第二章

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 行く宛を失った私は、結局どうする事も出来なくて、とぼとぼと闘技場へ向かって歩いていた。
 あ、行く宛なかったって言うか、いつもこの後闘技場に行ってたから、自然と足が向いていただけなんだった・・・
 瞬間転移は出来るけど、体をアップするのにいつもはダッシュしてたんだけど、そんな気力もない。
 うーん、走ったら、多分、ポケットに入ってる10万リルがちゃりんちゃりん凄い音するのかなぁ。
 あんな大金握ってみた事ないからなあ・・・
 あああ、そうだった・・・ 大金。
 どうしたらいいんですかこれ・・・
 お兄ちゃんに素直に渡すとしても・・・
 ・・・何て説明しよう・・・
 チムさんから暇を・・・言い渡された・・・理由・・・って。
 お、思いつくのがどうしてもマイナス方面なんだけど、それでお兄ちゃん納得するかなぁ・・・
 ・・・す、素直にアレで防具作ったら売れちゃったって・・・言ったら、流石に怒られるだろうしなあ・・・
 そうだ、冷静に考えて、たとえ完成させたとしても、明に渡したら明に迷惑がかかるかもしれなかったの、あんまり考えてなかったな・・・
 巧く発動するように作ったら、明に対してだけはすんごい威力で発動するんだろうから・・・
 実は、それを見てみたい好奇心からだったんだけどね・・・
 そうしたら、私だけじゃなくて明の秘密までばれちゃうだろうし、明の場合立場上複雑だから・・・ 余計やばかった。
 ある意味、未完成のうちに他人様に気付かれた、って言うのは戒めだったのかも。
 少し、世界を甘く見てたな・・・
 ちょい、自信過剰だったかなあ・・・
 私は家系的に能力には凄く恵まれている。
 だから、隠すことも当然のように幼い頃から身に染み付いて出来ていると思っていたから、私は自分の思うように、簡単に事は運ぶと思っていた。
 でもそんな簡単じゃないんだな・・・
 まさか、レア様とは全く似ても似つかないような、私みたいなひねくれた波動でも、一応公になると色々ヤバイらしいので、厳重に隠すために私が毎日細心の注意を払って隠形結界をかけておいたにも拘らず、それを嗅ぎ分けてしまうような人が意外とこの辺りにもうろついているなんて思ってなかった辺りが、私はまだまだ子供だ、ってことなのか。
 本当世界は甘くないな、油断出来ないや・・・
 さっき、チムさんと別れ際に、昨日私の作った防具を買っていった人の容姿は一応聞いておいた。
 茶髪のくりくり巻き毛の人の良さげな20代前半の美青年に要注意。
 ・・・昨日の今日だから、もしかしたらその人、この辺りをまたうろついているかもしれない。
 この辺りの商店街にはバイトがなくてもお兄ちゃんのお使いでよく訪れることもあるから、チムさんのところに行かなくても危険が去ったわけじゃない。
 そう思ったら、とぼとぼここを歩いているだけでもやっぱり危険な気がしてきた。
「あら、レインちゃん。今日の仕事の上がりは早いのねぇ?」
 お昼にチムさんの所へご飯を出前してくれる食堂のおばちゃんが、いつもより少し早い午前10時過ぎに私が食堂の前を通ったから、そう声をかけてきた。
 最初はチムさんの所へ通うのが私だということを知って、この辺りの商店街の人達はとても冷たかったんだけど、漸く、こうして普通に話しかけてくれるまでになったのに、この暖かさをまた失うのは哀しい。
 そう思ったら少し泣きたくなったけど、泣いたら泣いたで色々面倒な事が起きるから、そこはぐっと我慢した。
「いえ、今日からお休み戴いて、兄の手伝いをすることにしたんです。大変そうだったし」
 咄嗟に出た嘘。
 自分の不注意から、私は結局身を隠すためにバイトをやめる。凄く中途半端で・・・そんな事、恥ずかしくて簡単に口には出せなかった。
 ごめんねお兄ちゃん、口実にしちゃって。
「そう・・・ 折角あの男ばっかりのむさ苦しい一角に花が咲いたみたいだって評判良かったのに残念だねぇ・・・」
「今まで良くして頂いてありがとうございました。また・・・兄の仕事が落ち着いたらバイト復帰させて貰えるので、そのときまたお世話になりますね」
「良いンだよそんな。あっ、まだ仕込み途中なんだけど寄ってお行き。何か食べて行きなさいな」
「あ、いえ、お金ないので・・・」
