第1話


 色々大変だけど、人より数倍面白い人生だという自覚はある。
 ただ、これが『決められたレールの上』であると言うことだけが、微かに違和感を持って私を少しだけ苛んでいる。
 人は、夢に向かって努力して自力で走るけれど、私の将来はもう決まっていて、脇道を走るとか選択肢はない。
 それで、よかった。
 それが・・・ よかった。
 決まっていたことであっても、想像力が逞しかったお陰で、私はその日が来るのがとても楽しみだったのだから。
 一度、レールから脱線したりもしたけれど、こうして、今は毎日を愉しんでいるのだから、私は幸せ者なのだ。
 最初から決まっていた事でも、私にはそれが夢であると同時に理想でもあったのだから。

 大きくなったらお嫁さんになる。

 そんな、小さい頃なら結構な人数の女の子が夢見る将来。
 それさえ、私には決められていたことだったから。
 疑問に思う前からそこへ向かうのが楽しみで仕方のなかった幼い頃。
 それが叶った今こそ、私は迷宮に迷い込んでしまったという事に気付かされた。
 これから、の、将来・・・ って、どこに向かうんだろ?
 幸せに暮らしているからこそ、気付く事が出来ない『幸せの価値』。
 不幸な時にこそ、平穏である事がどれほど幸せなのかと思い知らされる現実を、私は知ることのないぬるま湯の中で生きていたのだ。
 そう、彼が、来るまでは。

