+++☆★☆★☆+++


「邪魔するわよ」
 最初にドアから入ってきたのは女だった。
 それから雪崩れ込むように俺と同年代の男と、長身長髪の男が入ってくる。
 三人も、わざわざここへ出向いてくるとは一体・・・
 いや。
 もう、どういうことなのか思い当たっていた。
「人の家に入るのにノックぐらいしたらどうだ」
「てめえに礼儀云々言われたくねぇ」
「日中から血の気の多い事だな」
「うるせぇ」
 言うなり、そいつ・・・ドゥエは俺の傍につかつかと歩み寄る。
 血の気が多く、俺にいつも突っかかってくる、ガキのような奴だ。
 歳は多分俺より上の筈なのだが、王宮内での待遇は俺のほうが上なので、多分そのことが気に入らないのだろう。
 気にせずにいればいいものを、わざわざこうして突っついてくる所が、俺から見て幼く感じ、それゆえどうしても相手を軽んじて接してしまうのも一因だろうが、俺も直す気もない。
 ドゥエが傍に来ると、何故かスノウが後退る。心なしか浅黒いスノウの顔色が冴えないような気がした瞬間、
「えぶしゅ!!」
 スノウが大きくくしゃみをした。
 ・・・血の匂いか・・・? 相当、臭いようだ・・・
 そこで初めてスノウに気付いたのか、ドゥエは歩を止めた。
 女、チンクエがスノウを見るなりやけに艶っぽい口調で言った。
「あらぁ。お客様がいらしてたのね。珍しいわね、いつも一匹狼を気取っているくせに」
「・・・」
 狼・・・ という単語につい反応してちらりとスノウを盗み見たら、もう一度スノウは
「へびゅし!!」
 と妙なくしゃみを繰り返した。
 俺には判らないが、嗅覚の鋭いスノウには相当応えるらしく、すでに少し涙目だった。
 ・・・血だけに反応しているわけじゃなさそうだな・・・
 それにしても、まともなくしゃみは出来ないのか、こいつは・・・
 チンクエは、相変わらず露出の高い、少し目のやり場に困るような服装でしなを作って壁に寄りかかってこちらを見る。
 視線はスノウに注がれており、明らかにスノウを値踏みするようだった。
 良くない噂の絶えない女で、実際行動そのものは噂とそう違ってはいない、淫らな女だった。
 スノウを男として値踏みしているのだろう。
 匂いから既にスノウからは門前払いだと思うのだが、そんなことはこの女は知る由もないだろうから、何となく哀れに思えた。
「すみません風邪気味でして・・・ どうぞどうぞ、私にはかまわずお話ください」
 スノウは、どうにも我慢が出来ないらしく、とうとう鼻を摘んでその場を取り繕ってもう3歩ほど後退る。
 ・・・さっき、風邪はひかないとか言ってなかったか?
 それにかなりの臨戦態勢だった筈だが、見境なく襲い掛かるような先ほどのような真似は今のところしそうにない。
 意外に処世術を知っていて、媚びる事も出来るのか。
 そういうところは、やはり狼というよりは・・・犬ではないのかと少し思った。
「昨晩何をしていた」
 長身長髪、ノヴェが口を開く。
 必要な事しか口にしない。
 そのお陰で不必要な会話は全て省略出来て好都合なのだが、今回のことに関しては、俺が何を言っても無意味である事も予想がついた。
「それを聞いてどうするんだ?」
「答えてもらおう。重要な事だ」
「・・・いつも通りだ」
「いつも通り・・・?」
「王立図書館で所蔵を漁っていた」
「それだけか?」
「・・・司書に聞いてもらえば裏が取れるだろう。いつも深夜まで入り浸るから迷惑ついでに覚えているだろうさ」
「・・・」
「それがどうかしたのか?」
「・・・」
 ノヴェは聞くだけ聞いて口を閉ざす。
 言わないと決めたら口を割らないだろう。
「俺が、いる筈のないところで何か悪さをしていた、と?」
 かまをかけてみたら、ノヴェは無反応だったがドゥエが真っ先に反応した。
「やっぱり心当たりがあるんだな、てめぇ」
「わざわざこんな城下まで、『十の牙』が三人も雁首揃えて来て詰問される謂れに関しての予想を口にしてみただけだが」
「は! 澄ました顔で良く言うぜ」
「もう一度言うが、俺は昨晩は王立図書館に居た。門が打ち砕かれるまで動いてはいない」
「・・・・・・『門』には行ったのか」
「行った。軍の指揮系統を統べる陛下も何処へ行ったやら見つからず、王城内はパニックに陥りかけていたし、『十の牙』のトップ・・・ノヴェ、あんたも居なかったから代わりに様子を見に」
「何もせずに帰ってきたのか」
「全て終わっていたから。『門』は打ち砕かれた後だった。『門』の補修は専門外だ。俺に出来る事はないだろう。元老院側の俺の意見に耳を貸す者もいないだろうしな」
