第一章




 さて、時は戦国世は乱世。
 鬼が世を我が物顔で闊歩していたような時代であった。
 人が人を殺める戦国の乱世には、その行為を裁かんとする鬼の存在が確かにあった。
 原因不明の変死であったり、『神隠し』に遭ったりすると、それは鬼の仕業とされた。
 人と鬼の区別もつかぬような、人とて鬼のような諸行を重ねていたような世であった故か、戦乱は極まってゆくばかりの、悪循環を繰り返す最悪の事態に陥っていった。
 鬼は完全な悪の存在ではなく、罪人を裁くという地獄の番人としての一面も持ち合わせており、人を浄化するとも信じられていた。
 恐ろしい者でありながらも、神聖視もされていたのである。
 だからこそ人は鬼を畏れた。
 人は鬼を畏れるだけで、排除しようなどと思う者はいなかった。
 鬼は睨むだけで人を殺せるという眼力を持っていると信じられていたし、他にも特殊な能力を持っているとされてはいたのだが、人には特殊な力は勿論ない。
 恐ろしい鬼をわざわざ怒らせてまで、負ける戦をする愚かな者は、いなかった。少し前までは。
 十年ほど前、成り上がり者の二人の男が風嶋という武将に仕え、風嶋を天下統一の夢に近付けておきながら、それを裏切り自分達が実現させた。
 風嶋は人望薄く、天下統一の現実が近付いていくと、逆に人心は遠ざかっていくばかりだった。
 武将でありながら芸術を好む傾向にあった風嶋は、政も戦も、もとはあまり得意ではなかった為、領地を拡げていくにつれて、年貢を極端に引き上げたり、その年貢を湯水のごとく自分の享楽の為に使うなど贅沢を尽くす暮しを隠しもせずにいたため、民の不安、反感を一手に引き受けていた。
 反面、風嶋に的確な助言を続けてきた二人の男の人望は、風嶋の人望が薄れるのとまるで反比例するかのように上がっていった。
 一人が政を巧く取り図り、もう片方が、巧みな戦術を用い、徐々に戦功を上げていった。
 それに対して風嶋がしていた事といえば、傍で見ていただけ、名を貸していたに過ぎないと、誰もが影で囁いていたほどであった。
 民達は、不甲斐ない風嶋に自分達を治めてもらうことよりも、二人の男に治められることの方が、ずっといい事を知っていた。
 二人の男に、それを望んでいた。
 二人の男は、なけなしの忠誠心だけで風嶋に仕えていたわけではなかった。
 簡単に民の望みに応えるほど、風嶋を簡単に切り捨てられるなら初めからしていたのだろう。
 彼らは最初から風嶋の無能を知りつつ、支える事のみを務めと心得、出すぎた自分達を抑え、風嶋が無能ではないと後押しする事で、今度は自分達の影を消そうとさえした。
 そこまでの忠誠心を以って主に仕える二人を、民達は信じ、支持は余計に上がっていく事になる。
 名ばかりの風嶋など、最初から見限られていたのかもしれない。
 だからこそ、風嶋よりはマシである、という意思でこの二人に白羽の矢が立っただけだったのかもしれない。
 二人は民の望みにさえ最初は耳を貸さず、風嶋の擁護に徹する忠誠心篤い姿を曝すのみ。
 その忠誠心こそが貴重な素晴らしい人間性を示していたと民は信じた。
 しかし風嶋は一向に自分がどう在るべきかを考える事もなかった。
 豊かになるにつれて堕落の一途を辿る。
 二人はとうとう決断した。
 民達の望み通りに、風嶋を討って自らが武将に成り上がる。
 それが、新たな戦乱を巻き起こすなどとは誰も思わなかった。
 二人が武将となってからは破竹の勢いで天下統一を成し遂げる。
 僅かの期間でそれを成し遂げた二人の男の名は。
 姓を鎹、名を小一郎。天下統一後は『鎹 炸裂喇』と改名した。
 まだ元服さえしていない身でありながら、少年の頃より智謀に長け、常に民の立場に立つ事を忘れず政を取り仕切る天才児であった。
 元は鎹家の病弱な嫡子であり、一命を取りとめた後は積極的に風嶋に仕え、他の家臣たちにも一目置かれる存在であったようである。
 まだ若い為、小一郎の発する諫言は風嶋にいつも疎まれていたが、その真剣な姿に他の家臣たちは相当数感化されたという。
 野心溢れる家臣たちは、無能の風嶋を討とうと徒党を組もうとしたこともあったが、それをいち早く察知し、場を収めた事もあるという、肝の据わった若者だった。
 まだ少年の面差しを残し、女子と見紛うばかりの麗しさを持ちながらも、常にいつも緊張感を漂わせており眼光鋭く、他人を寄せ付けぬところのある若者だった。
 もう一人は、姓を水渡、名を義成。主に対する忠誠心篤く、常に一歩ひいて主を立てることを忘れない巨躯の優男であった。
 巧妙な戦術を用いて戦を支配する事が得意でもあったが、戦に出れば鬼神の如き強さで敵を一瞬で一掃するとまで言われる、戦神の化身のような男だった。
 ただ、義成の忠誠心は元から風嶋に仕えていたものではなく、炸裂喇に誓っていたのであるらしい事は、民達の間で噂になっている。
 実際に風嶋を討ったのは義成だという話もあり、炸裂喇がいつも強い口調で義成に何かを言っても義成はいつもそれに従うようにしているのだという。
 義成は、風嶋の評判よりも、炸裂喇を風嶋の巻き添えにしない為の守りとして常に炸裂喇の傍にあったとされている。
 だからこそ、地に落ちた風嶋の擁護を先に切ったのは義成だったのだ。
 しかし、そのようなことは、風嶋が討たれた後は民達の頭から徐々に消え去っていった。
 天下統一は、間違いなく義成の力がなければ為せなかったと誰もが信じていたし、彼は、それでもまだ一介の、炸裂喇の家臣に徹する事をやめはしなかったからだ。
 戦の必要のなくなった世でも、義成も政に対する確かな知識を持っていたため、軍師として炸裂喇の傍に在り続けている。
 見上げるほどの巨躯で、無駄のない締まった躰を持った上に美貌を持ち、貶しどころは額に痣のようなものがあるということ以外は見つけられない容姿だった。

