第一章  

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 何も感じずにただ日々を過ごす事は逃避だった。
 きっと、澄香の所に来てからの俺は、今までには考えられなかったほど穏やかに過ごせていて、感覚の全てが鈍って、微温湯に浸かる居心地の良さに過去の全てから目を逸らそうとしていたんだろう。
 でも。
 ファイの痛々しい姿は、忘れたい全てを俺に突きつける。
 目を背けたい現実は、今もここに確実に存在する。
 その存在を根絶する事がもし可能なら。
 それを、自分で実行できるなら。
 俺の体の一つや二つくらい、安いものだと感じてしまう。

 その日から、俺の毎日の散歩(のような、違うような)は、別の意味を持った。
 治安の悪い貧民区の、ほんの少しの治安維持の為のパトロール。
 大した効果にならなくても、何か出来る事があるということを知った以上、黙ってはいられなかった。
 出来る事なら、俺のような者がこれ以上現れることなく、世界が変わるなら。

 そして気付き始める。
 俺は、嫌がっていながら・・・ 自分の闘争本能を抑えられないのだという事を。
 幼い頃から、何か人とは違う違和感を持ち続けていた自分の存在。
 一人で居ながら、何故かあの境遇で生き残り続けていた俺・・・
 それはきっと、生き残りたいという本能以上の・・・闘争心。
 負けたくない。
 屈したくない。
 それだけだったのかもしれない、自分の単純な構造に気付く。
 何度も死線を彷徨いながらも生かされ続けてきたことを呪いもした事もあったのに。
 俺はそれを糧に生き延びてきたんだと、思い知った気がする。
 知った以上は突っ走るまで。
 走らないで後悔するより、突っ走って、通り過ぎてからその過去を笑い飛ばす方がいい。
 そんな単純な思考回路で、結局は動いているんだな、俺は。

+++☆★☆★☆+++


 澄香は、バックアップを約束してくれた割には、援助は極僅かなもので、俺に仮面を渡してきただけだった。
 顔半分はほぼ隠れる程度の仮面で、着けると口くらいしか見えなくなる。
 明らかに怪しい術が組み込まれている予感がたっぷりしたのだが、聞いたら澄香はしれっとして
「お前は目立つからな。それでなくても、このあたりではお前のことを知らぬ者の方が少ないくらいなのだ。出来る限り、正体を知られずに処理してもらおう」
 とか、ぬかしやがった。
 ぐぐ、そ、そうか、やはり俺って、浮いているのか・・・
 ま、ま、そうか、そうだよ、な・・・ あれとかあれとか・・・ あああ・・・ 落ちる。
 き、きき、気を、つけなくては・・・
 結局はぐらかされて聞き出せなかったが、澄香が最初からそんな種明かし、するはずないって後で思った。
 身バレしたくないから、仮面をつけることに関しては願ってもない事だ、確かに。
 左右の目の色が違うってだけで、確かに、俺の容姿ってちと目立つ。
 髪の色も蒼雑じりの白金なんて珍しい色なもんだから、目立つかもしれんので、フードなんか被ったりして、一見もう不審者にしか見えないいでたちで町をぶらつく事になった。
 まぁ、貧民区で、おかしな風体の輩なんてごまんといる。
 意外と顔を隠すだけの俺の様子を気にかける者は少なかった。
 それだけ、他人に構っている余裕などないということでもあるんだろうけど、かえってありがたかった。
 ただ、やはり流石は澄香というか、仮面には仕掛けがしてあって、仮面のグラスを通すと俺にまでオーラが見えるようになる。
 これには正直驚いた。
 澄香達はこんなに眩しい世界を直視しながら生きてるのかと、別の感動があったが、素直にそう言ったら、『普段は生活に邪魔になるからそんな感覚器は閉じている』んだとか。
 能力者サマ方はめんどくさく出来ておりますねぇ。
 俺はこれ、すげー便利だと思うけどね。属性とか一発でわかるし。渦とか大きさとかで強さまで何となくわかっちゃうし。
 俺なんか、余計なものが見えて生活に困るっつー経験、したことねーよ、便利だろ。
 その代わり、相手の力量、これっぽっちもわかんねーんだけどな!!
 と、最初こそ物珍しく思っていたものの、やはりここにも知らなければ良かった現実はあった。
 一切オーラの見えない奴がいる。
 そう言えば、人間だって確かに微弱にオーラを放っているのに、一見普通にしか見えないのに、確かにオーラを全く放ってない奴がいる。
 ・・・ひょっとして・・・
 すぐにそれは確信に変わる。
 食人鬼。
 あの時の、あの男と同じ者。
 屍のようにただ生きているだけのような、この間の男のような奴が、沢山うろついている。
 そういう食人鬼たちは、自分にはない聖オーラを吸収して、自分を保たなくてはならない為、聖オーラを貪る為に、人を食わねば干乾びる・・・って、澄香が教えてくれた。
 胸糞の悪くなるような奴等だ・・・
 放っておけなかった。
 俺は、食人鬼から人を守る為に、今まで生かされてるんじゃないだろうかと思った。
 仮面にはもう一つの仕掛けがあって、俺が食人鬼を捕らえたら、どこからかカイとかオメガとかデルタが迎えに来る。
 ・・・そういう盗聴術が、仕込まれているらしかった。
 澄香らしい嫌な仕込みだと思ったが、俺は戦闘専門で、封じる事は出来なかったから、こういうバックアップもありがたかった。
 実際、どんなに諭されても、殺すのは嫌だったし・・・

