注:澄香視点



第三章

X

 ガチャン!!

 茶碗を落とした音がした。

 今日は伸太郎の家事当番だから洗い物は伸太郎がしている。
 しかし、伸太郎くらい躰のバランスがよくて油断してない男が、茶碗を落とす、ということが異常だとわかる私も弾も、同時に振り返る。
 伸太郎はシンクに向かったまま茶碗を拾おうともしない。
「・・・どうした」
 聞いたが返事はない。
「・・・おい!」
「・・・っ、あ?」
「あ、じゃない。茶碗落としたぞ・・・」
「あ? ああ・・・ 悪ぃ、直しといてくれ」
 伸太郎はそう言い捨てるとふらふらと玄関に向かっていった。
「ちょ、伸太郎!!?? どうしたの?? どっか行く気?」
 慌てて弾がソファから飛び降りて伸太郎の腕を掴んで引き戻そうと引っ張ったが、非力な弾に伸太郎の推進力を止められる術はなく、フローリングの廊下をつるつると引っ張られて滑っていくのが目に入った。
 ・・・伸太郎の様子がおかしい。
 弾の腕を振り払うこともせず、弾を引き摺ったまま迷うことなく玄関に向かい、靴を突っかけてドアを開いた瞬間に、伸太郎の前に飛び出した弾が伸太郎の目の前で猫騙しをした。

 パン!

 目の前で手を叩かれた伸太郎は怯むこともない。
 これくらいで怯むような男には仕込んでいないつもりだが、それでも弾の声すら耳に入らない伸太郎、と言うのはいよいよ異常だった。
「離れろ弾」
「えっ」

 ゴヅッ!

 腹に力を込めて手加減なしの拳で伸太郎の左頬を打つと、伸太郎の躰がぐらりと傾いた。
「・・・イッテェ!!!」
 殴られた伸太郎は存外普通の反応を返してくる。
 いつもの防御もしていなかったらしく、クリティカルヒットだったのか、打たれた頬を手で覆いながら私を振り返った。
「手加減してないからな」
「ふんぞり返って言うな!! いきなり殴るかよ、普通!!」
「いつものお前なら喰らわないだろこんなもの。・・・何だ、その有様は」
 私は伸太郎の足元を指した。
 今度は私の言葉を理解したらしい伸太郎は素直に自分の足元を見、私と自分の靴を片方ずつ、しかも左右逆で爪先だけにつっかけているのを確認して
「・・・何だこりゃ・・・」
 と声を漏らした。
「・・・突然何だ、一体。まだ茶碗も拭いてないだろう」
「あ・・・ よく、わかんねえんだけど・・・」
 伸太郎はそれでも自分の靴に履き替えて気も漫ろな様子で玄関と踊場の間に躰を止め置いたままだ。
「わかんねぇんだけど今呼ばれたような気がしたんだ・・・ 誰かに」
「・・・何だと?」
 呼ばれた? まさか・・・
 弾と私は顔を見合わせた。
 その一瞬の隙に、伸太郎は機敏な動きで一瞬一方向を見たと思うと駆け出した。
 エレベータではなく階段に駆け込んでいく。
 あの無駄に速い足に私たちで追いつける筈もない。
 伸太郎が見たのはどう見ても壁だったが、見た方向に何かがあることを示唆している。
「・・・ねえ、澄香・・・ 呼んでるって、ひょっとして女王が・・・」
「わからんが・・・ あんなに自分を失うほど伸太郎が奇妙な行動を取るのは不自然だ。・・・追おう」
 自分の靴を持ち、弾と一緒にベランダに行く。
「自転車だと足では追いつけん。私が飛ぶから姿を消すのだけ頼む」
「わかった」
 私と弾は手をつなぎ、ベランダから飛び立って空から伸太郎を追う。
 伸太郎は自転車の鍵を持ってこなかったらしく自力で走っていた。
 全力疾走が異常なほど早い。
「・・・あれアウトじゃない? 人として・・・」
 弾が見守りながらヒヤヒヤしていた。
「・・・涼しい夜にジョギングしている設定で誤魔化す他ないんじゃないか・・・?」
「いや冗談言ってる場合じゃないよ・・・ 止めなくていいの・・・?」
「・・・そうだな・・・ いや、何をしたいのかを知りたい。泳がせてみよう」
「・・・僕は・・・ 僕は止めたいけどね・・・ 僕じゃ駄目だけど・・・」
 弾の不安は尤もだった。

