第一章
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「眠くないのか?」
時計を見たらもうすでに午前3時を指していた。
今日の暦では月明かりが差し込まない位置にあるファイの部屋は、部屋の主も怯えるほどの真の闇を広げており、俺はその様子に苦笑しながら廊下の燭台に灯っていた蝋燭を1本失敬して、ファイの部屋のそれに灯す。
静かな音のない炎の揺らめきは俺の心の動揺のようでもあり。
炎の苛烈な勢いは、ファイの心のようでもあり・・・
俺の問いに、ファイは首を強く横に振る。
お前だって、大概嘘吐きだっつの。
目が、しょぼしょぼしてるじゃないか。
ファイは俺に未だに抱っこされたまま、縋りついて離れようとはしない。
女の子、10歳も過ぎれば抱っこってどうなんだろう。普通しないんじゃないのかと思いつつも、あまりにも素直な感情で接してくるファイはやはり可愛かった。
そういうファイを、本当にいとおしく思うし、懐かれて、心が和らぐ自分にいつも気付かされてきた。
プサイ姐さんがよく掃除してくれているのか綺麗に片付いている。
普段ファイはこの部屋に篭っているわけではなく、プサイ姐さんの家事とかを手伝ったり邪魔したりしているようなので、この部屋は本当に寝るだけの部屋だ。
でも流石に女の子の部屋で、鏡台があり、クローゼットがあり、クローゼットの中には可愛らしいデザインの服が数点かけてある。
服のことは良くわからんけど、澄香や姐さんが買ってあげるのだろうか、鏡台の傍にはジュエリーボックスとかが開いて置いてあって、その中にも数々宝石などが転がっている。
んまっ、随分な待遇の差。女尊男卑だ、澄香の奴っ。
正直価値は良くわからんので、俺には飴だろうと宝石だろうとどっちでもいいんだけど。
部屋の角には天蓋のあるベッドがある。
天蓋のカーテンがひじょーに女の子仕様で、ヒラヒラな透ける布は薄い蒼でベッドを囲んでいる。
部屋の真ん中辺りには、円卓が腰掛を三つほど従えてでーんと陣取っている。
円卓のど真ん中には花瓶があって、そこには百合やカスミソウが挿してあって、部屋の中でこれでもかと百合が自己を強調していた。
咽返るほどの百合臭。あ、臭はおかしいな。香り、って言うのかこの場合。
その花瓶を少し避けて燭台を置き、部屋を少し見渡す。探しているものが見当たらない。
「ファイ、紙とペンないか?」
聞くと、ファイは鏡台を指差した。
おお、これでも自分で歩かんのかコヤツ。
そんな甘えた様子が可愛くて、頬にぶちゅっとしてやった。
すると途端に真っ赤になって烈火の如くぷんすか怒り出し、ぽかぽかと俺の頭を強く叩いてくる。
「何だよ、愛情表現だろー。何が気に入らないんだよー」
言うと、つんとそっぽを向き、俺の腕からすり抜けて自分で鏡台の引き出しから紙とペンとインクを持ってきた。
流石に聡いなぁ。気付いたか。
その間に勝手に円卓の傍の腰掛に座っていた俺を見て、紙とペンとインクを突き出してきた。
「・・・ファイが使うの。俺に言いたい事はないのか?」
ファイは、機嫌を損ねてしまったのかとても乱暴な仕種でインクの瓶を開け、ざぶざぶとペンを浸し、紙に太く大きく文字を描く。
[ばか!!!]
そうきたか・・・
つい、笑いが出てしまった。
ファイがまた別の紙に文字を走らせる。
[おおばか!!!]
「あっはっは!!」
堪えきれずについ大声で笑ってしまった。
それに本気で頭に来たらしいファイは、全く手加減なしで俺の鳩尾に念動波を叩き込んできた。
ドウ、という結構な鈍い音が響き、逆にその音に驚いたのか、ファイは慌てて俺に走り寄ってくる。
痛くない。
多分、ファイの叫ぶ心に比べたら、この程度の胸の痛み、大したことはない。
ファイの腕を掴んだ。
「捉まえた」
言うと、ファイはまっすぐ俺を見返してきた。
・・・怯えないんだな、やっぱり。
最初からそうだったのだが、ファイは俺を警戒しない。
これも特殊能力なのか?
