第二章
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雨に打たれて、狼の銀の毛並みは勿体無い事にぺったりと体に貼り付いている。
鼻先の一部と、おなかと手足だけがまっさらな雪をかぶったように白くて、ふさふさの状態だったらとても綺麗なんだろうな、とこの場において私はそんな事を思った。
銀の毛は全て輝きを失って水を吸い込んでいるけれど、狼の迫力は少しも失われていない。
何よりも、この大きさ・・・ 私より15センチは背の高い明が、少し見上げてその狼を見ていたから。
本当に大きい狼が、こちらに向かって身を低くし始める。
ぴしゃん!! という雷鳴が、久々に鳴り響いて、私は嵐の中に身を置いていることを今更ながらに思い出して、また体をビクッとさせてしまった。
そんな隙だらけな私なのに、狼は私を一切見ない。明だけを見ている。
明は一切動揺することもなかったけど、気を抜いているわけでもなかった。
握った魔石の刀は、雨を滴らせながらも鈍く黒く輝いている。
・・・放っておいたら先ず間違いなく明vs狼が始まっちゃう。
兎に角止めなくちゃ・・・
狼がとても危ないのは良くわかっているけれど、それ以上に、私には気になって仕方のないことがあるのだ。
私が感じる『悲鳴』を発しているのは、間違いなくこの狼だ。
見た目にはわからないけれど、どこかに致命傷を負っているように思う。それは『悲鳴』が聞こえる以上確信に近かった。
注意深く見ていたら、唸り声の合間に、浅い呼吸を繰り返しているのが見える。
やっぱり、苦しんでいるように見えた。
明も狼も、私の事はあまり見えていないみたいでお互いに睨みあっている。
お互いの間合いを測っているよう。
あれ、何か急に疎外感を感じるんですけど。
明も狼も、全然私には注意すら払っていないよう。空気ですか、私は。
全然注意を払われてないのを逆手にとって、私は明と狼の間に立った。
「どけ」
明が低い声で言って私の腕を取ったけど、狼から目を逸らすと襲い掛かってきそうだったから、
「大丈夫。放して」
とだけ言って、明を制した。
明は暫く、私の腕を掴んだ手を離さなかったけど、私が何も言わないでいたら、あからさまに「はあ」と大きな溜息を吐いて手を放した。あてつけなのね、今のは。
・・・私は自分で納得しないと引けない頑固な所があって、その所為でいつも明が妥協するらしい。
明は不満があっても吐き出さずに我慢する。
・・・いや、言うだけ言ってるけど、私と意見が対立した時には自分が正しいと信じる事でも曲げてしまう。
それは明が柔軟だとかそういう類のものではなく、私の支配による抑圧でしかない・・・
それを見て、凄く私は後悔するんだけど、どうしても私には譲れないものがあった。
心の中でだけ、明にごめん、と呟いて、でも退くに退けずに狼に一歩近付いてみた。
さっきから感じていた。
狼は、私には敵意を持っていないみたいだったのだ。
普通、獣は弱い者から狙う。
生存競争でも、先ず小さな子供から狙うと思ったのに。
この狼の中で、敵認識優先順位は明が一位なのだ。何かそれは変な気がして。
この場合、どう見たって何の武器も持っておらず、女の身で、体の小さい私から狙う筈なのに、最初から明にだけ敵意を発しているような気がした。
私が一歩前へ出ると、唸り声が少し高くなる。凄く大きな牙が見えた。
あら、磨いているみたいに真っ白な清潔な牙だ。黄色くない。そんな、どうでも良い所にばっかり気が行く。何しているんだ私は。
一応私の事も警戒しているんだ。体をまた低くした。
そのお陰で、私と目線が同じ高さになる。
【どけ。お前じゃない】
・・・思念波!!
言葉を理解できるんだ、この狼・・・!!