 この二ヶ月の間でも、伸太郎は何度となく女王からの干渉を受けてもいたのだ。
 だが、女王の声を聞いても伸太郎はぶれることなく、今まで遣り過ごしている。
 女王は居所こそ人間界と絞り込みは出来ているようだが、自分の息のかかった刺客はまだ送り込んでは来ていない。
 不可解なのはそれだけではなく、伸太郎の談によると、

 学校にいる間には絶対に女王に干渉されない

 のだそうだ。
 これに一体意味があるのかどうかは判断できないが、一度だけ学校で女王の『支配』を感じた伸太郎は、一瞬でその気配が怯えたように消え去った記憶を最後に、学校では女王の干渉を受け付けなくなったような気がすると零したことがあった。
 それを信じるわけではない。
 元々女王は闇を好む傾向にあった。
 裏を返せば学校にいる間は日中であることが多く、光を嫌っているという可能性もある。
 現に、数日に一度、夜には強く干渉を受けることもあるようだった。
 それを察知した伸太郎は、私や弾に気付かれることなく独りで遣り過ごしていることもあるらしく、精神が強いのか図太いのか判断に迷うほどに女王の支配には『鈍感』であったはずだった。

 その伸太郎が『呼ばれた』と言って出かけていったのが不自然極まりなかった。
 伸太郎は無能力者だ。
 今は支配毒の所為で女王の声だけは聞こえるようだが、誰かの何かを感応することはまずない。
 その伸太郎が何の疑いもなく一方向に向かって無心に走るということがどういう意味を持つのか・・・

 ・・・一つの可能性が浮かび上がるが、まさかそんな、都合よく現れる者なのか、そんなに突然に・・・

 一つの望みに縋ろうとする悪い癖を思い出して自嘲する。
 そんなに簡単ではない。
 それに、もしそうだとして、呼ばれてあんなに不安定な状態に伸太郎を陥らせるものがそれだとは正直に思いたくはなかった。

「・・・ん?」
 弾が少し首を傾げた。
「・・・方角、学校の方だね」
「・・・そうだな・・・ でも自転車で40分だろ、人の移動時間だと・・・ 伸太郎の速度でもそれなりにかかるぞ」
「あぁあ、伸太郎どこに向かってるの〜〜。・・・あ、僕携帯持って来てた。かけてみよ」
「おい」
 止めようと思ったが弾は素早かった。
 私と繋いだ手は右手で利き手の筈なのに、器用に左手で携帯を操作して伸太郎に繋いでしまった。
 ・・・私は特に必要がないから携帯が苦手だが、そんなに必要に迫られているわけではないのに弾や伸太郎はこういったものに順応するのが早い。
 やはりそこは歳の差なのか・・・ それとも新人類なのか。