俺が何か仕返しをするとは、全然思ってはいないのだ。
こういうやりとりの後でも、俺が怒ったりはしないと、最初から知っているような。
俺をいつも、信じている目。
「本当に、それがファイの言いたい事? これがもし、最後でも?」
ファイの顔を覗き込んだら、ファイはすぐに目を逸らした。
眉がハの字になっている。
あら、これ、また泣くかも。
でもファイはくじけなかった。
もう一度、[おおばか!!!]と書いた紙を俺の鼻先に突きつけた。
「うん、それはわかった。それで? それだけ?」
ファイは、ぎゅっと唇を引き結ぶ。
泣きたくない。
泣いてなんかやらないから。
そんな風に見える。
潤む瞳から、一度でも瞬きしたら零れ落ちそうになる涙が俺にも確認できた時、ファイは上を向いて涙が零れるのを我慢しようとしていた。
「・・・ごめんな」
責める言葉を言ってくれたら、素直に吐き出そうと思っていた。
自分のエゴでファイを連れてきたくせに、結局は離れなくてはいけなくなって、俺は後ろめたかったのかもしれない。
俺にも覚えがあった。
闇夜にいつも曝されていた時に、一筋、光を与えてくれた人がいた。
そして、その人が去った後の、あの虚ろ。
多分、俺はファイに光を与える事は出来たのだろう。
でも、今、同時に虚ろさえ与えようとしている。
それが辛い。
俺は元気で帰ってくるよと自信を持って言えたら。
でも、幼く素直なファイに、そんな約束をして、心まで縛ってはいけないと思う。
何度も泣かせているのに、ファイは俺を信じる事をやめはしないだろう。
それに対する・・・ 謝罪だった。
俺は、ファイの思うような者じゃない。
俺は、どうしても、同じ境遇としか思えないファイを、妹のようにしか想えなかったのだ。
俺の言葉に、目を見開いてファイは俺の目をもう一度まっすぐ見た。
涙はもう隠さなかった。
ただ、俺の言葉に傷ついた様子でもなく、俺の目を見つめる瞳はどこまでも真摯で。
「ごめん」
頬を伝う涙を親指で拭うと、瞳を閉じた瞬間に、また新たな涙が溢れ出していた。
ファイは、小さく首を横に振った。その度に雫がぱたぱたと床に弾ける。
ファイは泣く時、静かにただ涙を流すだけなのだ。
肩を揺すって、しゃくりあげたりしない。
その様子が、時としてとても大人びて見えた。
ファイの固く引き結んだ唇がほどけた。
震えるように、唇がわななく。
それでも、すき
『声』が聞こえた。
違う。テレパスじゃない・・・ 吐息の囁きだ。
息だけで言葉を紡いでいる。
静か過ぎる夜だから、しっかりと耳に届いた。
少し驚いていた。その一瞬の隙に、ついとファイが一歩前へ踏み出す。
・・・!!!・・・
柔らかく乾いた感触が、唇に一瞬触れた。
触れられた唇は濡れなかったのに、頬が逆に濡れる。
一瞬だけ触れ、すぐに離れたファイは再び俺を見つめてくる。
潤んだ瞳には、幼い体とはアンバランスなほどに熱く官能を湛えていて。
俺はその瞳から逃れたかったのに、麻痺して動けなかった。
そっか・・・ そうなのか、そんなところまで・・・ 俺と同じ・・・
涙を拭う為にファイの頬に手をあてた俺の姿勢と同じように、ファイが俺の頬に両手をあてる。
今度は、俺に逃げる間を与えてくれるように、ゆっくりとした動きで、俺の唇に唇を寄せる。
・・・避けなきゃ。でも、避ける理由がない。俺は、ファイをいとおしく思っている。
そんな逡巡のうち、結局避ける事も出来ずにファイの唇は触れそうに近付いて、もう一度、吐息だけで囁く。
すき・・・
吐息が熱かった。
倒れ掛かるようにファイの唇が押し付けられる。
その柔らかい唇は、少し震えている。
少しだけ離れ、俺の頬にあてられた手を離し、首の後ろに回し、角度を変えて深く重なった。
震える唇が、わなないて俺の下唇を噛む。
ファイに流されるように、俺もファイの背に手を回して体を引き寄せた。
一瞬、目を見開いてファイの体は固く硬直する。
深く重なる唇を開け、ファイの歯列を舌先でなぞった。
ファイはもう一度ぴくりと身体を震わせる。
俺の腕の中にすっぽり納まる形になっていたファイは、俺の胸元まで自分の腕を引っ込めた。
でもその腕を突っ張って、俺を拒もうとはしない。
ファイの唇を優しく食みながら、ファイの舌を絡めとる。
唇からの濡れた音と、頬を撫でる乱れた呼吸が耳を擽る。
最初は戸惑っていたファイも、俺の動きに敏感に感じるのか、身体を強張らせたりしながら、高みに昇ろうとしているのがわかった。
それでも、俺はどこか冷めてファイを見下ろしていた。
まるで他人事のような感覚。