「・・・・・・」
「『門』の衛兵達は一人も命を落とさず昏睡していたようだったから捨て置いた。トレが負傷して倒れていたようだが、命に別状はなさそうだったし置いてきた」
「んまー薄情ねぇ」
「あの人数を俺にどうしろと」
「介抱するなりあるでしょ」
「衛兵は気を失っているだけだったし、半不死の『十の牙』に介抱? 労力の無駄だしそれも専門外だ」
「・・・・・・」
「俺より先に働かなきゃいけない奴らの姿が見えず、良かれと思って行ったんだが、犯人の証拠を掴むにも至らず申し訳ないな、ノヴェ殿」
「・・・・・・」
「それで、貴殿らは一体何をなさっていたのでしょうか?」
「・・・・・・」
「特殊任務、で納得させられると思うなよ」
「・・・・・・」
 畳み掛けるように質問を繰り返されるうち、だんだん腹が立ってきたので俺も相手を煽るような口調になっていた。
 単純なドゥエは、この挑発に乗ってくるだろう。
「シラぁきんなよ。知ってんだろ」
 案の定、ドゥエは押さえ気味に、しかし怒りを滲ませる低い声で言った。
「ドゥエ」
 ノヴェがドゥエを制止しようと名を呼んだが、ドゥエには届かない。
「何だよ!! こいつだったろうが!!! あの時、ふざけた仮面をつけて、俺の首を圧し折って、体をふんじばって縄で戒めたのは!!!」
「・・・それはそれは。何と無様な」
「てめぇ!」
「やめな!! ドゥエ!!」
 俺に殴りかかろうとするドゥエを制止したのはチンクエだった。
 意外にも、見境をなくしたドゥエはチンクエの声に我に返った。
「でもよぅ・・・」
「言ってるじゃない。自分じゃないって。それに、こいつがアンタをどうにかする時はあんなもんじゃすまないわよ・・・ 五体寸断されるわ」
「・・・っ・・・」
 ドゥエは、チンクエの澄ました声にいらつくのか、聞こえないように舌打ちして俺を睨んだ。
 チンクエはドゥエが話さなくなったのを見て、後を継ぐ様に続けた。
「あたし達、ちょっと調査でレジスの方に行っていたのよ。あそこ、最近変なのが出ていてね」
「・・・聞いている。『食人鬼』『吸血鬼』『淫魔』が出るそうだな。人でも神でも魔でもないような半端者が」
「・・・・・・。まあそれもそうなんだけど、仮面つけてそういうのをボコってる奴がいたの。流石に民の間で第二の英雄が現れたとかで、話題になり始めていてね」
 ・・・第二の英雄。
 シアド様に次ぐという意味なのか、それとも、仮面の・・・二人目ということなのか。
 些細な事なので、そのことを指摘するのはやめておいた。
「良いことじゃないのか?」
「良くもないわね。最近民は陛下に否定的だからね。そんな象徴的に正義のふりをする偽善者がいつか陛下に楯突いても厄介だし、ちょっと懲らしめたあと、こっちに抱き込む為に懐柔しようとしたんだけどね、返り討ちにあっちゃって」
「チンクエ」
 話しすぎだと言いたいのか、ノヴェが今度はチンクエを制止しようとしている。
 しかし、チンクエは油断のない瞳で俺を見据えたまま言葉を紡ぐ。
「想像以上にそいつ、とても強くって。それでも一応、やられっぱなしじゃなかった証に、そいつの仮面引っぺがしてやったのよ。まあ、私がやったんじゃないんだけど」
「・・・・・・」
 何を言いたいのか、先が読めた。
 絶望的な思いがする。

「そいつの顔がねぇ、どういったわけか、あんたと瓜二つだったのよね」

「・・・・・・」
 何も言えなかった。
 突如、ぽんっとスノウが手を打った。
「ああ!! 双子か!! それで!!」
 スノウはスノウで、何か一人で納得しているようだった。
 スノウを瀕死にしたのも多分、そいつなのだろう。
 双子だと、匂いは同じなのだろうか。育った環境も違うというのに。
 でも違う。
 双子・・・ という表現は正しくはない。
 だが、それを口に出すのは、シアド様の秘密にも関わる。
 言えない。
 それなら、双子だと思わせていたほうがいいのかも知れない。
 結局打算的な考えから、俺はそこに落ち着いた。
「・・・そうか。俺は肉親のことも知らない、天涯孤独の身だと思っていた。双子の兄弟がいたとは」
「アンタ、本当に何もしていないのね。そいつのことも知らないのね」
「・・・初めて知った」
 努めて冷静に言った。
 左目は、動揺を示して紅くなってはいないだろうか・・・
 表情で隠せても、この左目が俺の怒りを示してしまう。
 抑えなくては。
 それだけに専念した。
「そう」