《何だよ!!》
 弾が驚いて携帯を耳から離すほどに大きな声で伸太郎が出た。
 自転車の鍵は忘れても携帯はポケットに入れていたようだ。財布はないようだが。
「何だって、こっちの台詞!! 伸太郎どっちに向かってるの?」
《お前ら上から見てんだろ、だったらわかるだろが!!》
 弾の隠形で私達は姿を消しているのに、こちらを仰ぎ見た。
 焦点は合ってないが気配だけは感じているらしい。
 弾の隠形は崩れていないが私が飛行しているからその気配が漏れるのか・・・
 相変わらず侮れないやつだ。
「えっ、まさかホントに学校なの?」
《知らん!》
「ええええ」
《何かわかんねーんだけど多分こっちだ・・・ 胸騒ぎが大きくなる気がする・・・!》
「何、胸騒ぎって・・・ 僕怖いよ・・・」
《そう言えば俺、小さい頃にこういう変な胸騒ぎ、あった気がする。無意味に胸騒ぎがして街中駆けずり回って、で・・・》
「うん、それで・・・?」
《結局何もなくて自分の移動距離に愕然として元来た道を帰るんだ。それか、『糸』がついてて無理矢理引き戻されるか。帰る場所は地獄ってわかってるのに・・・》
「・・・え?」
《あ、いや、冗談。とりあえず客観的に見て俺ってどうなんだ澄香?》
「その速度で全力疾走を続けていると異常者にしか見えんぞ」
《・・・やっぱそうか。途中でそうじゃないかと思った。さっきすれ違った女の人のスカート靡いちゃってた》
「だめでしょそれ!」
「兎に角その格好では警察に見つかると補導されるかもしれん。気をつけろよ」
《わかった》
「あっ!?」
《何だよ!!》
「前からパトカーくる。フード被って走ってたら、減量中のボクサーぽくて誤魔化せそうじゃない?」
《今言われてもフード付きの服選んどらんわ!!》
「ちょっと伸太郎、一瞬だけ進行方向変えて。1本中通走ろう」
《わかった》
 言われたとおりに伸太郎は中通に入り、パトカーを遣り過ごしつつ、猛ダッシュは止まらない。
 中通を走ると一気に街灯が少なくなり人目も少ない住宅街だ。
 伸太郎は自分が強烈な聖属性のオーラを発していることに無自覚な上、抑え込む術がないからこの辺りの縄張りのハンター達の網に一度ならず引っかかっている。
 人目のないところを見計らって彼等は伸太郎を捕らえようとするので、今伸太郎を人目から遠ざけるのは得策ではないのはわかっているが、人の世界で目立たせるわけにも行かないジレンマの間で揺れているのはいつも私だ。
 伸太郎はそんな私の心配など構うことなく、気がついたら学校でもかなり目立つ男になってしまっている。
 肩で息を吐いたら、弾が私を見て少し笑う。
「クラスでも大変なんでしょ、伸太郎って」
「・・・わかるのか」
「わかるよ。ああ見えて真面目で勤勉だからね。テスト凄い点数で僕吃驚しちゃった。伸太郎って優等生・・・」
「いやそれもそうなんだが他にも色々だ。夏なのに絶対に半袖短パンは着ないし、半袖を着ることはあってもアームバンドリミッターが手首から肘まであって絶対に外さないのが不自然と指摘されて、あいつ、何て言ったと思う?」
「何て言ったの?」
「『あ、見たい? リスカ痕』だぞ。お陰で全員引いてあれからあのリミッターのことは禁句になった」
「・・・・・・・・・・・・怖いよ伸太郎・・・」
「その裏であの性格だから人からは好かれやすいだろう。私はこんなだから人があまり近付かないから偶に羨ましいとさえ思うよ・・・」
「澄香は澄香で目立ってると思うけどね・・・」
「・・・そうなのか?」
「自覚ないんだね」
 弾は可笑しそうに笑った。