頭に直接、『声』が響き渡った。
【下がれ。下がらなければお前から血祭りにあげる】
言葉は乱暴だけど、話が出来るなら意思の疎通が可能なんだ。
一気に明るくなった気がする。
言葉がわかるなら、こちらの気持ちを伝えやすい。私の気持ちもわかってもらえるかも。
「話が出来るなら、私の言葉を少しだけ聞いてはもらえませんか?」
【時間の無駄だ。もうオレは長くはない。だが・・・ この『匂い』。間違える筈がない。お前が門を破壊した・・・ お前だけは逃がさない】
「ええ??!!」
狼は一点、明だけを睨みつけている。
目の前に狼がいるって言うのに、その言葉に吃驚して私はつい、狼に背中を向ける。つまり、明の方を振り返って見てしまったのだ。
明とは視線は交わらなかった。
相変わらず、真っ赤の左目と、静かな蒼い右目で狼を見据えている。
一切動揺はない。戦闘モードに入ると、一層明は無表情、無感情を徹底するようになる。
「俺が、やっただと?」
【しらを切るつもりか。オレの内臓をズタズタにするほど殴打して、門を破って突破して、何故今また戻ってきた】
「・・・何を言ってるの? 明は、そんな事してないよ」
【黙れ。言い訳を聞きたいわけではない】
「身に覚えのない事で裁かれるのはごめんだが」
【問答無用。もとより、何故、純血の魔族がここに存在を許されている。お前の居場所はここではない筈】
「・・・」
明の鉄面皮が、少しだけひび割れたような気がした。
この・・・狼。侮れない。明をほんの一瞬でそこまで見抜いちゃうなんて。
匂いって言うのは私の感覚と似ていて、かなりのところまでの嗅ぎ分けが出来るみたいだ。
確かに明は、少し耳が尖っているし、鋭い犬歯をもっていたり、左目に『魔眼』を持っていて、魔族の特徴の殆どが外見に出ちゃっているんだけど、『純血』の魔族だとまでは『感覚』以外では私でもわからないのに、この狼は言い当てた。
しかも、明は、自分が魔族であるという事実すら認めたくないほど、超がつくほど魔族嫌いなのだ。それをわざわざ言い当てられて、気持ちがいいはずがない。
あああ・・・地雷、踏んだ。
ヤバイ、兎に角狼さんより明を止めなくては!!!
「明、剣仕舞って!!」
「・・・」
「ね、お願い」
「ちっ・・・」
今、舌打ちした。
・・・ちょっとムカッと来たので振り返ったら、言わないけど『ナンダヨ』という不満ありありの表情だった。
でもまだちゃんと私の声は届いた。明は仕方なしに剣を元の魔石のペンダントに戻して首にかける。
不満たらたらなのが見てわかるんだけど、ごめん、本当、今はスルー。
本当に時間はないかもしれない。狼の、呼吸がだんだん速くなっている。
内臓を痛めているなら本当に危険だ。応急手当でもいいから早く処置しないと、本当に手遅れになる。
頭の中で鳴り響くレッドアラート。急がないと。
そう思って、二歩くらい狼に近付いてみたけどやっぱり狼は警戒を解くことはない。
【頭がユルイのか、お前は。どけ、お前の相手をしている時間はないと先程も伝えた。二度目だ。そして最後の警告。・・・下がれ】
下がれ、と伝えてきた時だけ、びりりとするほどの威厳が込められていて、私は一瞬息を呑んだ。
今更ながらに、この狼が、普通の狼ではないことを悟る。
そうか・・・ この狼は、門の守だ。最上位の地の精霊でもあり、古代の聖獣でもあるもの。
それが、神則に則って自分の意思で善悪を量っていたのなら、魔族の明を見逃すことは出来なかったんだ。
私が、自分でもどうしようもないくらい見境がなくなるくらいに、怪我人を放って置けなくなるのと、似ている。
「では、私も二度目の言葉をもう一度言いますね。明は、門破りなんかしていない。ご理解ください」
言ってから、私は狼をもう一度見た。
だって、明はやっていない。
それは間違いないんだもん。
でも・・・ 狼は、許してはくれなかった。
【交渉決裂だ】
言うなり、ビリッとする位の気を放つ。
本能から来る感覚で、何とか宙に浮き上がって衝撃波を避けたんだけど、油断していたら私の横をすっと明が追い越していく。