いとおしくてたまらないはずの掻き抱いた小さいファイの身体は、さっきとは比べ物にならないくらい熱く火照っているような気さえするのに。
そんなファイの望みを叶えてやりたいのに、そういう行動に出ながら、やけに冷静な自分が心の奥にいた。
突如、ファイが俺の胸に当てていた手を突っ張って俺を拒んだ。
深く繋がる唇が離れても、ファイの身体はまだ腕の中に納まったままだ。
ファイにとってはありったけの抵抗、そして、少しの理性で離れたのだろう。
また、瞬きをして瞳から涙が一筋軌跡を描いた。俺の顔は見ない。
・・・いじわる・・・
そう呟いたように見えたとき、ファイは俺の胸元に頭を埋め、肩を揺すって泣き始めた。
ファイを抱きしめる格好だった俺は、逆に胸元で子供のように泣き始めてしまったファイに、今更ながらに罪悪感を持ってしまって、慌ててファイを戒めていた腕を解く。
何と言えばファイは傷つかないのか・・・
「・・・俺、ファイのこと好きだよ・・・」
嘘ではない。だけど、嘘でもある。
言葉にしないと本当に嘘になってしまう気がして、言い逃れのようにそんなことを言っていた。
ファイは顔を上げる。
また触れ合いそうに近い距離。
今度は、その目にあったのは、強い光だった。
うそつき
言った瞬間、凄い勢いで身体を反転させた。
その勢いでファイの長い髪が靡き、俺の頬をバシッと強く叩いていた。
女の子って、ほんとに侮れない・・・
俺のこと、どこまで見透かしているんだろう、ファイは。
もしかしたら、全部知られているんじゃないかな?
「ファイの気持ち、嬉しいよ・・・凄く嬉しい。ありがとな」
言って、顔の見えないファイの頭に手を乗せる。
ファイはひくりと肩を震わせていたけど、今度は怒ってはいないみたいだ。
「ファイ、これ、預かっておいて」
俺は、自分の首にかけていたペンダントを外して、ファイの首にかけた。
ファイはそれを受け取って、それが何なのかを確認して、慌てて俺を振り返る。
外して、俺につき返してきた。
「持ってて」
ファイは首を強く横に振って、それを俺の手に戻した。
これは、俺の師匠・・・ザイテの形見だ。
滴のような形の透き通ったガラスのような石なのだが、奥の方に赤い水のようなものが妖しく輝いている。動かすと、紅い部分は揺らめいて色んな形を示すのだ。
人間界で表現すると『レビドクロサイト』に似ている。紅い部分は移動したりするけど。
どうやら呪具らしく、ザイテはこれを剣や弓などの武器に変化させて使っていたのだが、俺には全く使いこなせなかった。
それでも大事にいつも身につけていたのは、偏に俺がザイテに対して心を強く縛られているからだ。
ファイは俺がこれを大切にしていることを知っているから、余計に受け取れないと思っているのだ。
「返して貰いに来るから・・・持ってて」
そう言っても、ファイは頑なに首を横に振った。
囁きで伝える事に限界を感じたのだろう、ファイは紙にペンを走らせる。
[ザイテ、って、神様と同じ名前なんだよ。きっと、ザイテが伸太郎を守ってくれる]
「じゃあ、これがファイを守ってくれるように」
[そんなの意味ない!! 私の事よりも伸太郎のほうがずっと大変なの、私だってわかる]
「でも、何か、約束をしておきたいんだ・・・ これは俺にとって本当に大事なものだけど、ファイだって大切だよ。だから、ちゃんと戻ってくる証に・・・」
[そんな証いらない]
「ファイ・・・」
[証を立てなきゃ戻ってこないような伸太郎じゃないもの]
「それは、どうだか」
自分で苦笑する。
揺らぎそうだったから、こうして証を立てようとしているのに。
そこまで俺を信じているファイが凄い。
俺なんて、本当に臆病な痛がりの奴なのに。
俺のそんな態度にむっとしたのか、ファイは拳で軽く俺の胸を押した。
再びペンを走らせる。
書きあがるのを待っている間に全て読めてしまうから、会話の間のタイムラグの沈黙の間が少しもどかしい。
書きあがる前にツッコミを入れたいところだけど、ファイの手が追いつかないだろうから、書きあがるまで少しだけ待つ。
そこにはあの、さっきの熱情の痕跡。
[さっきの・・・キス。嬉しかったから・・・ それでいい。伸太郎が私の事好きじゃないのはわかっちゃったけど、嬉しかったからそれがあればよかったの。その石は、伸太郎を救ってくれる大事なものだよ。伸太郎が持っていて]
「・・・」
[本当だよ。私・・・『予知』が出来るの。きっとその神具、伸太郎の力になってくれるから・・・]
急に饒舌になったファイに、少し違和感があった。
でも、ファイの、言い出したことを引っ込めない意志の強さも知っていた。
「・・・わかった」