 チンクエは、あっさり引き下がる。
 少し安堵したのに。
「嘘吐き」
 チンクエは冷ややかに言った。
 探るようなチンクエの瞳には、嘲りの光がある。
「普通さあ、自分に兄弟が居たって知ったら動揺するでしょ。それをアンタ、無理に隠そうとしているわ。違うかしら」
 冷静でいようとしたことが仇になった。
 流石に人を惑わせることに長けた女は、人の腹を探ることに慣れているらしい。
 かなり侮っていたので、その鋭い指摘に俺はすぐには言葉を継げずにいた。
「・・・・・・」
「アンタの知っていること、吐きなさいよ。アンタ、本当はこっち側なんでしょ」
 多くはないチンクエの言葉に、俺は苛立つ。
 こっち側・・・ どういう意味だ。
 『十の牙』は女王親衛隊だが、隠密の暗殺者集団でもあるということは既に俺でも知っている。
 それぞれ全員要職に就き、表向きは官僚や秘書や仕官ではあるが、女王の意にそぐわぬ者を排除する者が『十の牙』だと認識している。
 俺は、女王を補佐しつつ監視しつつ抑止するべき立場の元老院に籍を置いている。
 言わば奴らとは敵対とまではいかなくても、対極にはあるつもりでいた。
 そんなものと同じだと言われるのが我慢ならない。
 ・・・が。
 今、俺がしていることは・・・
 狂気を散らす為とはいえ、奴らと何ら変わりないのだということも、わかってはいた。
「・・・一緒にするな」
 魔族である自分が憎い。
 でも、これほどまでに渦巻く自己憎悪の中にあって、俺は自分が魔族だということを忘れたりはしないし、どこかで誇りにも思っている部分があった。
 こんな、人でも神でも魔でもないような、得体の知れない者共と、俺を同列に扱うのは我慢ならない。
「シアドの後継を気取れるのもそう長くはないわよ。アンタじゃない事は、あたし達にはわかったからね」
「それが何だ」
「あら、否定しないの」
「無意味だからな。最初からそうだった。俺はシアド様に見初められた時から見張られていた。危険な者として」
「・・・・・・」
「今更それが明るみになったからと言ってどうなるものでもない。それにそんなつまらない事で元老院を揺さぶるつもりなら愚行だと思われかねないぞ。ご老人たちは未だ鼻息荒くお前達の存在も許してはいないからな」
「はぁ? あんたが『勇者』だから、その威を盾にジジイどもは威張り散らしているんじゃないの!!」
「俺が『勇者』ではなくても、老人達は俺の威を疑問に思うことはない。それだけの実力はあるつもりだからな。試してみるか?」
「・・・・・・」
 チンクエは探る瞳の中に苛立ちを示した。
 ・・・言葉攻めに負けずに済んだのを何となく感じたが、結局実力行使に出ようとした自分の浅はかさを呪う。
 今はことを構えるべきじゃない。
 ただでさえ・・・ 浴室には無防備な・・・雨がいる。
 ・・・余計な事を考えてしまった・・・
 今は目の前の相手に集中しなくては。
 突然、ばたん!!と、外に通じる玄関のドアがひとりでに開いた。
 スノウがやったことだと思い振り返ると、ただ事の成り行きを見守っていただけのスノウが、奴らに対して笑みを覗かせる。
「えーっと、こういう時は何て言うんだったかな・・・」
 自分でやっておきながら、スノウは少し考える素振りをした。
 そして、何か閃いたように再びぽんと手を打つ。
「そうだ、こう言うんだったっけ。『表へ出ろ!』」
 その表情が、あまりにも楽しそうだったので、俺は緊張を解いた。
「事を複雑にするな」
「あれっ、何か違った?」
「違わないが・・・ こんな安い挑発には乗らないだろ、流石に」
「そういうもんかね。シンプルで判りやすいと思うけど」
「お互い後ろに煩いのがついているからな・・・ 上の許可なしに事を大きくすると厄介なんだよ」
「ふぅん」
 スノウは興味なさそうに言ったが、言葉の含みの中にそれをわかっていて起こした行動のような気がした。
 それなりに、俺の気を、奴らの気を散らしてくれたのだろう。
 抜け目のない奴だ。
「・・・これで失礼する」
 結局特に何も話さなかったノヴェが告げた。
「ちょっと・・・」
「収穫はあった。それに陛下がお呼びだ」
 チンクエもドゥエも不服そうだったが、ノヴェが引くと言えば従わざるを得ないのだろう。
 ぴしゃりと言われてすぐに引き下がった。
「最後に一つ聞く」
 ノヴェは去り際一言肩越しに振り返って俺を見た。
 その瞳は、輝きもなく暗く闇を宿して暗澹とした気分にさせる。
 濁っているかのように、光をあててもその瞳は輝かないのではないかといつも思う。