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「うん、今日も美味しかった。ご馳走様」
 遙さんは朝ごはんを毎日ぺろりと平らげてくれて、毎日、美味しいと言ってくれる理想の旦那様。
 多分これは新婚サービスなんだろうという気持ちもあるけれど、それでも言って貰えるのと貰えないのとでは格段にモチベーションが違う。
 今日も頑張ろう、と、素直に前向きになれる。
 遙さんは仕事が忙しいから、帰宅できるのはいつも深夜。
 まともに顔をあわせて会話できるのは、朝食の時間くらいだから、せめて今だけでもちゃんと私も理想の奥様であろうと、精一杯の背伸びをする。
 本当に、私には勿体無いほど素敵な旦那様だった。
 許婚なんて仲じゃなくても、きっと私は遙さんに恋をしたと思うくらいに、遙さんは完璧な人だった。
 とても紳士で、優しい人。
 自分の地位を鼻に掛けることもなく、とても静かで穏やかな人。
 加えて、このルックス。
 全体的に色素が薄くて、少し繊細な印象を受けるけど、立ち居振る舞いに一部の隙もなくて、時折はっとするほど綺麗だった。
 昔で言う3K全て揃っていて自慢の旦那様なんだけど、私はまだ彼を自慢する立場にはない。
 何故なら、私、東城尊(とうじょう みこと)は、まだ高校2年在学中だったからなのだけど。
 朝食を食べた後、遙さんは新聞を読み始めた。
 伏目がちになると、一層睫が長いのが良く見えて、マスカラ要らずの羨ましい睫だと、つい、見とれてしまいそうになる。
 左眼の下にある泣き黒子(ほくろ)が何だかとても色っぽい。
 遙さんの傍に、邪魔にならないようにそっとコーヒーを置いてから、私はお茶碗を片付けようと流しまで下げて、腕まくりをしたときだった。
「あ・・・いいよ、片付けは」
「え?」
 驚いて遙さんを振り返る。
 え・・・嘘。遙さんがやるの?
 二人で生活するようになってから2ヶ月ちょい。
 その中で遙さんに家事らしいことはさせないで済んでいたのだけど、もしこれをやってくれるとかになると、割と大助かりだったりするのだけど・・・
 それまでしてくれたら、ホント、理想の旦那様!!
 でも、現実はそう甘くないことを知っている私は、遙さんがそれをやるとは全く思ってはいなかった。
「あ・・・昨日も遅かったから言ってなかったっけ、ごめんね。今日から家政婦がくるから」
「え・・・っ、家政婦」
 何で。
 素直に出た疑問は、到底口には出来ずに押し殺す。
「家政婦にさせるからいいよ、片付けは。君は安心して学校行って?」
「え・・・ あ、で、でも」
「もう支度しなきゃいけない時間でしょ?」
「そうなんですけど・・・ でも、このくらい・・・」
 家事は苦じゃなかった。
 お嫁さんになったらそつなくこなせるようにって、お手伝いさんたちのお手伝いを自らやっていたりして、修行はしていたから。
 なんだけど、そつ・・・ありすぎたのかしら、私・・・
「君が学校から帰ったら、もういると思うから、して欲しい事は言って。大概何でもできるプロだから、便利に使っていいよ」
 遙さんは、優しい人好きのする笑顔で私にそう言った。
 しょ、初対面の年上の人に、色々お願いするのはなかなか難しいんですけども、それをそうと伝える事は出来ない。
「お知り合いなんですか?」
 なかなか、何でも頼めとかは言えないだろうから聞いてみた。
「うん。凄く良く知ってる。たまたま今仕事してないって言うから専属でお願いしたんだ。僕としても凄く助かるから・・・」
 そう言われれば私には抗う術もなく、何だかモヤモヤするまま支度を整えて家を出た。
 朝は私の方が先に家を出る。
 遙さんが帰ってくるのはいつも深夜。
 だから、朝は二人の貴重な時間なんだけど、今日もあまり大した言葉を交わすことも出来なかった。
 家政婦・・・って。
 いや、うん、きっと、遙さんの財力なら雇うくらいのこと簡単に出来るだろうと思っていたけど、でもちゃんと私は頑張っていたつもりなのになぁ・・・
 掃除、行き届いてなかったんだろうか。
 料理、美味しいっていうのもお世辞だったのかなぁ。
 色んな事が頭を巡って、朝から気分が上を向かない。
「おはー。・・・何だ、元気ないな」
 マンションのエレベータを降る途中、一階下に住んでる同級生の白影君が乗ってきて私の顔を見るなり言った。
「べっつに。いつもと一緒ですけど」
 ぶすっとして答えると、
「お、わかりやすっ。旦那様と喧嘩でもした?」
 と、明らかに面白がっている反応が返ってきた。
 白影君には家が近すぎる事もあって知られてしまっていたのだけど、白影君やその同居人は私の秘密を人に話すような事はしなかった。
 それはきっと白影君も私と一緒で、『訳有り』だったからなのかもしれない、と、最近気付き始めていた。
 もしかしたらうちの親が口止めでお金渡してたのかもしれないけど。
 同じクラスで毎日朝から顔をあわせているからなのか、断然、会話率は遙さんより高かったりする。
 ・・・何この事実。何この理不尽。
 ますます気が滅入った。
「してませんー。つか、するほど・・・」
 お互いの理解を深めていない。
 そんなレベルに達してない。
 そんな言葉が喉の奥から出そうになって、私は少し落ち込んで、エレベータの壁にゴツンと頭を打った。
「やめろコラ! 壊れるだろ!」
「壊れるかー! 柔な乙女の頭突き程度で壊れるエレベータなら先ずクレームじゃっ」
「いやいや、柔な頭のほう」
「何ですってっ、誰が豆腐のようにユルイ脳味噌だって言うのっ」
「言ってねぇ。てか、今日は随分脳味噌沸いてんな〜〜、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないよー、女として自信喪失中なの。はぁ・・・」
「ん? 夜のほうか」
「ええい、その下品な考え方はやめなさいっ」
「いって。いてぇって。荒れてんな今日は・・・ ったく」
 白影君は私に小突かれるのを避けながら停まったエレベータを降り、駐車スペースから自転車を引っ張り出した。
 私も自転車通学なので、一緒に学校に向かう。
 最近、結構打ち解けて話せるようになって、気安く話せる友達の一人だった。
 全然気取ったふうもないのに実は結構女子人気は高いのを知っていて、こうして一緒に通学してると何かと勘ぐられたりしてしまうけど、そういう仲では全くない。
 何故なら、私が遙さんにぞっこんだという事はもう白影君にばれているから。
 それに白影君は今のところ女子に興味がないようだった。
 自転車に跨って少し走ると、
「言って楽になるなら聞くけど?」
 と、白影君が言葉をくれる。
 全く興味はなさそうなのに、それでもこういう気遣いが出来るところが、友達としてとてもありがたいと思う。
「だってツマラナイ話だよ?」
「俺は頷いて聞くだけだから別に。うんうん、フンフン言うだけだから」
「えー、それじゃつまんない」
「じゃあ聞かんが」
「いやーん聞いてー」
「どっちだ・・・」
 白影君は呆れて溜息を吐いた。
「家政婦さん来るんだって!」
「ほほう? それは羨ましい」
「え。やっぱ男の子は家政婦さんありがたいの?」
「うちは諸事情で雇えねぇのに学生三人で生活してっから家荒れ放題でさー。澄香は家事破壊的にダメだしな・・・ いてくれると大いに助かるが」
 帰国子女の白影君は同い年の女の子と、1歳年下の弟さんと暮らしている。
 その、同居人の女の子は従姉とからしく(詳しく聞き出せてないんだけど)、彼女は家事がからっきし駄目だというのを白影君からよく耳にしてもいた。
「・・・やっぱ、高校生一人が頑張ったって色々だめなのか・・・むむ」
「ん?」
 白影君は私の顔をちらりと盗み見た。
「ふぅん・・・」
 そして、意味ありげに含み笑いをする。
「え、何その笑顔」
「いんや。何も」
 そういいつつ、含み笑いは継続中。
「気になるでしょ言ってよー! 今日の授業に身が入らなかったらどうするのー!」
「その様子だと今日の授業は壊滅的に身が入りそうにねぇと思うけど」
「ぶぅ。白影君、面白がってるでしょ」
「東城との会話は大体面白いわ」
「馬鹿にされてる感じ・・・」
「してないって。ああ、そっか、そういう僻み妄想から不機嫌なのかなるほど」
「僻み妄想って何よー!?」
「言っていいのか?」
 急に、白影君の含み笑いに恐ろしさが加わる。
 何か重大な秘密をばらそうとしているかのような。
「い、・・・言って」