 伸太郎が走り始めてから10分も経っていないだろうか、突然、私達が進んでいる方向で、激しい光が瞬いた。
「!! 何、今の・・・」
「・・・」
 そして、再び輝く閃光。
 今のは恐らく人の目には映らない、能力の閃光だった。
「・・・進行方向だね、伸太郎の目的ってあそこかな・・・?」
「わからんが・・・ 伸太郎にはあの閃光は見えてない筈だ。ん? しかも少し伸太郎の進む方向がずれているな、違うのか・・・?」
 伸太郎は閃光が奔った方向から若干ずれた方向に走り始めている。
「携帯で聞いてみる?」
「いや、勘で走っているなら余計な情報を入れると混乱するかも知れん。・・・二手に分かれないか? 何かあってはいけないから私が伸太郎を追おう。弾はあの閃光の正体を探ってくれるか。・・・あれは攻撃を伴う閃光だった。必ず姿を消していくんだ」
「・・・わかった」
 弾は少し緊張した顔で私と繋いだ手を離す。
 瞬間、目視でも見えなくなった弾は、どこにいるのかわからなくなった。
「・・・まだいるのか?」
「いるよ」
「もしかしたらハンターとはぐれ者のぶつかり合いなのかも知れないからくれぐれも気をつけてな」
「うん・・・ 澄香も気をつけて」
「ああ」
 最初からなかった気配は弾がいなくなったのか、それともまだ近くにいるのかさえ曖昧なまま、私は伸太郎を追っていた。
 伸太郎はまた方向を変えてうろうろしだした。
 完全に学校の方角ではないし、速度が落ちている。
 疲れたのではないようだが、完全に目的を失ったような迷走。
 碁盤の目のような住宅街を曲がったりしながらただ彷徨っているようにしか見えず、それは伸太郎の目的地が近いようにも思えたが、違和感が拭えない。
 見守っていると伸太郎は立ち止まって携帯を握るのが見えた。
 ・・・! まずい。
 慌てて伸太郎の元に降りる。
「あれ? 弾は?」
「携帯を切れ」
「あ? おう」
 2回くらいコールされたかもしれない・・・ 大丈夫だろうか。
 たとえマナーモードにしていたとしてもあの電気音は私たちの耳には容易く入る。
 ・・・気配は消せても消せないものに阻まれて弾の身に危険が及んでいないか、急に心配になった。
「で、お前は何だ、うろうろして」
「・・・わかんね。でももう呼ばれてない気がする」
「・・・何なんだ、一体」
「・・・わっかんねーって・・・ で、弾は?」
「・・・向こうの方で戦闘の閃光が見えてな。偵察に行かせた・・・」
「・・・じゃあそっちか・・・?」
「わからないなら大したことではないのではないのか」
「どうなんだろうな? なあ、お前も思ったかも知れんけどこれってもしかしてさぁ」
「・・・」
「俺の『天使』のピンチとかだったりするんかね?」
「どうだろうな・・・」
 伸太郎は私と同じ結論を導いたようだった。
 それなら鈍感な伸太郎でも感じ取る何かがあるのかもしれないと思った。
 だがそれが何故天聖界ではなくこっちなのかが不可解なのだ。
 私と一緒にいた間、伸太郎が今のような行動を取ることはなかったように思う。
 本来いるであろう場所では感じないのに、何故人間界でそれを感じるのか、それは・・・
「こっち、来てるとか、ないかね」
「さあ・・・」
「・・・あ。そう言えば今朝の夢・・・」
「夢・・・?」
「・・・いや何でもない。・・・って、おい! 弾、どうした!!」
 伸太郎が、私の後ろに向かって言い、振り返ると血の気を失った顔をした弾が息を切らしながら私と伸太郎を掴んだ。

「逃げるよ!!」

 弾はそう言うと、周りに人の気配がないのをいいことに、そのまま空間転移で自宅の居間まで一気に強制的に私と伸太郎ごと移動した。
 さっきの伸太郎の剣幕で、電気もテレビも点きっ放しだ。
 一拍置いてから事態を把握した伸太郎は、
「あ。・・・土足だ。靴・・・」
 と言って、悠長にその場で靴を脱いで玄関に靴を置きに行こうとしたが、弾がそれを追い抜いて、シンクに向かって嘔吐し始めた。
「おい、弾・・・!!」
「ごめ、僕・・・ っ、うぅぅううっ」
「あー、我慢すんな吐いちまえ吐いちまえ」
 伸太郎が背中を丸めて嘔吐する弾の背中を摩って弾を落ち着かせる。
 弾は暫くえづいていたが、漸く落ち着いて口を濯いでから力なくその場にへたり込む。
「・・・ごめん、咄嗟に逃げることしか考えられなくて・・・」
「いや、いい。逃げて無事ならそれが正解だったんだ。網にかかってるわけでもない、糸がついているわけでもない・・・ 無事ならそれでいいんだ。次回から斥候のときは携帯は電源切るか持たないほうがいいな」
「そ・・・ だね・・・ 肝心な時に使えないね携帯って・・・」
 そう言って弾は少し咳き込んだ後、冷蔵庫からミネラルウォーターを取って一気に呷った。