 何も映さない暗き闇。
「一人目の仮面の英雄はお前か」
「・・・何だそれは」
「ディエテを殺したのも」
「質問は一つじゃなかったのか」
「・・・・・・」
 ノヴェは口数が多くはない。
 だから腹の探りあいの言葉のやり取りはあまり得意ではないようだった。
「一人目の仮面の英雄・・・? 何のことだ?」
 知っていながら知らぬふりをして聞き返す。
 奴らがどこまで俺を疑っているのかを知る必要があった。
「それにディエテが殺されたなんて初めて聞いた。長期の異界調査に出たんじゃないのか。それでお前が今は『十の牙』筆頭なのだと聞いていたが?」
「・・・・・・どこまでもしらをきる気なのか」
「知らないことを問い詰められても答えようがない」
「・・・・・・失礼する。行くぞ」
 ノヴェは一方的に話を切り上げ玄関からドゥエとチンクエを連れてあっさりと出て行った。
 それを目で追いながら、スノウは少し考えてから、未だ姿の見える三人に向かって大声で
「こういう時は確かこう言うんだったよな。『おととい来やがれ!!』」
 と叫んだ。
 瞬間、ドゥエが勢い良く振り返ったが、その腕を強くチンクエが掴んで引いた。
 それに抗議しようとチンクエの顔を睨んだドゥエは、俺から見ても背中に怒りを滲ませるチンクエの迫力に気圧されたのか、大人しく引き下がり、三人は転移で霞に消えるようにその場から消えた。
 それを見送ったスノウが大きく息を吐く。
「鼻がもげるかと・・・ 窒息するかと思った」
 心なしか、げんなりしているように見えた。
 スノウは印を結び、精霊術で風を起こして部屋の空気を入れ替えて、大きく息を吐いた。
「・・・色々、会話でわかったぜ」
 作業を続けつつ、スノウは俺を盗み見て呟いた。
「アレを、斬り続けているんだな。顔を隠して。主にも知られずに。だから明から、あの匂いがしたんだ」
「・・・・・・」
 聡いスノウに舌を巻く思いだった。
「双子・・・ね。そいつからも、同じ匂いがしたよ」
 スノウはそう言って、苦笑いをした。
「俺は、最初から牙を剥く相手を間違えていたというわけだな」
「・・・・・・」
「そいつが、本当の『勇者』か」
「・・・・・・」
「でも俺は、まぁ、そんなことはどっちでもいい」
「?」
「お前は主にメロメロだもんな。違うか?」
「・・・・・・」
 死語だろう、それは。
 指摘したい気もしたが、完全に自分の心の機微を読まれてしまっていることに辟易するほうが先だった。
 なるべく、狂気を宿す自分の心の中を読み取られないように、口数も表情の変化も増やさないようにはしているのに。
 世の中には、力ではかなわない者もいる。
 俺の傍には、どういったわけかそういう人が多い。
 それがいいことなのか悪い事なのか、未だに量りかねている。
 少しだけ、そんなに悪い事ではないのかもしれない、と思い始めていた。
 空は未だに雨を降らせて薄暗い。
 その雲の切れ間から、徐々に光が零れ始めているのが見えた。
 漸く落ち着きを取り戻した空は、既に日を傾け始めていた。
「あ」
 思い出した。
 浴室に監禁して、もう何時間になっただろうか。
 ・・・雨の怒りを想像して変な汗が出るのを感じた時、スノウが喉の奥でくくっと笑ったのが見えた。
「ドすけべな上、意外と抜けてるな、お前」
「・・・っ」
「OKOK! 俺、明の下でいい。忠誠を誓おう、狂戦士殿」
 楽しそうに笑った狼は、俺の背中を勢い良くバシバシと叩いた。

2008/07/08 up

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小声で編集後記のコーナー。
後半が、今までで一番の台詞劇になっちゃいました。
明は根暗っ子なので、状況説明を億劫がるらしいですよ。
その逆で、独白が半端なく鬱陶しいくらい吐きまくるので、ちょいギャップがある感じになっております。
演出か? いえ、私が迷走しております(笑)。
そんでもって犬。
・・・じゃなかった、狼、スノウさん。何気に可愛い人となっております(笑)。
それにしても長かったですね!! 全部読むの大変ですね。
頑張りました。
というか、明サイドは重要なんですけれどもそんなに出せない秘密もあるものですから、隠しつつ情報小出しにしていくうちにまどろっこしく長くなってしまいまして・・・
まあ、これを踏まえてあとあとの明の活躍をお楽しみに!!
して、伸太郎はいつ出てくるんですかねぇ・・・ 先は遠い・・・