第一章




「駄目だ!」
 辰婁は、大声で鶯癸に向かって怒鳴った。
 鶯癸の横には、修験者風の、明らかに『人』とわかるそれが、静かに立っている。
 辰婁と鶯癸はどうかというと、二人とも、髪も瞳も黒ではなかった。
 額には、十字の傷が刻まれている。
 こちらは、明らかに『鬼』とわかる姿を持っていた。
「木賊は、辰婁の言ってる『人』とは違うよ!!」
 鶯癸は白銀のさらさらとした髪を空に舞わせて、辰婁に詰め寄った。
 辰婁に比べて、まだ少し幼さを残す少女の瞳は銀灰色で、その瞳が少し潤んでいる様子からも、必死に訴えているのだろうが、辰婁は十年を越す付き合いになる鶯癸のその顔に免疫をつけているので動揺も見せず、怒った顔で鶯癸の頭を小突いた。
「痛!!」
「お前、鬼の誇りとか、ないわけ?」
「なっ、何でそういう言い方するのっ?」
「鬼が、人とつるむ事を覚えたなんてお袋が知ったら、俺、地獄で絶対殺されるな」
 辰婁は、大袈裟に溜息を吐いてみせる。
 流石に辰婁は鶯癸の癇に障るつぼを心得ていると見え、鶯癸は、辰婁の態度に頬を膨らませた。
 鶯癸よりも年上で、鶯癸よりも思慮深くいつも手玉に取られていると感じている鶯癸は、口では勝てないことを悟った。
 辰婁は、怒鳴って叱る事よりも、馬鹿にすることのほうが鶯癸には有効だという事を熟知していた。
「何よっ! そんな事を言うけど辰婁だって、半分だけじゃない、鬼なのは!!」
 鶯癸は顔を真っ赤にして叫ぶ。
 ホントは、こんな憎まれ口を叩きたいわけじゃないのに。
 辰婁を差別するような事、言いたくないのに。
 でも辰婁がわかってくれないのがいけないんじゃない。
 自分の言った言葉が辰婁を抉るかもしれない事を察した鶯癸は、自己嫌悪でいっぱいになる。
 言わなきゃ良かった。気にしているのに。
 鶯癸はすぐに後悔して、涙が溢れそうになるのを堪えた。
 そんな様子を、修験者風の『木賊』という男は、面白そうに見守っている。
「だからって、それが何だっていうんだよ」
「だっ・・・だからっ、『鬼の誇り』なんて、半分しかないんじゃない? そんなんで私に説教するなんて変だよ!!」
「まあ、百歩譲ってそういう事にしたとして、俺に鬼としての誇りが少ないにせよ、その『人』を仲間に引き入れるわけでもないだろ。お前しっかりしろよ、仮にも鳳鬼の、風の鬼の王族なんだから・・・」
 辰婁は、もう一度大きく溜息を吐いた。
 昔から、これと決めたら絶対に譲らない鶯癸の頼みを、何度となく許してきた辰婁だが、今度は絶対に許すわけにはいかない。何しろ、頼みが頼みだけに、下手をすれば自分達の命を危うくするかもしれないからだ。
「そんな大切な事を、私の前で安易に言ってしまってもよろしいのですか? 王族がいるとわかれば、人は賞金目当てに押しかけてくるかもしれませんよ」
 木賊は静かに口を開いた。
 辰婁と同年代か、それともその落ち着きを見るともう少し年上か。
 木賊は、短い髪を右目の上のところで分けている。生え際のくせが強いので、分け目がはねているが、毛先はまっすぐで、耳が半分隠れるくらいの長さだった。
 額の中心に、大仏に良く見かける丸い徴のようなものがあるが、宗教が何なのか皆目見当もつかない服装をしているので、修験者であることしかわからない。
「いい度胸だな。お前が人の里に降りようとした時には、生かして帰す気はない」
 辰婁は、木賊を鋭く睨みつけた。
 鶯癸はおろおろしながら二人を見守っている。
 木賊は、動揺もせずにまっすぐ辰婁を見据えていた。
 鶯癸は、辰婁がいつも自分に対して怒る表情とは全く違う、凄味を持った表情をしているのに気付いた。
 今にも木賊を殺してしまいかねない雰囲気を醸しているので、鶯癸は木賊を庇うように、木賊の前に立った。
 木賊は鶯癸の方に手を乗せて、耳元で『大丈夫だから』と囁くと、一歩前に歩み出て、辰婁と一対一で対峙する姿勢をとる。