手には、やっぱり黒い刀。
「こらっ、待ちなさいって言ったじゃないの!!」
「待てるか!! 相手は殺す気で来るんだぞ!!」
「だから、どっちも無事に済む方法を探してるんでしょ!! こっちは無実の罪で裁かれているんだから、誤解さえ解ければいいの!! 何でそう、力で押そうとするかなあ!!」
「手っ取り早いからだ!」
「お手軽だからって簡単に命を奪ったりしちゃ駄目だよ!!」
「・・・っ わかってるんだろう、俺の気質・・・」
「わかってるよ・・・ だけど、だめ。私も、それを見過ごせないから・・・」
辛そうな、明の表情はいくらでも想像できた。
でも、それを直視は出来なかった。
出来なかったけれど、私が向き合っているのは狼だけじゃない。明も、大切だった。
明はわかってくれる。
例えそれが、『契約』に縛られた、明の本心とはかけ離れたものだとしても・・・
「・・・」
明は、少しだけ忌々しそうにしたけれど、それでも何とか荒ぶる自分の魂を圧し止める様に強く息を吐いて、再び刃を元の魔石に戻した。
でも狼は止まらない。
・・・っ、となると、結局私が狼と対峙しなくてはならない。
怪我をさせずに捕らえる方法といえばあれしかない。
でも、こんな大きな獣を捕らえるほどの容量は・・・ないかもしれない。
羽根は、毎日少しずつあの『防具』に込めてきていたから、元々普段より少ない。
それを巧く『捕縛糸』転変させても、この狼を覆うほどにはならない・・・
それでも、明に啖呵を切った以上はこの狼を止める事が先ず最優先。
私の能力のキャパでは狼を助けられなくても、止めさえすれば、お兄ちゃんが救ってくれる。
それを信じて・・・
背中に羽根を具現化するイメージを繋いだまま、背中から引っ張り出すように糸を展開した。
・・・短い。20mも作れなかった。でも狼は迫る。至近距離!!
今だ!!
傍まで迫る狼の口許を狙って糸を投げた。
私の意のままになる糸は、狼の口許をぐるぐる巻きに縛り上げ、そのまま口を開けないように戒める。
だけど甘く見ていた私は、狼がそれを振り解こうと、ぐんと首を引いたのに合わせて、体の全てを引き寄せられた。
それで撓んだ糸が外れ、狼の口は再び戒めから開放される。
私は引っ張られた体を空中で座標固定したんだけど、それではもう間に合わず、狼は私の眼前に迫っていた。
・・・っ、やっぱ、強い・・・っ。
座標を固定して自分の位置を確保出来た私は、撓む糸をもう一度引っ張った。
疾走する狼の速さよりも強く糸を背中に戻す。
間に合わない・・・!!
目の前を、黒い閃光が奔った。
遅かった・・・っ!!
絶望が目の前を真っ黒に染め上げ、痛みを感じるのを恐れた私は、眼前に迫る狼からも目を逸らすように、強く目を閉じた。
・・・
・・・・・・
何も、ない・・・?
恐る恐る目を開けた。
私の前にいたはずの狼はいない。
その代わりに、二度も止めた筈の明が、私の前に立って背を向けている。
結局、刃も手に握っている。
狼は・・・!!??
狼は、明の前に蹲っていた。
・・・。
明が・・・ やった、の・・・?
口に出すことが怖くて、私は何も言えずに明の背中だけを見つめる。
明は静かに振り返った。
「どうやら誤解は解けたようだ」
・・・何を、言って・・・
誤解を解くとかそういう問題じゃない、死んじゃったら・・・
死んじゃったら、そんな事、取り返しつかないんだよ・・・?
「お前の誤解を誘ったな。俺は、『糸』を斬っただけだ」
明は私と狼との間から、すっと横に避ける。
狼には斬られた痕はない。
けど、転変を解かれた糸が羽根に戻って、いくつも狼に降り注いでいた。
羽根は髪とかと同じで切られても痛みはない(根元の骨格を司る辺りは斬られたら激痛らしいんだけどね)。だから全然気付かなかったけど、羽根は『力』のキャパにも関わる。確かに、自分の能力が弱まっちゃっているのを感じた。
・・・それに、隠していたのにばれちゃったじゃないの!!