「甘い新婚スウィートライフの終焉」

「・・・」
「・・・ってことを悟って、落ち込んでたんだろ」
「甘いが二個入ってたよ」
「オーニホンゴムズカシー」
「てか、言う? 普通、言う? それ・・・」
「だから、言っていいか聞いたじゃん」
「あ〜もう、最悪〜」
「俺のが悪役かよ・・・」
 白影君から二度目の溜息が漏れた。
「てか、まぁ、厭きられたとかじゃないと思うけど」
「なんでっ」
「言わなきゃわからんようなら、まぁ、言わんでおくわ」
「白影君面白がってるっ」
「そりゃあ、他人の何とかはハニーテイストだからなー」
「偶に強引に英語使って喋るの変だよ」
「ほっとけ。今日はやけに絡むな東城。メンスか?」
「最低! 聞く? 普通そんなこと聞くっ?!」
「あ、この国では聞いちゃイカンのか。あっはっは」
「どの国だって聞いちゃ駄目だ!! 世界の女子の代表として言いたいわ!!」
「あっそう。俺も勉強が足らんなー」
「よく言う・・・」
 そこで私も失笑してしまった。
 白影君は上品な顔立ちに似合わず平気でシモネタを言ったりする。
 それをまともに受けるほど私は子供じゃないと背伸びをするから、最近は苦笑いでスルーする、というスキルが身につきつつあった。
 ・・・てか、でも生理なのはホントなんだけど、何でわかったのかしら恐ろしい子・・・!
 まぁ、こんな調子だから気取らないで話せる友達で、毎朝一緒に学校に行く時間が実は楽しかったりする。
 話せたことで少しだけ気持ちが上向き、救われているのも確かで、私は言葉にはしなかったけど、白影君に少しだけ感謝した。


 遙さんと結婚してまだ2ヶ月。
 初めて顔をあわせたのでさえ4ヶ月前だった。
 でも、私が動かなくても私の周りの世界だけは全てが動いていて、結局この形に収まってしまった。
 許婚との結婚。
 私が16歳になるまでは、お互いに存在だけを知らされるだけで氏素性さえ教えてもらえなかったけど、確かにあった私の『将来』。
 世に言う『政略結婚』というやつ。
 ホント、よく考えたら道具にされているんだからうちの親に対して腹が立たないかと言われたら、『あ、ムカつく』くらいの気持ちにはなるけど、ジタバタしても仕方ないからこの人生を愉しむ事にしたのだ。
 実際、遙さんと顔をあわせた後からの私はかなり浮き足立っていたと思う。
 お世辞にも綺麗とは言い難い私に、こんなイケメン旦那様でいいのかと。
 そして、絶対に厭きられるまいと、心に誓ってかなり頑張っていたのに・・・
 結局、セレブよろしく家政婦さんのお世話になっちゃうことになってしまった・・・
 二人で生活する事は結構大変で、お互いのことを知りもしないのに成り立つのかと不安がないこともなかったけど、遙さんが忙しすぎて特に一緒に住んでいるという感じもしなかった。
 ・・・新婚生活って、こんなものじゃない、と思うんだけど・・・
 どこか歪なのに、いや、全てが歪なのに、私には結局修正する術がない。

 私にとっては一生の決断で、それさえ決定権もないのに。
 遙さんにとっては、やっぱり、仕方のないこと、でしか、なかったのかな・・・

 はぁ。
 色々な事に妥協する事には慣れているけど、こんなに早くダメ出しをくらうとは思っていなかった私はかなり落ち込んだ。

 やっぱり、今日の授業は大して身に入らなかった。

2011/02/28 up

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小声で編集後記のコーナー。
もう少し書くつもりだったんですが、プロローグなのでここまででいいかと、区切っちゃいました(苦笑)。
次回は漸く家政婦登場です。いやぁ、予想は出来てると思うので、大した意表はつけないと思いますけれども、私が自作キャラの中でのトップ5に入るお気に入りキャラなんで、気合入れて次回を書こうと思います、うふふふふw