 人の身で、鬼である自分とサシで話をつけようという態度の木賊に、辰婁は一瞬怯んだ。
 辰婁は半鬼である為、罪を見抜く目は持たない。
 だが、木賊の迷いのない態度に、清廉な決意を見たような気がした。
「私が一人でここへ来た時から、私の真意を量ってはいただけませんか? 人はつるまねば何の力もない、それは一番自分でわかっています。今の私に何の力もないのは見てわかる筈、私の話を、聞くだけ聞いてはいただけませんか?」
 自分を無防備だとわからせる為に、木賊は袂を裏返して何も持ってはいないことを示す。そのあと両手を挙げた。
 それは敵に対しての態度ではない事を認めないわけにはいかず、辰婁は仕方なく、無言を以って木賊に話を促した。
「ありがとう辰婁!」
「ムカつく!! 何でお前が礼を言うんだよ!!」
「だって、何だかんだ言って、ちゃんと私のいうこと聞いてくれるんだもん」
「・・・だから俺がムカつくんだよ・・・」
 辰婁は、また鶯癸に負けてしまったことに嫌気がさし、何度目かの溜息を吐く。
 言い負かす事にかけては秀でていても、結局、我儘に押し負ける。
 そんな自分が情けなかった。
 二人を微笑ましく見ていた木賊は、鶯癸の後に改めて口を開く。
「有難うございます。ええと・・・辰婁さん、でしたね。貴方は、半分だけ鬼だそうですが、残りの半分は何なのですか?」
「それが話に関係あるのか?」
「はい」
 『真意を量って欲しい』と言った木賊の言葉からは、木賊の真意は見えてこない。
 一歩踏み込まない限り、木賊の話は先に進まないようなので、仕方なく辰婁は自分のことを話す。
 頭の奥のほうで、例え話して不利になったとしても、殺してしまえば良いという考えもあったのだが。
「母親は、鶯癸の父親の姉で鳳鬼の王族だったんだが、大層なもんに見初められてね。姿で何となくわからないか?」
 辰婁は、蒼い髪に青い瞳をしている。まっすぐな髪は腰まで伸ばしていて、前髪とは別に、二本の触角のような髪を前に垂らしていた。
 それは、竜の髭に良く似ている。額には鬼の証、十字の傷もあった。
 辰婁は両親の能力を強く引き継いでいるようだ。
「龍・・・」
「そう」
 辰婁は短くそれだけを答えてそっぽを向いた。それ以上は話したくないらしい。
「そうでしたか。すみませんでした。それでしたら話には関係ありません」
「・・・お前・・・何しに来たんだ、無駄話か?」
「いえ。貴方の半分が、もし『人』だったら・・・困ることになると思っていただけです」
 あっけらかんとしている木賊に、辰婁は完全に毒気を抜かれてしまった。
 警戒心まで怠るほどではないが、辰婁の中では木賊は『変な奴』という印象でそのまま固定されつつある。
「俺が生まれた頃は、鬼が人を牽制し得る時代だったろうし、鬼は、人がどんな罪を犯しているか一目見ればわかるから、人と通い合うだなんてこと、絶対にしない筈だ。だから、お前の言う人と鬼の子なんていない」
「ああ、それは聞いた事があります。では・・・私が犯した罪も見えたりしているのでしょうね」
 いちいち辰婁は木賊に話の腰を折られているのに気付いて、相手の調子に流されている事を感じながらも、この程度なら無害だろうと解釈して、木賊の質問に答えた。
「俺は、その能力は受け継がなかったみたいだ。その力は鶯癸が持ってる。鶯癸がお前を警戒しない所を見ると、大したことはやってないんだろ」
 話を聞いていた鶯癸が、大袈裟な手振りで言う。
「そうなの! 悪い事って、したことないみたいなの!! 沢山後悔する事はあったみたいだけど、穢れを少しも感じないんだ!!」
「ふふ、そうですか」
 木賊は少し含みのある顔で笑った。
 それに引っかかった辰婁は鋭く木賊を見据える。
 その視線に気付いた木賊は、そのままの笑顔を張り付かせて、事も無げな様子でとんでもないことを口にした。
「では、私の修行の成果は出ているという事ですね」