 そんなことを繰り返していた時に、俺はあの女に会った。
 そう、そうだよ、こっからやっと、始まるんだ。

+++☆★☆★☆+++


「凄い話題になってるよ、仮面の戦士!!」
 弾が、心なしか誇らしげに、俺の顔を覗き込んで言った。
 やめろー、目立たないようにやってんのに、何故目立つ!!
「いやいや、それは、俺じゃないから!!」
「またまたー、謙遜謙遜!! 流石に強いね、伸太郎は!! 僕も見習わないと!!」
「やめておけ、弾。がさつがうつるぞ」
「うるせー!! 大体、お前の提案、全部裏目だ!! 何で目立ってんだよ俺!!??」
「そりゃ目立つ・・・ 隠されたヒーローの正体を知ろうと皆躍起だ」
「はあ?? つーか、目立っちゃダメなんじゃないのかよ!! 俺、かなり人目につかないように隠密行動してるつもりなのに!!」
「まぁそのあたりは情報操作かな。・・・私の」
「はあ!!?? なんだそりゃ!!」
「箔がついたほうが、何かと助かるんだ、こちらの今後もな」
「意味わかんねえ・・・ 正体、ばれてないだろうな・・・」
「大丈夫! まだっぽいよ!!」
 そう言えば、そんなやりとりがあった。
 尾ひれって言うのか、食人鬼の噂とともに、仮面の怪しい奴の噂も流れ始め、それが徐々に一人歩きしだして、それはそれで俺としては面白いような恐ろしいような、そんな気持ちになった。
 いやマテ待て。
 食人鬼狩りだけじゃなくて本当は色々やってんですが、どうも、悪を滅ぼすヒーロー的な扱いで、仮面の人は食人鬼とセットで有名になりつつある・・・ どーよそれは。
 いやいや。ある意味、ちょい、快感ですが・・・ イカン。何だこの感じ。
 おう、脱線、修正。
 そんな事を繰り返すうち、食人鬼の様子が変わり始めていることに、先ず、澄香が気付きだす。
「最近・・・ 食人鬼たちに纏まりが出始めている事に気付いているか?」
 やけにその時の澄香は慎重な口調だった。
「・・・まぁ・・・ 違和感がないでも、ない、かな・・・」
「どんな?」
「う。んー・・・」
 思い当たる点は多々ある。
 だけど、それを口に出すのは少し憚られた。
「僕が言おうか?」
 カイが俺に言う。
 あ、そっか、あの時のは・・・カイが・・・
 あの時の俺の動揺を、察してくれたのかもしれない。
「いや、いいよ。俺が言う」
 俺が言い出したことなんだから、そういうことから逃げても仕方ない。
 それに、多分澄香は何か気付いているんだ。
 澄香の意見を聞いてみたいのもあった。
「自我がはっきりしている奴が・・・ 多くなってきたような気が、する」
「ふうん・・・自我」
「んー、何かさ・・・ 苦しんでたり・・・ 楽しんでいたり・・・ 色々なんだよ、奴らもさ・・・ 最近の奴ら、個性があるっつーか・・・」
「・・・個性・・・ね」
「オーラ、見える奴もいるんだよな・・・」
「!」
「ん、何か気になるのか?」
 会話のやりとりで、澄香の動揺を珍しく見出し、それとなく聞いてみる。
 こっちが澄香の腹を探るつもりでいる様子を見せると絶対に隠すだろうから、何のことはない感じを装って。
「・・・いや。やっとお出ましか・・・という所かな」
「何だそれ・・・」
「今まで、伸太郎が相手にしてきたのは、毒が薄い低級の奴ばかりだったから仕方ないか・・・ 本来、食人鬼はあんなに崩壊していないし、知恵がないわけでも自我がないわけでもなく、狡猾な高能力者なんだ」
「なんだって?」
 ふざけんな。初耳だし!!
「でも、オーラが・・・」
「オーラが消えてしまっているような奴らは殆ど雑魚・・・ ほぼ、屍のようなものなんだ。本来は、自らの意思で、人を喰らう」
「・・・!・・・」
「お前の心に傷を残したような奴は、どんな奴だった?」