 言ってから、あ、違う、大金持ってたと思ったんだけど、毎日いつも闘技場の挑戦金の元手の50リルしか持ってないつもりでいたのでそう口をついて出た。
 大体、この食堂のお昼ご飯はとてもリーズナブルな価格とはいえ、100リル以上なので。
 でも、1枚1万リルの金貨をここで出したら、多分おばちゃんもおつりに困る・・・
 貨幣は、全部で10種類あって、全部硬貨で、金貨が1万リルと5万リル、銀貨が1千リルと5千リル、銅貨が1百リルと5百リル、貝貨が10リルと50リル、石貨が1リルと5リル。
 普段私が良くお世話になるのは精々銅貨までなので、この場で金貨を出したら何事かと思われかねない。
 ・・・私がいつも貧乏なのは、多分おばちゃん知ってるはずだから。
「良いんだよ、レインちゃんはいっつも薄い体で頑張っていたんだから、その労いも込めてさ。今日はタダでいいよ」
「いえ、悪いですそんな」
 私・・・ おばちゃんに何もお返しできないのに。
 優しくしてもらうような・・・ 資格ないのに。
「良いから寄ってお行き。どうせお昼からも大変なんでしょう?」
「あ、はい・・・」
 お兄ちゃんの手伝いではなく、結局闘技場通いなんだけどね・・・
「じゃあ決まりだね」
 おばちゃんは恰幅の良い体を揺らして、私をぐいぐいと食堂の中に導いてくれた。
 ふくよかなおばちゃんの掌はふっくらとしてあったかくて、私はそれを断る事も出来ずに導かれるまま食堂の中へ入る。
 勢いに任せておばちゃんは引っ張ってきてくれたけど、仕込みはおじちゃんがしているのか、おばちゃんは私を角の席に座らせると自分も向かい側に座った。
 ・・・居心地悪いなぁ、寧ろ仕事の邪魔になってるんじゃないかな?
「あの、仕込みのお手伝いさせて下さい。本当に、タダで戴くのは申し訳なくて・・・」
「良いんだよ、もうじき出来るから、大人しく待っておいで。・・・これからもまた大変なんでしょう、お若いお兄さんと、まだまだ幼いレインちゃんの二人暮しは・・・」
「・・・」
 おばちゃんは・・・ そうか、私にとても同情してくれているんだ。
 私達兄妹は、祝福されない見放された子供。
 とても蔑まれて忌み嫌われた、大罪人の、子供、だから。
 お母さんは何者かの呪詛で石化の呪いに逢い、今は家で石像となって私達の傍にただ存在した痕跡だけがあり、お父さんは・・・ 謀反の罪で今も行方知れず。
 そして、誰にも言えない事・・・お兄ちゃんにも言ってない秘密を私は持っている。
 お母さんの石化の呪い・・・ 解呪に何度も挑んでみたけど駄目だった。
 でも、一度だけ、解呪の途中で少しだけ溢れてきた呪詛の残滓の気配は・・・ お父さんの気配だった。
 お父さんは・・・希代の呪術士だった。三眼の覚醒者で、王宮でもかなりの地位に居た。
 だから・・・お母さんをあんな風にしたのは十中八九お父さんなのだと思う。
 お兄ちゃんも、お父さんが呪術士だから少し疑ってはいたみたいだけど、それをそうとは口には決して出さなかった。
 だってそんな筈ない。お父さんがどれほどお母さんを大切にしていたかを、私達兄妹が一番良く知っているのだから。
 何故お父さんが女王暗殺を企んで、それが明るみになった後にお母さんにあんな複雑な呪いをかけて逃げたのか、私は真相を知りたい。
 私がお金を稼ぐ為に真っ先に『ハンター』になろうと思ったのは、お父さんの行方を捜す為でもあった。
 あの、家に怖い人たちが押し入ってきた時の事を今でも覚えてる。
 私がまだ7歳くらいの頃だった。
 家中を探され、怒鳴り散らされ、引き摺られて・・・ 泣き叫んでも誰も許してはくれなくて、それを見た明がその場にいた人達を追い出したこと。
 罪人の子供として一通り調べられた後、うちに養子で引き取られていた明とも引き離されて、家を追い出されてお兄ちゃんと二人路頭に迷っていた事。
 あの時途方にくれる私達を見放さなかったのは、チムさんと明だけだった。
 お父さんは・・・ 逃亡前にチムさんに色んな事を託していった。
 口には出さないけれど、チムさんはお父さんの事情も多分大体のことを知っているのではないかと思う。
 チムさんは一度だってお父さんを非難するようなことを口に出したことはなかったから。
 私はお父さんがどうしても罪を犯したなんて事を思えなかった。
 得意なはずの感知能力を駆使してもお父さんは『天聖界』には気配すらない。