「『十の牙』が来てる。すぐそこまで」

「・・・な・・・ 何だって!!??」
「あそこにいたのは『十の牙』か!!」
「・・・うん。あれは門で伸太郎が気絶させたナンバー8、トレだ・・・」
 ・・・とうとう来たか。
 いや、正直言うと「もう来たか」か・・・
 もし送ってくるなら下級から来るだろうと踏んでいた私は意表を突かれて咄嗟に何も言えなくなった。
 伸太郎は強いが、リミッターなしの『十の牙』に太刀打ちできるかはまだ危うい。
「二人か・・・ 三人くらいと戦ってた。多分『ハンター』だと思う・・・ 遠目にだったけど間違いないよ。それでね、遠目に・・・ トレが血塗れなのが見えたんだけど・・・」
 言ってから、また思い出したのか弾は軽くえづいた後慌てて水を呷る。
「・・・食事、こっちでしたみたいだ・・・ 僕・・・ 死体、見ちゃった・・・」
「・・・」
「・・・うん、僕、何も考えられなくなった時に、携帯がバイブして、驚いちゃって一瞬隠形が崩れた時に、トレが僕に気付いて向かってきたものだから・・・」
「いや、そこは逃げて正解だ、弾。トレがそこまで来ていることがわかっただけでも・・・」
 その時、ただ点いていただけのテレビの音が耳に入って、私達はそれに一瞬気を取られた。
≪ニュース速報
籠坂森林公園にて女性の遺体発見。
遺体の損傷の激しさから、ここ2ヶ月で多発している連続殺人事件の同一犯である疑い。
現在遺体の身元を確認中≫
「え、これ・・・」
「・・・ビンゴだ・・・ え、待て、最悪じゃねえか!」
「ニュース早・・・!」
「しかし、この様子だと、犯人の目星はまだ全くついてないな・・・」
「遺留物は唾液と歯型。歯形は限りなく人に近いそれだが唾液が人じゃない遺伝子らしいぜ。最初の鑑定結果が最近出たってよ」
「伸太郎詳しいな」
「新聞読んでるからな。今回ので7件目。・・・悪い、こっちでまさか『人間』を巻き込んだ俺等の世界の出来事が、ここまで明るみになることなんてない、って思い込んでた」
「・・・そうだな。高を括っていたのは私も同じだ。潜まねばならない条件は同じだと思っていた・・・」
「・・・これヤバイんじゃね?」
「・・・ああ・・・」
「いや。俺ら的にもだが女王にしてもだ。追って来いと俺たちが煽ったにせよ、自分で禁じている人間界への干渉を破っているってことが異常な気がする。大体あいつ等は俺たち天聖人を喰って糧にしているくせに、腹の足しにならない『人間』を喰ってるって・・・異常じゃないか?」
 伸太郎が意外なほど冷静な意見を述べて私は少し驚いた。
 伸太郎の躰に意識を乗せて憑依するような形で女王は伸太郎に『声』を送ったり、見ているもの聞いているものを探ったりするらしいが、暗示をかけるような女王の声は殆ど伸太郎にとっては鬱陶しい囁きとしか捉えられておらず、真実味が薄いと感じるほどの鈍感さはここに来て頼もしくさえ思うことがある。
「・・・それに、最初の事件から徐々に間隔が短くなってる。余程飢えてるってことだろ・・・ 戦闘中の『ハンター』が心配だな、負けたら『食糧』だぜ」
「・・・!! 怖いこと言わないでよ・・・!!」