俺はザイテの形見を持っていた手を引っ込めた。
その手をファイが左手で制止した。
すぐに右手でペンを走らせる。
忙しくさせてなんだか申し訳ないなあ。
[ちょっとだけ貸して]
ファイの瞳が、悪戯っぽく少しだけ笑っていた。
俺はそれを怪訝に思ったが、ファイに素直に手渡す。
ファイはザイテの形見を大事そうに両手で包みながら、瞳を閉じて何事か口の中で唱えている。
それはきっと『声』となって響いているのだろうけれども、今度は吐息の囁きとは違って魔術的な『声』は、俺には全く聞き取れなかった。
だけど、無風の筈の部屋の中に突如優しく風が吹き、ファイの髪や蝋燭の危うい光を撫でていく。
それは全てファイの掌の中にあるザイテの形見に吸い込まれるようにファイの身体を優しく包んで消えていった。
術かな? あまり見たことのない術だった。
[精霊法っていうの。ナイショね]
ファイは、俺にザイテの形見を返してくれた。
[二極神、トルガーとザイテが伸太郎をお守りくださいますように。武運をお祈りいたします。マイマスター]
もう何度も見た涙だった。
だけどそれにはもう後悔はなく、表情には笑顔さえ灯る。
「ありがと」
俺も笑って見せた。
いつもは普通に出来るのに、こういうときにする笑顔がどうしても不自然になるような気がする。
照れ隠しに、ファイの額に唇を落としてやった。
途端にさっきと同じように、真っ赤な顔をしてぷんすか怒って俺の体を叩いてきた。
「あっ、さっきの、濃厚なキス!!」
俺の言葉にファイの身体がぎくんと硬直した。
「俺、ウィルス持ってたんだった!! ファイ、伝染してたらゴメンな!!」
確認してたから大丈夫だと思ってしたことだったけど、それを知らないファイは驚いてぐいぐい強く手の甲で自分の唇を拭う。
「はははは!!! うっそぴょーん!!」
「!!!!」
ファイはまた怒ってぽかすか叩いてきた。
それを全部受け止めていたら、どん、とファイは胸に飛び込むように倒れ掛かってきて、俺の耳元で、
無事で。待ってる
と囁いた。
心がぎゅっと抱きしめられているような感じがした。
約束は・・・ 出来るかどうかわからない。
だけど、こんなに傷つけておいてそれを放っておく事が出来る程俺も薄情には出来ていない。
「うん・・・」
言って、ファイを抱き上げた。
眠かっただろうにつき合わされていたファイをベッドへ運ぶ。
ファイの身体を横にさせ、自分もその横に寝転がると、ファイは身を固くした。
「残念でしたぁー。何もしないよ」
ファイがぎろりと睨みつけてきた。
そんな事思ってない!と、言っている様。
「ファイが眠るまで一緒にいてもいいかな」
ファイはぐるりと寝返りを打って俺に背を向けた。
これは、いいって解釈で良いんだろうか。
いろんな事があった。
毒のこと。
食人鬼のこと。
十の牙のこと。
両親のこと。
女王打倒のこと。
天使のこと。
支配のこと。
勇者のこと。
ファイのこと。
・・・考えていたら、どっと疲れが押し寄せて、急に眠気が襲ってきた。
まどろみが瞼を落とし、何の気配も感じられないほどのだるさに身を任せたとき、もう一度唇に柔らかい感触が降ってきた。
俺は瞼を動かす事もなく、気付かないふりをした。
ファイは再び俺に背を向けて、少し肩を震わせて泣いた後、静かに寝息をたて始めた。
逃げ出したかったのは、過去から。
だから・・・俺は、俺自身を見ているような気がするほど似すぎた境遇のファイから逃げたかったのかもしれない。
そんなことを考えていたら、左目から一滴だけ涙が零れた。
そして、朝の光が差し込むまで、完全に眠りの渕に深く落ちていった。
2008/03/09 up
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小声で編集後記のコーナー。
書きながら自分で『ハズカシぃいいいいいいい!!!』と叫びたくなりました。
あああー、そうか、一人称、こういう恥ずかしさが丸見えでしたか!!! ど、どうしましょうね、この先のエッチなシーンの数々(遠い目)。徐々に私が割り切っていく他ないようです・・・orz・・・
まあそれはさておき、今回の。
伸太郎的にはファイに恋愛感情は持っていないのだけど、ファイは溢れるほど伸太郎に対してはあるので、少しだけファイに頑張ってもらいました。
なんだか幼女ってのは意外に良いな。と新たな開眼(何)。
それにしても伸太郎てばなし崩し的に受身!!(爆笑)。
これでいいのか主人公・・・
それにしても話がダラついてますね。テンポ上げろ自分・・・
お絵描きしてみました。雑な上でかくてスミマセン。