 ぐ。
 くそ、腹を探るつもりで聞いたのに、逆に俺の腹の方がダダ漏れですか、畜生。
 あの、凄惨な光景を思い出す。
 俺が駆けつけた時にはもう喰い散らかした後だった。
 肉片はその場いっぱいに散らばり、ヒトはヒトとしての形すら残してはいなかった。
「・・・っ」
 吐き気がしてきた。
 今喋ると、さっき食ったハンバーグ全部吐きそう。
「僕が話すよ」
 俺の横にいたカイが一歩前へ出る。
 そのカイの腕を、ぐっと掴む。
 首を横にだけ振って意思表示だけをした。
 声を出すにはまだ不安が。
 胃液が逆流するのを、一気に飲み下す。
 うえっ。吐くな。吐くな吐くな、俺。勿体無いだろ、ハンバーグが!!
 ううっ。しまった、『ハンバーグ』という単語の所為で、またヒトのミンチ肉思い出した・・・!!
 あああ・・・キツイ。ホント吐きそう。
 いや、吐いたら・・・この、澄香の執務室で吐いたら・・・何言われるかわからん。それだけは避けねば!!
 辛うじて口を閉じる事だけで胃液を抑えていたのを、何とか全部飲み下し、残った胃液でリバースを誘わないように、ポケット常備の飴玉を取り出して口に放り込む。
 甘味よ、俺に力を与えてくれっ。
「いいよ、カイより・・・ 俺のほうが良く見てた」
 カイに汚れ役をさせるのは嫌だった。
 俺が、出遅れたからだ、あんなのは。
 もしかしたら、本当に救えたかもしれなかったのに。
 カイは、心配げな琥珀の瞳に憂いを宿し、未だ吐き気の残る俺の背中を摩ってくれた。
 背中摩られると余計吐きたくなるのですよ、カイ・・・ やめてください、とは言えず。
 黙ってその手を制し、澄香を見る。
 澄香は、頬杖をつく姿勢を正した。
「ぐちゃぐちゃに喰い散らかしてたのに・・・ 俺に、『助けて』って言って・・・ 自殺、した」
「・・・!」
 澄香が目を見開く。
 一息大きく深呼吸する。
「カイが駆けつける前に、色々・・・あったんだ。食人鬼は爺さんだったよ。喰い散らかされていたのはもう、形も残してなくて、大人か子供か男か女かもわからなかった。その血溜まりの中で、爺さんは笑っていたよ・・・ 泣きながら、な・・・」
 狂ったように笑う老爺。
 口の周りは真っ赤に染まっていて、顔に刻まれた深い皺に血が濃く筋を残していた。
 俺は、その爺さんを止めなくちゃいけなかったのに。
 止められなかった。
 その、凄惨な様子に暫く息をする事さえ忘れた。
 爺さんは、立ち尽くす俺に気付く。
 それでも俺は動けなかった。
「君は、儂を、裁きに来たのかね・・・」
 想像に反した穏やかな声。
 俺はその様子に、ハッと、息を呑む。息を忘れていたことを、やっと思い出す。
 吸い込んだ空気が、やけに生臭い。
 鉄の匂い・・・ 血の匂いを肺に吸い込んで、もう一度息を止める。
 覚えのある、強い血の匂い・・・ 胸に広がり、息を止めると肺にまだ匂いだけが残ったような気がして、慌てて息を吐く。
 吐いて、空気が足りなくてもう一度吸い込む。そしてまた広がる血の匂い。
 俺はその時呼吸の仕方をすっかり忘れていた。
 短く何度も息を吐いたり吸ったりしていた。
 血の匂いに、すっかり冷静を欠いていたのだ。
「儂は、もう、何人喰ったかわからんのじゃ・・・ もう、嫌なんじゃ・・・」
 爺さんは口許を血に染めて、穏やかに笑っているように見えるのに、口許の血を洗い流すかのように瞳からは涙を溢れ出させている。
 こんな・・・ 食人鬼は、見たことがなかった。
 貪欲な食欲で、自我を失い徘徊するだけの今までの奴らとは、確実に違っている。
 覚束ない足取りで、爺さんは俺に近付いてくる。
 竦んだ様に動けない。