「今から戻っても、人間の遺体が見つかったってことは今はあそこは人間の世界だ。あの場所に留まってなんかいないと思う。・・・はぁ、もう少しちょっかいかけてきた『ハンター』のこと、調べとくんだったな・・・ あいつ等意外と徒党組んでいやがるから」
「・・・もっと早くに気付くべきだった。空腹時は力が落ちていた筈だがもしさっきの戦闘でトレが勝利して・・・満足な食事が出来たとしたら力を取り戻すことになる・・・ これは早急に手を打たないと」
「・・・あぁ、やるしかねえか・・・」
 伸太郎は表情を引き締めた。
 普段はやる気のなさそうな様子なのに、こうすると以前に見た本当の勇者であるシアドに似ている気がした。
「無差別に殺しやがって・・・ 絶対許さねぇ」
「・・・あぁ」
「ここで俺が引いたら最後まで駄目な気がする。まずここらの『ハンター』の網にわざと引っかかってみるか。同じことを奴も考えるだろうが、今、人間喰うより『ハンター』喰うほうがあいつの腹持ちいいわけだろ。これ以上犠牲出すわけにはいかねえ」
「わかった。はぐれを狩る『ハンター』の網の割り出しは私がする。いつでも邪魔なほど張り巡らされているからな、造作もないだろう」
「すぐ出来るのか?」
「出来る」
「頼む。俺はここらの地図プリントアウトしてくるわ」
 事態は一刻を争う。
 ハンターの網は縦横無尽に拡がっていて、オーラを抑えていれば引っかかっても人と同じ感触ですり抜けることが出来るが、オーラを出していると反応してオーラ自体に『糸』を引っ掛けて手繰る狩り方のようだ。
 今は伸太郎のオーラにくっついた糸は私が切ったが、伸太郎はそういうことが出来ないから何度も網に引っかかって、その度にハンターを気絶させて遣り過ごしていたようだ。
 この辺りには常に3人ほどのハンターがそれぞれ別の網を張っているから、その縄張りの範囲を絞り込み出来ればことはそう難しくはないと思っていた。
 ・・・・・・が。
「地図持って来たぜ。網が重複している場所を当たろう」
「・・・すまん」
「あ?」
「・・・・・・『網』を感じない」
「はあ!!??」
「・・・感じないんだ本当に。まさかさっきのあれで・・・」
「おいおい、冗談じゃないぜ・・・!」
 肩透かしを食らうような感覚で、私がこの近くの土地を結界で囲って網を確認しようとしたが、それを全く感じなかった。
 今まではあんなにあったのに・・・
 いよいよ、事態が悪化していくのを目の当たりにしたような焦燥感。
「・・・最悪のケースも考えとかなきゃいけねぇな・・・」
「・・・いや、さっき戦闘中の『ハンター』がもしかしたら勝ったのかも知れないぞ」
「希望的観測はあくまで希望なんだろ。そう都合よく勝てる相手なのかよ」
「・・・僕、良く見えなかったんだけどトレはもうリミッターなんかつけてなかったと思うよ・・・」
「あーあー、いよいよ希望が薄くなってきたな・・・ ・・・って、ちょっと待て喋るなよ」
 突然そう言って伸太郎は自分の瞳を閉ざした。
 しゃがみ込んで床に指で文字を書く。

[バッドタイミングで女王降臨]