 それなら、この世界以外のどこかにはいるかも知れない。無数にある異世界の中のどこかへお父さんが逃げたんだとしたら、私は探したい。その口実を巧く誤魔化してくれるのが『ハンター』の資格だった。これさえあれば、異界への通行を許されるから。
 でも、異界へ行くには結局お金がかかる。
 例え、通行を阻む『界境の門』の強い結界をすり抜ける力があっても、それだけじゃ『ハンター』としては駄目だということ。
 例えば、人間界へ行くなら、ギルドの斡旋する拠点をレンタルするシステムで、それに物凄くお金がかかる。
 人間界の通貨と両替も勿論出来るんだけど、あのシステム、多分ギルドが凄く沢山のマージンを取るのだ。
 だから、あの『門』をすり抜ける転移能力もなんとかこなして、資格を取る事は出来たけど、元手のない私は結局『ハンター』として、異界へ飛ぶことが出来ないでいた。
 まあ、お兄ちゃんの施療院開業の借金が凄いのと、私の学費の返済が先だったというのもあるけど・・・
 お父さんは王宮軍の参謀長だった人なので、あの大事件はまだまだ世間では新しい話題で、私達兄妹は忌み嫌われながら10年生きてきた。
 でもそれでも、一部の優しい人たちが私達を支えてくれたし守ってくれた。
 それはきっと、お母さんを慕う沢山の人がいたから。
 お母さんは、王宮には住まずにインティナ地区で施療士をしていた。
 ううん・・・施療・・・だけじゃない。
 命さえ蘇らせるほどの蘇生の力を持っていて、病気は兎も角、怪我などで失われた命を戻す事さえ出来るくらいの、凄い人だったのだ。
 それを恩に感じる人たちも多くいて、見放されて忌み嫌われて、この世界に居場所などないと思っていた私とお兄ちゃんを支えてくれる人も、少なくはあったけれども存在していたお陰で、今こうしていられる。
 それに、努力すれば、私達の事を少しずつ理解してくれる人達も沢山いる。
 このおばちゃんのように。
 もしかするとそれは同情なのだとしても、気をかけてもらえる、というのはそれだけでもとても有難い事なのだと思う。
 そう思ったら、仕事をくびになっただけの状況、大した深刻な事じゃないような気がしてきて、私はおばちゃんの言葉につい笑ってしまう。
「大変なことなんて、ありません。お兄ちゃんも沢山の患者さんに慕われてますし、私もこうして今ご飯にありつけているんですもの。毎日生きているだけで素晴らしいんだって、そう思ってますから」
「まあ、若いのに達観しているねぇ。ああ、出来たみたいだね、ちょいとお待ちよ」
 おばちゃんはそう言って、おじちゃんのいる厨房の方へ行った。
 おばちゃんの姿を目で追っていたら、おじちゃんとも視線が合う。
 私はおじちゃんに小さく会釈した。
 おじちゃんは人の良さそうな笑顔を返して、
「たんと食べてってな」
 と、言葉をかけてくれた。
 いつもは厨房の奥のほうにいて、私はあまり喋った事はなかったけれど、とても笑うと人懐こそうな感じがする。笑いじわがとても深い。何か、ほっとさせてくれる顔。
「有難う御座います。いつも、お昼凄く楽しみだったんです。どれもとても美味しいから。レシピ知りたいくらいなんです。お兄ちゃんにも買って行ってあげたいんですけどやっぱりいつもお金なくて・・・」
 普段は本当にパン一切れとか、患者さんが偶に残り物を下さったりしているけど本当にうちの食卓は貧しい。・・・まあ、食卓だけじゃないんだけど。
 でも患者さんも流石にがりがりの私の事も見かけるようだし、窶れていくお兄ちゃんの事もわかっているからなのか、食材とかを下さる人もいて、お陰で何とか食いつないでる。
 そんなわけで、もう17にもなるのに、貧しい食生活の所為か私は相変わらず寸胴の幼児体型のままなので、実は『薄い体』と言われると結構傷つくのだけど。
 でも、今日のご飯にはありつけないと思っていたので、これはこれで嬉しい。
 毎日、そう言えば刹那的に生きてきたのだから、これからのことを不安に思うよりも先ず、目の前の出来事に感謝しながら生きなくちゃね。
 おばちゃんがお盆に沢山よそってくれたおかずを乗せて、私の元へ持ってきてくれた。
 あっ、しまった、こういうとき自分で気付いて持って来れば良かったのかと今になって恥ずかしくなったのだけど、おばちゃんに御礼を言って、たんまりあるご飯にぱくつく。
 ん、美味しい。
 お昼からも闘えそう。よし、今日は久々に5人抜き頑張ってみよう!!