 二人の治めたこの国は、表面上、安定した、統制の取れた国になったと誰もが信じていた。
 二人の引き抜いた家臣が、どれも一流揃いだったことも加え、民達の期待した二人の治める世は、今までにない斬新なものだった。
 だが、希望に満ち、国は安定の道を歩んでいこうとしていた時に邪魔者が現れた。
 『鬼』である。
 裏切りを犯した二人の男の治めた国に安定を許すほど、鬼達の正義感がいい加減なものではなかったという事である。
 徐々に、変死や神隠しが人々の間で横行するようになったのは、裏切りを犯した二人を助長させた民達にも鬼達が責任を問うたのだと誰もが恐れた。
 鬼達は、それをまさに決め付けたかのように、誰彼構わず人を裁くようになっていった。
 裏切りを犯した二人を許して認めた罪の他にも、人は既に、鬼の概念の中では『生まれながらに罪を重ねる生き物である』と定められてもいたから、鬼達は見境がなくなっていったのだった。
 そして、鬼にあった恐ろしい面が露呈したのは、人を裁くのは鬼にとっての快楽でもあったという事である。
 人の血に塗れて悦に浸る鬼の姿を目撃される事が相次ぎ、『番人』である筈の気高い鬼は、人にとってはただ『恐ろしい異形』でしかなくなった。
 無差別にただ殺戮を繰り返す鬼は、人々にとっての新たな脅威となった。
 漸く収まりのついた戦乱の世が、鬼の為にすっかり立ち戻る。
 鬼などという訳のわからない者を相手に、今度は戦わねばならなくなった人は、士気は落ちる一方、果ては蝦夷地へ逃げ去る者まで現れる始末。
 始めは鬼を黙殺していた炸裂喇と義成も、とうとう決起せざるを得ない状況になり、二人の出した結論は『鬼』と名のついた者の排除と共に、鬼がいるという里の焼き討ちであった。
 仮にも、今まで神聖だった鬼に対してその制裁は、祟りを恐れた人々にとっては、賛同しかねるものだった。
 それだけではなく、人の力でそう簡単に鬼を成敗する事など絵空事であると誰もが思った。
 その為か、最初の焼き討ちは、ほんの僅かの人数で行われたのだが、異常だったのは、国を治めねばならない任にある炸裂喇が出陣、それを護る為に義成まで出陣した。
 二人が、それほど鬼に対して真剣に取り組むという姿勢の表れである。
 どちらか一人を失うことになるのなら、まだ民達はそんなに動揺しなかっただろうが、二人とも躊躇わずに出陣した事から、この焼き討ちは後に語り草ともなる。
 成功する筈がないと誰もが思っていたし、鬼に刃を向けた二人が殺されたらこの安定の世の終焉が来る。
 最初から結果の見えた戦だったから、誰もが絶望していたのに。
 焼き討ちは成功を収めた。
 炎を操る炎鬼の里を、炎を以って破壊したというのだから、民達は自分の耳を疑った。
 凱旋してきた二人は、確かに、鬼のそれとわかる姿を持った首を、持ち帰る。
 まだ少年のようなあどけない面差しを残す炸裂喇が、首を提げて帰ってきたのには流石に度肝を抜かれたが、炸裂喇が提げていた首の姿に、もっと恐怖した。
 顔のつくりは人と変わらない。寧ろ、整った容姿であったかもしれないが、数日経過していた所為か、腐敗も酷かった。
 だがそれに恐怖したわけではない。
 額から、十字の傷を割って、1本、長く角が生えていたのだった。
 髪は、炎をそのまま縫いつけたように紅かった。
 恐らく、瞳も同じように紅いのだろう。
 人々はその異形に戦慄した。
 その姿を、恐怖を、しっかりと自らに刻み込んだ。