と思って明を睨んだけど、明はしれっとしたいつもの無表情で私の不満を一蹴する。
これが最良の手段だっただろう、と言いたげな。
狼は蹲っている、というよりは・・・ 平伏、しているように見えた。
【ご無礼をお詫びいたします。天使様。・・・それに勇者殿。匂いで天使とはわかりましたが、まさか、本当に魔族を従える天使がいるとは思わず・・・】
思念波でそう訴えてきた狼は、そのままくず折れる。
私は狼に駆け寄って、散らばってしまった羽根を掻き集めて狼のお腹に押し当てた。
集中・・・して。
羽根は癒しの力を増大させる作用がある。
それを最大に使いきれば、今なら・・・!!!
酷い・・・
本当に、狼が自分で言った通り、内臓破裂しているようだった。
それを、繋ぎ合わせるのに羽根はたちまち消えていく。
斬られた糸の分の羽根はあっさり全て消え去ってしまった。
自分に残っている羽根も使って、集中して施療の術を使う。
大丈夫、応急処置、応急処置・・・
注ぎ込んだ力が、急に塞き止められた。
狼の体力が戻ったんだ。
「良かった・・・ もう、大丈夫だね。『悲鳴』も聞こえない」
言って、ずぶ濡れだけどとても毛艶の良い銀の額の辺りを撫でてみた。
狼は少し目を伏せるような形で、私の事を受け入れてくれたようだった。
ううん、まあ、多分、先程の言い分によると、隠していたオーラはばれなくても、匂いで私の事は最初から天使とわかっていたみたいだから、明の所為ではないって事になる。
ちょっと、明に悪い事しちゃったなと思って、明に
「ごめんね」
と、小さく呟いたら、
「何が」
と返された。
改めて聞かれると答えられないじゃないの・・・もう、気付け、この唐変木。
狼は軽い仕種で身を起こした。
つくづく大きい。額を撫でる手はもう届かなくなってしまって、それでも少し名残惜しくて顎の辺りを触ってみた。
濡れてしまった毛並みからは、水が滴ってくるだけだけど、狼は嫌がりはしなかった。
【ここで朽ちるはずだった私を救ってくださって有難う御座います・・・ 貴方に、生涯の忠誠を誓いましょう】
狼の言葉に私の手は止まる。
いやいやそんな、大層な事はしていないのに。
ただ、私は自分がそうしたかったからしただけなのだ。感謝される謂れもないくらい、当たり前の事。
目の前に苦しんでいるものがあるのなら、それを私は救いたい。
それは、自己満足でしかないものだから、そうされるとこちらが恐縮する。
「お前はここの守を放棄するのか」
明が鋭い目で狼を睨みながら言った。
まだ警戒してるのかな。
【門に縫いとめられた鎖を断ち切られました。ここに縋る理由がなくなったのです・・・】
狼は明にも敬意を払うように敬語で言った。
それでも明は瞳に宿る険を消す事はなかった。まだ真っ赤に染まる左目。
「雨には俺がいる」
あら、なにその宣言。
私は改めて明の顔をまじまじと見てしまった。
明は、私の『ドウシタノ』という表情に気付いたのか、しまったというように我に返って無表情を装う。
いや、言った時も仏頂面だったんだけど、何か表情が動いて見えたような気がした。
「うん。明は大事な契僕だよ。それに、大事な友達」
わかっていることだとは思うんだけど、一応、重ねて明に宣言しておいた。
明は一瞬ぎろっと私を睨んだ後、すぐ目を逸らした。徐々に左目が金琥珀に戻る。
・・・落ち着いたかな?