 そんな決意をしながら、美味しいご飯のお陰でかなり浮上した自分の現金な感情を思うと、少し滑稽に思えたけれど。
 よそってくれたご飯は凄く多かったけれど、残しては失礼だと思って全部いただいた。
 おなかがぱんぱんになるのはもう何年かぶりで、私はこの感覚がこんなに窮屈なのかと久々に思い出していた。
 ああ、ヤバイ。すぐ闘ったらボディ貰ったらゲロ吐いちゃうか。
 この先こんなに食べられる事も暫くなさそうだから、一つ残らず全部栄養になればいいのに!!
 やっぱ少しアップしてから闘技場行こう・・・ 本当、戻したりなんかしたら切な過ぎる。
 少しでも栄養が胸、お尻に行きますように!!
 そんな逡巡する私にも構わず、おばちゃんはおかわりまでよそってくれて、それを断るのも悪かったので、私は結局勧められるままいただいた。
 帰り際、建物の外へ出たら、おじちゃんはわざわざ厨房から出てきて私に何か本をくれた。
 何かと思って開いたら、それはおじちゃんが今まで書いてきたレシピだった。
「いただけません、こんな・・・」
 毎日毎日、沢山のお客さんが通ってきてくれるたびに新しいものを考えて、美味しいご飯を作る為におじちゃんが苦心してきた結晶。
 それを、いつも出前で(しかも自腹ではなくチムさんのおごりで)いただいてただけの私に、簡単に渡していいものではないはず。
「良いんだよ。私も君のお母さんから救われた命だからね、恩をお返しする前にあんな事になって、ずっと気になっていたんだ。またいつでもおいで。待っているから」
「いえ、そんな、それに私がこうして受けた恩は、いつどうやって返したら・・・ それにこれはおじちゃんが毎日苦心して考えてきたレシピなのに! 私の些細な一言でこんな簡単にいただけるようなものじゃありません」
「いやぁ、これはいつものレシピだから頭に入っているんだ。なくたって平気さ。それに新しくまた作ればいい」
 ・・・人って温かい。
 凄く怖い思いもしたけど、こんなにも優しい人たちが沢山いる素敵な世界。
 そこに生きる事が出来た私は、何て幸せなのだろう。
 そう思ったら少し涙が出そうになって、泣くのを我慢するのに上を向いた。
 ああ、今日の空は、何てすがすがしく青く澄んでいるのだろう。
 私の名前。雨という名。それとはかけ離れた青い空。
 世界は優しい。だから、今、バイトくびになっただけで絶望したりしてたけど、おなかもいっぱいだし、何とかなりそうじゃない。
 そう思ったときだった。

 耳を覆いたくなるような轟音が轟いた。
 雷鳴のような音。
 何が起きたのかと振り返ったら、遠く、北東の方角だけに暗雲が立ち込めていて、そちらの方からもくもくと煙が上がっていた。
 え・・・
 あああ!!
 あの方角は、『界境の門』がある辺りじゃない??
 ちょ・・・ なんで・・・え???
 その方角だけに、真っ黒い雲が集まるようにどんどん暗雲が広がっていく。
 それが、波乱の幕開けだった。

2008/04/19 up

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小声で編集後記のコーナー。
いやぁ、何だか上手に書けないです。
何故だ、私は女性なのですが、断然伸太郎の思考回路のほうが理解しやすいんですけども(苦笑)。
うーん、どうしたもんでしょうかね。
これもその内ちゃんと推敲して修正したいですね、私がまだレインを掴みきれてないらしく。
なかなか道は長いです。