「・・・!」
 私と弾は顔を見合わせた。
 女王が伸太郎の中に意識を潜ませている時は、伸太郎は瞳を閉ざし、私達は言葉を発しないことを決めていた。
 伸太郎曰く、憑依の瞬間に全身の血が『動く』のでわかるらしい。
 女王は伸太郎の感覚から周りの状況を知ろうとするが、伸太郎はそれを拒んでいるのだ。
 だから未だに知られずに済んでいるが、これは偏に伸太郎が常に不快感に耐えねばならないことでもあった。
 しかし伸太郎は転んでもただでは起きない男だ。
 女王に逆に揺さぶりをかけるため、女王が憑依した時に試行錯誤を繰り返しており、毛布を被って携帯の文字を見せながら女王と筆談したり、天聖界の言葉ではない人間界の言語を使って女王の声に答えたりを試している。
 そして我々が編み出したのが無音で伸太郎の視覚を遮断した上で行う意思の疎通に、人間界の言語を伸太郎の掌に書き、伸太郎は床に書くという手段での会話だった。
 女王には全く寝ているようにしか思われないらしい。
 皮膚の感覚を支配するには伸太郎は『重い』ようだ。

[時間ないから女王を揺さぶってみるか]
[どうする気?]
[声に出して聞くのさ]
「何を]
[トレに何させてるんだ、って]
[大丈夫か、それ]
[多分大丈夫だろ]
[澄香、何か言いたいことあるか?]
[糞豚野郎]
[・・・女郎にしとけよ・・・]

 書くや、す、と伸太郎が息を吸い込んだ。
 何故か弾が身を固くする。

「あのさあ」

[反応アリ。今から言う]
 素早く伸太郎は床に文字を走らせる。
 口と手が同時に別の言葉を紡ぐ。

「さっきトレを見かけたけどアンタの差し金?」

 ・・・
 ・・・・・・・・・・・・
[ねえ、何か反応あったの!!? 黙ってるけどどうしたのさ!]
 30秒ほど伸太郎は目を閉じたまま黙り込んだ。
 文字を書こうともしない。
 そして唐突に瞳を開く。
 左右の色の違う双眸が強い意志に満ちている。

「やっぱりな」
「・・・やはり女王の指示か」
「いや逆。返事はなかったけど動揺してすぐ引いた。・・・トレは・・・単独行動だ」
「・・・!」
「最初の食事は一ヶ月半前、だったかな、確か。多分目を覚ましてからすぐ追って来たんだろう。女王も確かその時死亡中だっただろ」
「再生中な」
「あ、それそれ。多分女王の意識の乗っ取りがない間に、開いた門からこっちに俺の気配だけ追ってきた。でも感知が得意なわけじゃないんだろうから探すのに手間取ってる・・・って感じじゃないか?」
「・・・そうだとしたら女王は何故トレの意識を乗っ取って戻そうとしていないのかが引っかかるが・・・」
「俺は『重い』にせよ、『十の牙』は女王の手足だろ。そこが俺も解せんけど・・・」
 伸太郎は少し思案気に顎に手をやり下を向いたが、すぐに薄く笑った。
 顔に宿るのは不遜で不敵な笑み。
「サシでやれるってんなら手はある。明日からテスト期間で午後は躰が空くよな。全力でハンターかトレを探しまくるぞ」
 それに対して弾が小声で
「・・・僕勉強できないのにテスト勉強する暇ないね・・・」
 と、情けなさそうに呟いていた。

2011/07/25 up

Web Clap
管理人のやる気の糧になります。
が、オリジナル御礼は現在1種のみ(しかもEGとは無関係)です・・・(遠い目)

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ご感想、誤字、伏線の拾いそびれ、デッドリンク、物語の齟齬などの指摘(←恥)、
ございましたら遠慮なくお願いします(他力本願)。
折を見て修正します(何か色々読み返したら見っけてしまったorz)。
お返事はNEW+MEMOにて。


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がっつきまくりですみません(苦笑)。


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小声で編集後記のコーナー。
澄香視点でお送りいたしております。
あの後雨がどうなったのかはまた次回ですねww
色々と伏線も入っているのですが他の視点からじゃないと解けない謎も盛り込んでありますが、なかなか明らかになるには時間がかかるようです。