それを見て、狼に言った。
「貴方が『門』という拠所を失って困っているのなら、私で良ければ。でも、忠誠って堅苦しいから、友達、っていうのでどうでしょう?」
【む・・・ そのように気安くてもいいのですか・・・?】
「気安いも何も。明にも一応そのつもりでいてもらっているし。従える、って、そんな偉い者じゃないもん、私。純血の天使ならまだしも、私はまだ幼くて、しかも混血ですから・・・」
【遜る必要はありません。羽根を具現化できれば純血ですよ。私は土属性の精霊を束ねる者でもあるので、神属性の者に従属せねば形を保つ事が容易ではありません。貴方でなくてはいけないのです。名をお与え下さい。それで私は貴方の下僕となります】
「強引だなぁ。・・・どうしよう?」
「俺に聞くな」
「だって・・・ 精霊の長を従えるなんて・・・ 何か急な棚ボタで、凄く困っちゃうんだけど・・・」
「・・・いいんじゃないか? 俺は常にお前の傍にいられない事情があるし、本来の能力はかなりのようだ。別に困る理由もない」
そうは言うけど、明自身が凄く『面白くない』という表情に見えるから、私は困っているのに・・・
多分、明の台詞は簡単な計算の上でのこと。
表情は、感情の上でのこと。多分、他の人には少しもわからないであろう表情の変化だけど、付き合いが長いから、この仏頂面のジャンル分けだけは出来るようになっていた。
天邪鬼すぎて、どうしていいのか、いつも対応に困る・・・
明がそういうなら、認めちゃうわよ。
「・・・じゃあ・・・『雪(スノウ)』。冷たい雨の中で銀と白を纏う者。スノウ、よ。どうかな?」
【有難う御座います。マイロード、レイン】
言うと、狼は瞬く間に・・・
ヒトカタに、なった!!!
「「!!!!!」」
私も明も、何が起きたのかと固まった。
今、私が名前をつけた狼、スノウは、真っ裸の男の人になったのだ!!
慌てて私は後ろを向いた。
見てない、見てない・・・!!
いや、本当に、吃驚したの方が先で、大事な所は、見ていません!!
って、ダイジナトコロ、って、何!!
一人で私がわたわたしていると、明が肩で息をして呟いた。
「破廉恥をするのが下僕の仕事か」
横目に見える明は、ご丁寧にスノウの頭から爪先までを往復して眺めていた。
み、見たよね、明は。イマ、某所で視線、一瞬止まったよね!!!????
・・・それに関しての感想は、なかった。
表情も変化なかった。何を思ったのだろう。気になる。
はっ。何を期待したのか私は、ナニを。
「思念波は疲れるので・・・ 傷も癒えて少し力も戻りましたし、この方が楽かと思ったのですが・・・ すみません、一般のヒトとしての常識を普通に欠如していたようで。ご不快ならば数秒戴ければ何か纏いますので」
スノウは今度は、自分の声で発声した。
ハスキーな声。
そのまま、そのハスキーヴォイスは何某かの言葉を紡いだ。
知らない言語。
ちら、っと明を盗み見たら、少し驚いたようで、
「古代・・・精霊語」
と、呟いていた。
流石に王立図書館の所蔵を片っ端から読み漁るだけのことはある。
発音だけでそれをわかってしまうとは・・・
私には、何のことやらさっぱりだったのだけど、明が
「もういいぞ」
と言ったので、恐る恐る振り返ってみた。
スノウはそこらに生える草を転変させて布に練成、局部(局部って、言うだけでも恥ずかしいのに・・・)はとりあえず見えなくなっていたけど、若干半裸・・・だった。
まあ、こういうのなら、慣れているからいいのか・・・
お兄ちゃんの施療の手伝いをしていたら、どうしてもヒトの裸を目にすることも多いから、とりあえずその辺りの免疫だけは蓄えていたので何とかスノウと目を合わせることが出来た。
やっと観察できる。
スノウは肩より少し長めの銀のウルフカットで、左右対象に白いメッシュが入っていて、それが何となく垂れ下がる耳みたいに見えた。
目は切れ長で鋭いけれど、私を見返す瞳は明のそれよりは幾分優しい。
ああ、凄く美形だ。と思う顔立ちだった。
殆ど裸の上半身はとても筋肉質だった。明のそれより逞しい。
「突然の無礼の数々申し訳ありませんでした。ですが・・・」
言ってから、スノウは体を低くした。
そのしなやかな動きは、やはり獣そのもので、彼はヒトカタを取るのが苦手なのかもと悟る。
「今はここを退いた方が良い。ここには、貴方の打ち破った魔の眷属がまだいる。今、目を覚ましたのか動いたようです」