「・・・どういう意味だ?」
「私は、鬼を滅する為の異能者を育てる里に居たのです」
「!!」
 辰婁は躊躇わなかった。
 今までは鶯癸が庇っていたから使わなかったが、一欠けらの情けもかけずに木賊に対して眼力を使って頭を破壊・・・したつもりだった。
 辰婁の眼力は、確かに効いていた筈だった。
 木賊は辰婁と目を逸らす事もなかったし、辰婁自身にも手応えはあったのだ。
 それでも、木賊はにっこりと微笑んで辰婁を見返すのみだった。
「なるほどね・・・ 人も努力は惜しんではいないようだな」
 辰婁は容赦する事をやめた。
 辰婁の龍の髭のように伸びた前髪が、ぼんやりと光り始めたのを見て、木賊は漸く慌てた素振りを見せる。
「あっ、誤解を招くような言い方をしてしまいましてすみません、今のはほんの自己紹介ですよ・・・!!」
「でもお前は俺の力に屈さなかった。自信があるから単身で来たんだろう」
「いえ、もう、私しか異能者の修験者は居なくなりましたから・・・」
「どうして?」
「異能者は、もう、人ではないんだそうです。鬼と同じだと。私の里も、焼き討ちに遭いました。その時たまたま私は都へ出ていて難を逃れていたんです」
「・・・」
 辰婁の髪が光らなくなった。周りに吹いていた不穏な風もなくなったようだ。
 辰婁の臨戦態勢を解いたのを見ても、木賊の顔に張り付いていた笑みは消えなかった。
「私は、一体、何の為に生きていたのでしょうね・・・?」
 血を吐くような、悲痛な言葉。
 それでも木賊が笑みを宿しているのは・・・ 自嘲なのかもしれなかった。
「だから・・・ だから、罪はなくても、木賊の中には後悔ばかりがいっぱい凝っているんだね・・・」
 鶯癸は木賊に歩み寄る。
 辰婁も止めなかった。
 木賊が二人を討ちに来た修験者なら、今の鶯癸の無防備な様子を放ってはおかない筈だが、木賊は何もしなかった。
 鶯癸が自分の傍に来るのを察し、また、無理に顔に笑みを作ろうとする。
「いいえ、私は今、鬼に取り入る為に見抜かれないようにしているだけですよ・・・ 私は悪い事は沢山しています。人の身で強く人を憎く思ってもいるし、人に対して何の希望も持てなくなった・・・ もう、人を心の奥底のほうでは裏切っているのかもしれません」
「そんなこと・・・」
「だから、人に殺されるよりは、鬼に裁かれたほうがマシだとも思いました。ただ、裁きを受ける前にこれだけは・・・ 鬼である貴方達の耳に入れておかねばならないと、こうして恥を忍んで参ったのです」
 木賊は、自嘲の後、気丈な表情を見せて、辰婁と鶯癸を見た。
 その顔は、どうしても悪人には見えない。
 例え何らかの方法で罪を見破られないようにしているのだとしても、この清廉な表情は、内から来る木賊の気高さを示しているように感じた。
 わざとに弱みを見せることで油断を誘おうとしているとしても、こんなに直情的な訴えをしてくるというのは不自然だ。
 辰婁は、信用する、とまでは行かなくても木賊を敵としては扱わなくてもいいのではないかと思って警戒心を解く。
「お前の事情はわかった。信じるかどうかは今は言わないが。話を聞くだけ聞こう。あっちに家がある。ついて来い」
 辰婁は、そう言うと鶯癸と木賊に背を向けて、自分達の住む家のある方へ歩き出した。
「ありがとうございます・・・!!」
 背を向けられて、辰婁からは見えていないのもわかっていて、木賊は深々と辰婁に頭を下げ、鶯癸の促すままに、辰婁の後ろについて行った。

2008/12/11 up

<前項/次項>

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小声で編集後記のコーナー。
書き写すだけなので作業が早い早い(苦笑)。
て言うか、何かもう少し情景描写とか足したいんですけど足したらニュアンス変わってくるしなあとか・・・
匙加減未だ模索中。