 姿を見なかった者にも、伝聞で恐怖は伝染していく。
 人々の頭の中には、『鬼には額に十字の傷がある』という隠しきれない特徴を曝す事となった。
 危険を顧みず、身を以って鬼と交戦し、鬼が決して人の手に負えぬ者ではないと証明した二人の為に、民は、一致団結して鬼と戦うことを決意した。
 それから、人と鬼との立場の逆転が、鬼にとっての恐怖の時代が、訪れたのである。
 鬼は、何時如何なる時であっても、人より下に貶められる事を己に許さなかった。
 自分達の恐ろしさを知らしめる為に、人に自分達のいる里を『鬼門』として、知らせていた為に、それが裏目に出て人の焼き討ちに合い、徐々に数を減らしていく。
 鬼が、人にとっての脅威であったからこそ、ここまで完璧な制裁に遭った。
 徒党を組んで襲い掛かってくる人々には、鬼にはない、別の恐ろしさがあったことに、鬼達は気がつき始めていた。
 徒党を組まれては、数で劣る自分達が敗れるのは道理であると気付いた鬼は、里に固まる事を辞めて、人里に潜む事を選ぶ。
 目立つ髪や瞳は、擬態で黒く変えることは出来たから。
 しかし、それを見破ったのは、他ならぬ義成だった。
 髪と瞳がどうにかなっても、鬼である象徴、角を生やす十字の傷は隠すことが出来ない。
 それを知る義成は、各地に関所を建て、検問所として額に傷があるかどうかを調べさせるなどした。
 自分達の特徴を知られてしまった鬼は、検問などという原始的な策に引っかかりこそしなかったものの、移動の手段を断たれた。
 止むを得ず、鬼達は深い山に分け入り、再び鬼だけの里を、もう一度作ろうとする。
 検問による鬼の摘発が捗らないのを知った炸裂喇は、山狩りする事を考え、それも実行に移す。
 今まで、共に生活をする為だけに里を造っていた鬼は、自尊心が強く、自分以外の鬼と協力して何かに立ち向かうなどという経験が、極端に少なかった。
 だから、徒党を組むどころか、山狩りが行われた時には、雲の子を散らすように逃げ去り、殆どが殺されてしまった。
 鬼と人との知恵比べは、ここに一時の終焉を迎えた。
 鬼の、完敗という結末を以って。
 しかし、鬼にはまだ、少数とはいえ生き残っている者がいた。
 武将が落ち延びる時に常に頭が残っているのと同じように、王族ばかりが残っていた。
 鬼の世は力の支配だった。故に、力のある者が生き残ったのかも知れないが、もしかするとそれこそが鬼にとっては最大の屈辱であったかもしれない。
 仲間を守れずただ、王としての自分達だけが生き残ったことは・・・ 恥でもあった。
 彼らも、炸裂喇を許さなかった。義成を、許さなかった。
 人の存在を絶対に許さず、憎悪の塊となって、未だどこかに潜み続けているとは、もう安寧の世となった今は、人の意識の中には残ってはいなかった。 

2008/12/09 up

<前項/次項>

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小声で編集後記のコーナー。
え、何これ、この経緯は小説にしないんですか?っていうツッコミはナシで。
だってそういう話なので(オイオイ)。
まあ気が向いたらその辺、小話で番外編でやりたいと思います。
ちょいちょい義成×炸裂喇を挟んじゃったりして(そっちメインだろそれ)。
実に十年、この一話であっという間に飛んじゃってんですけどねー(苦笑)。
って言うかもう、正直誰だよこんな読みにくい文書いたの・・・って感じです(汗)。