 影縫いでもされたかのように、俺はその場に縫いとめられて動けない。
 息が苦しい。空気が足りなくて軽く眩暈さえ感じた。
「ああ、君の『気』は、清廉で美しいのう・・・ それを、儂にも分けてくれんか・・・」
 爺さんの様子が違いだす。
 いつもの、食人鬼と同じになったように見えた。
 聖オーラって、何なんだ?
 俺が出しているらしい聖属性の気。
 食人鬼を充分に狂わせる媚薬になるらしい。
 そして、救いを求めるように、俺の気を食おうとするのだと言う。
 本当に、俺を喰って、この食人鬼たちは救われるんじゃないだろうか。
 こんなに苦しんでいるように見えるのに、どうして俺は、彼らを救うことが出来ないのだろう。
 そう思ったら、動けなかった。
「何をしとる、早く、儂を、殺してくれ・・・」
 爺さんが、また、先程と同じように涙を流しながら言う。
「助けてくれ・・・」
 そう言う爺さんは自分の頭を指差した。
 ! 術式を組んだ!! 一瞬、爺さんに見えなかったオーラがぱっと目に映る。
 次の瞬間、爺さんは、自分の脳漿をぶちまけて、ばたんとその場に倒れて動かなくなった。
 と、同時にカイが俺のところに駆けつけ、俺は事態を理解した瞬間、胃の中にあったものをすべて吐き出していた。
 カイは、俺が落ち着くまで背中を摩り続けてくれた。
 それが、この間に見た、俺が初めて見た自我を持った食人鬼。
 それから、徐々にこういう類の奴を沢山見かけるようになった。
 俺は、いやだと思いながらも、彼らの声を聞いては駄目だと全部に蓋をして、彼らを狩り続けている。
 そして、爺さんが苦しんでいたのに対し、確実に楽しんでヒト狩りをしている奴が沢山いる事もわかり始めた。
 そういう奴らは、得てして俺に挑発的で、能力がかなり高い奴が多かったりした。
 それが、最近感じ始めた違和感の正体。
「・・・炙り出しも楽じゃないな・・・」
「不謹慎ですよ。その言い方」
「・・・そうだな。配慮が足りなかった。すまん」
 一通り話し終えたら、澄香がそう呟き、それに対してオメガが嗜めた。
「どう思った、カイ」
 しおらしく珍しく謝った澄香は、すぐに意識を入れ替え、カイに意見を求める。
 あっ。俺、また、多分話題から遅れだしている。
「はい。恐らく・・・ 最近上級のが、我々の目に映るほど派手に動き回るようになってきている影響かと」
「そうか・・・ あちらも動き始めたと見るべきか・・・?」
 澄香はデルタに視線を移す。
 デルタは首を横に振った。
「多分違う。統制は取れているようだが未だ無秩序だ。判断が難しいけどな・・・」
「そうか・・・」
 澄香は思案をめぐらせるように瞳を閉じる。
 眉間に皺が。
 ・・・俺が思っている以上に、多分、澄香もこの件に関しては苦悩する部分が多いのだろうと思った。
「すまんが、伸太郎。辛いだろうが、今まで通り頼む。奴らの言葉を聞かずにな・・・」
 そういう澄香もしんどそうだった。
 だから俺は、俺が辛いと思っている事を少しでも汲んでくれるならと思って、それを受け入れた。
 油断した。
 急に、あんな化け物が出てくるとは思わなかったんだ。本当に。

2007/12/21 up

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小声で編集後記のコーナー。
最近、小説読んでその後の解説とかに、「この筆者は、『物語が勝手に一人歩きした』などという稚拙な言い訳はすまい」っていうのを見て、何か愕然としたりして(笑)。
言い訳せずにはいられない私って、どんだけ幼稚なのかと(苦笑)。
それにしても、序盤の序盤だと言うのに、何故ここまで回想シーンが続きすぎるのでしょうか!!??
早く事件転がしたいです・・・