「まだ言うのかお前は。俺は、やっていない」
「その話も・・・ 私も、嘘は申しません。説明が必要でしょう・・・ お早く」
スノウは私に決断を求めるように見た。
思えば、私はここに長居をしすぎているし、実はスノウの治癒に力を結構使ってしまってプロテクトを維持するのが少し大変になってきていた。
「うん、わかった。とりあえずここから離れよう」
言って、後ろを向こうとしたら足元がぐらついた。
あっ・・・ 倒れる・・・
そんな予感がしたけど、もう体勢を立て直す力は足はもとより指先にも宿らなくて、スローモーションのように地面が迫るのを感じた。
ぐっと、両手を同時に掴まれた。
やっとの事で首をめぐらせると、左から明が、右からスノウが私を支えていた。
でも、二人は私を見ずに、お互いを剣呑とした瞳で睨みあう。
・・・何してんの・・・? 私は、ふらつく体を支えようと右手で明の腕に縋る。するとスノウの腕はするりと抜けた。
スノウは今度はたちまち狼の姿に戻る。
【この姿の方が、貴方を運びやすいので・・・どうぞ】
スノウは身を屈めて背中に乗るように促す。
その背に乗ろうとゆるゆると縋っていた明の腕から離れようとしたら、明が今度は身を屈めた。
元々覚束なかった足取りが揺らいで、ぬかるんだ地面に足を取られる。
「きゃ・・・!!」
突然の事に小さく悲鳴が出た。
明は、事も無げに私を『お姫様抱っこ』していたのだ。
おおお・・・!!! これ、すんごい恥ずかしい・・・!!!
「まま、待って、明、私の体冷え切って、服もパンツも雨と泥でぐちょぐちょ・・・」
「・・・黙ってろ、頭悪く思われるから」
・・・誰に。
何か私、変な事を言っただろうか?
スノウの方を見たら、スノウは狼のままなのに、何故かふんわりと笑ったように見えた。
あれ、やっぱり今の、頭悪く思われたのかな。
不安に思ったとき、徐に明は歩き出し、私を抱いたままスノウの背に馬乗りなった。
スノウはぎょっとして少し腰を浮かせて振り返り、明を睨む。
それにも拘らず、明は相変わらずの仏頂面で
「行け」
と命令した。
やや、流石に、それはさあ・・・
【気安いぞ貴様】
明を戒めようとしたらやはりスノウが不満を露にする。
「つべこべ言うな。手っ取り早い。雨、闘技場でいいのか?」
「え?」
明には黙っていたはずなのに・・・
知っていたんだ。心配すると思って黙っていたのに・・・ 敵わないなあ・・・
「闘えそうに、見える?」
「見えんが・・・ 困るんだろう」
「困るけど闘えないよ・・・ ちょっと疲れたし・・・ うちにこの濡れ鼠状態で帰るのもお兄ちゃんが煩そうだから・・・ 明ン家、連れてって。お風呂借りたい」
「・・・・・・」
明は何となく複雑そうな顔をしたような気がしたけどすぐに元に戻り、「わかった」と告げた。
【大変ですね】
突然柔らかい声でスノウが伝えてくる。
「そうでもないよ」
私が答えたら、スノウは少し体を揺らした。笑っているの?
【いえ。契僕の方が。苦労が多そうで】
・・・何で。
明の方を見たら、少し表情が和らいだ。
「それはこれからのお前も同じだろ」
・・・私の知らないところで、若干、犬猿の仲になりつつあるこの二人は、このことで少し打ち解けたように見えた。
何だか疎外感。
「それと、前言撤回」
明が呟く。
「今日は少し重いな」
「セクハラ!」
私は、巧く動けないから明の顎に頭突きした。
2008/05/25 up
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小声で編集後記のコーナー。
いやぁ、何だか上手に書けないです。
何故だ、基本、多分女性と思われる性別なのですが、断然伸太郎の思考回路のほうが理解しやすいんですけども(苦笑)。
うーん、どうしたもんでしょうかね。
これもその内加筆修正したいですね、私がまだレインを掴みきれてないらしく。
しかも、明も何だか昔と別物になってしまって、もっと屈折したドロドロした奴だったんですけど、割とレイン視点だとわかりやすいことになりました。
これは雨が明を無意識に気遣っているからなんですけど、単にぶきっちょな可愛いキャラになっちゃってます。ああ、明サイドでドロドロ分を補給しなくてはな・・・(笑)
うーん、なかなか道は長いです。